マ
slot-story chapter2 ♯9
「いらっしゃいませ」僕は言った。
――ひとりやけどええか? 人差し指を立てながら、客(推定五十代男性)は言う。
「どうぞこちらへ」チーフが客を誘導する。
「いらっしゃいませ」改めて僕はカウンターに座った客に向かって頭を下げた。
「サダさん、今日はもうここに立たなくてもいいですよ」小さな声でチーフは言った。
店長というのが僕の今の肩書きである。どうしてこんなことになっているのかを説明したい。誰かに。誰よりも自分自身に。
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小僧との遍路を途中で切り上げた後、梅崎さんと向かったのは大阪だった。大阪府東大阪市、生駒山(いこまやま)に抱かれたその場所に、太郎の墓はあった。墓碑には苗字はなく、ただ「太郎」と刻まれていた。りんぼさんの意思を、そして好意を感じた。
……でもこれじゃあれだな、犬みたいだな、と思う。
僕と梅崎さんの後ろには、二人の男と一人の女が立っていた。
「サダさん」と三人は僕のことを呼んだ。
……違う。そこからじゃない。説明するならもっと前からだ。どこだ? あそこだ。俺たちの遍路が中断した地点。愛媛県三角寺。
「師匠」かつての相棒、太郎を殺した男、梅崎さんが言う。「お願いがあります」
「……」僕は無言で梅崎さんの顔を見つめていた。
「おれがこんなことを言えた義理ではないのはわかってます。でも、おれはマツを生き返らせたい」
「はい?」
「マツ、いや、太郎の志を継ぐものがいます。彼らに会ってもらえませんか?」
「……いや、……ていうか、太郎を殺したのはあなただ」僕はしどろもどろになりながらもそう言った。「それに俺、ただのスロッターですよ」
「承知してます」
「俺は団体行動が苦手です」
「それも重々承知してます」
「俺に何かできるとは思えません」
梅崎さんは首を振った。「師匠にしかできないことなんです」
「梅崎さん」僕は言った。「俺は数値化できるもの、言語化できるもの、自分の経験したことしか信じることができない。何より死者の意志というのが俺にはわからない。太郎が何を考えていたかなんて、今になってはわかりようがない。それは太郎の名を借りた梅崎さんの意志ということですよね」
「違います」
「じゃあ太郎の志って何なんですか?」
「上昇の意志です」梅崎さんはきっぱりとそう言った。
「具体的には?」
「この世界に彼の名を残します」
「どうやって?」
「今は詳しくは言えません」
「数値化も言語化もできない話に乗ることはできない。この話にりんぼさんはからんでるんですか?」
梅崎さんは首を振った。
「おれは組織とは別の道を行きます。名前を考えたんです」梅崎さんは言った。「タローズ」
「タローズ?」
「タローズ、です」
「何かカフェみたいですね」
「インターネットで検索すると、タローズもタロウズもけっこうあるんですよね。だから逆にいいかなって思って。太郎という名前の人間がどれだけたくさんいても、おれらにとって太郎は彼しかいない。それで手始めにタローズというお店をつくりました」
「お店って?」
「飲み屋です」
「意味がわからない」と僕は言った。
「あいつ、自分の店をつくるのが夢だったんです」
……そんな話は聞いたことがなかった。というか、あいつと将来の話なんてしたことなんかなかった、か。
「太郎がどんなことを考えていたのか、俺にはわからない」僕はそう言った。「実際、そんな夢があったのかもしれない。でも、その夢が潰(つい)えたのは、あなたのせいですよ。梅崎さん」
「そうです。おれのせいです。だから、これはおれが人生を賭してやり遂げるべきことなんです」
太郎、おまえは間違ってる。俺と梅崎さんは似ていない。俺はこんなにしつこくない。
「梅崎さん、俺には小僧と一緒に生きる義務がある」
「目が不自由になってしまった彼のそばにいてやりたい。まだスロットで生きていく術のすべてを教えてはいない。そういうことですか? 師匠、それは甘えじゃないですか? 師匠と弟子という関係性に甘えてるんじゃないですか? 本当に彼のためを思うなら、あなたなしで生きていく術を授けるべきじゃないですか?」
「……」
このとき、僕はそのとおりだ、と思ってしまった。梅崎さんのことを憎む気持ちよりも強く。
「暴言を吐いてすいませんでした」そう言って梅崎さんは深く頭を下げた。「小僧くんにも同行をお願いしましょう。あくまで彼の意志次第ですが。彼にかかる費用はおれが出します」
「……いや、俺ひとりで行きます。話、聞くだけなんですよね」
「師匠にはタローズの店長をお願いしたいんです」
「は?」
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兵庫県A市。大阪湾と六甲山、それから巨大なふたつの市に挟まれた小さな街に、タローズは居を構えていた。この市には条例でパチ屋が存在しない。本当に一軒も存在しない。もちろん小さな市だから原付を少し飛ばせばパチ屋はいくらでも見つかる。ただ、パチ屋が存在しないところに住むのは生まれて初めてのことだった。
「梅崎さん。俺はここで何をすればいいんですか?」
「師匠はカウンターに座って酒でも飲んでてくださいよ」梅崎さんは以前ともに過ごしたときは見せなかった笑顔で言った。
「そんなわけにはいきませんよ」
「なら、サダさんもカウンターの中に立ってみる?」チーフが言った。
チーフは外食産業の申し子のような接客のプロフェッショナルだった。老舗割烹とフレンチレストランの厨房で修行経験があり、ソムリエの資格を持ち、カクテルをつくる技術、お酒やおつまみに関する豊富な知識も持っている。太郎との接点がさっぱり見えなかった。
「チーフはどうしてここにいるの?」僕は素朴な疑問を口にしていた。
「どうしてって?」
「チーフが望めば自分の店を持てるだろうし、別にここじゃなくても有名な店でも働けるんじゃないの?」
「サダさん、人間は『これしかない』って確信できる道以外歩くべきじゃない。おれはそう思うんだけど、サダさんは違うの?」
「……」
「おれが望んでるのはここ。おれが欲しいものがあるのもここ。サダさんが望むものもここにあるんじゃないの?」
「……」
「何か、サダさんってタロさんの話で聞いてた人と違う気がするわ。それとも何か変わった? 歳とってヒヨった?」
「……」
サダオというのは太郎が僕を呼ぶときの名前だった。山村貞子→サダオ、どうでもいい話だ。
「チーフは口が悪いんだよな。それがなきゃ完璧なんだけどな」梅崎さんは笑う。
「梅さんが口が良いなんて思ったときねえけど?」チーフは言い返す。「だいたい身内に対しておべっか使うやつなんて信用できなくねえ?」
「一理ある」梅崎さんはうなずいた。
「まずはボトル拭きからかな」そう言ってボトルを磨きはじめたチーフの所作に、思わず見とれてしまった。ボトルを手にとる。胸を張る。布を持つ。磨く。これだけの動作に洗練が隠れているなんて考えたこともなかった。僕はできるだけ今のチーフの動きをトレースするように、バックバーに並んだ洋酒のボトルを取ってはグラスターというグラスを磨くための特殊な布で丁寧に拭いた。これならできそうだ、と思いながら。
「もしかしてサダさんってバスケとかやってた?」チーフが言った。
「どうして?」
「ボトルの持ち方が何かバスケっぽいっていうか、バスケ経験者ってボトルの扱い方がうまい気がすんだよね」
「やってたけど」僕は言った。「でも、1年ちょいでやめたから関係ないんじゃない」
「つうかおれも昔バスケやっててさ」チーフが言った。「たぶんバスケって、メジャーな団体スポーツで一番球重いじゃん。だから必然的に手元がしっかりするんだと思うんだよね」
そういえば太郎にも「おまえはドル箱の使い方が安定してる」とか何とか言われたことがあった。
「じゃあ一番球の軽い球技って何だろう」僕のひとりごとのような疑問に、「パチンコじゃね?」チーフはおどけた表情で言った。「その玉の重みは1円なのか4円なのか。またはゼロになってしまうのか。はは。哲学だね」
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カラン、とドアが開いた。
「いらっしゃいませ」とチーフが言った。
「いらっしゃいませ」僕もチーフにならって低い声で言った。
タローズに来るのはたいてい地元の人だ。
「三宮に行った帰りにパチンコ屋寄ってん」客のひとりがそう言った。「最近のはあかんなあ」
「何があかんの?」客の連れが聞いた。
「勝たしてくれへんねん。昔の店はちゃうかってんけどな」
どうしてそんなことを真顔で言えるのだろう? たまたま勝ったという事実をベースに感傷というスパイスで過去を粉飾してるだけじゃないか。が、そんなことは言えなかった。
「兄ちゃんは打ったりするん?」
グラスを拭いている僕にふいに投げかけられた言葉に、思わず首を振った。「いえ」
「打たんほうがええ。勝てへんから」
ぱ、パチ屋行きてえ。遍路中はパチ屋には足を踏み入れていない。ということは、もう2ヶ月近くスロットを打っていないのだった。こんなことは十六歳以来はじめてのことだった。僕はそんなことを考えつつも、黙々とグラスを磨いた。口にする9割は、「いらっしゃいませ」「かしこまりました」「ありがとうございます」ここ数日で覚えたこと。ボトル磨き、グラス磨きは胸を張る。
つづき読みてえ、と思ったら押したってちょ。
♯10へGO!
小説のおともに
牙リバコンビの登場人物紹介1「師匠、小僧、たけさん、越智さん、りんぼさん、梅さん、会長」
牙リバコンビの登場人物紹介2「太郎、桜井時生、榊原六、高崎、トモさん、牙、リバ」
牙リバコンビの登場人物紹介3「チーフ、タローズ」
牙リバコンビの登場人物紹介4「ヒラマサ、エリ、マリリンさん、沙耶ちゃん」
牙リバコンビの登場人物紹介5「佐和、サセさん、三木、山口、竹中」