マ
slot-story chapter2 ♯5
スターライトスコープをつけた黒ずくめの男は戸惑いを隠せずにいた。驚くべきは、梅崎のそのスピードだった。なめていたわけではなかった。きちんと距離をとっていた。注意もしていた。が、なぜか腕をつかまれていた。何が起きた? と思ったときには遅かった。ジリジリと首を絞められていた。気を失うまでに1分もかからなかった。
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太郎はタバコに火をつけて、そして言った。
「サカキバラは?」
「消えた」梅崎は言った。
「てことは、相手は複数やな」太郎は足元に転がる黒ずくめの男を見ながら言う。
「ああ」
「一応、聞いとくけど、おまえの策か?」
「違う」梅崎は即座に否定する。
「やったやつに心当たりは?」
「あるにはある」
「誰や?」
「おまえだ」梅崎は太郎に向かって言った。
「おれ?」
「あるいはおれか」そう言うや否や、梅崎は自分のポケットから携帯を取り出して、ぽきりと折った。それから手を伸ばし、太郎のポケットから携帯を取り出して、同じようにぽきりと折った。そしてそれらを土の中に埋めた。指でこっちに来い、と太郎に合図する。
「何してんねんおまえ」
「疑わしきは処分する」
「……おまえ、桜井さんに連絡するときとかどうするつもりや」
「すべて記憶している。問題ない」
「おまえは問題ないかもしれんけど、おれのプライベートとかあるやろ」
「組織の人間にプライベートなんてない。この世界で生きていくなら覚悟を決めろ」
「……なあ」と太郎は言った。「あそこで転がってるやつのボスは誰やと思う?」
「可能性の話をすれば、サカキバラリクの関係者か。が、こいつの装備を見る限り、それは少し考えにくい。考えたくないことだが、おれらのボス……」
「んなわけないやろ。おれら襲って桜井さんに何の得があるねん」
「あるいは今回道具を用意してくれた高崎さんがからんでるのかもしれない」
「高崎さんの班って……田所さんか?」
「ああ」梅崎はうなずいた。「もう一度確認するが、おまえは何も知らないんだな?」
「知らないも何も、むしろおまえを疑ってるくらいやわ」
「……」梅崎は太郎を見つめた。
「……」太郎は梅崎を見つめた。
「おまえにわかるように単純化した話をするぞ」
「そら助かるわ。はよ話せや」
「おれらはたぶん、内部抗争に巻き込まれてる」
「内部抗争?」
「その前に、あいつをどうにかしないとな」10メートルほど離れた場所で横たわる黒ずくめの男を見ながら梅崎は言った。
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黒ずくめの男が目を覚ますと、ふたりの男が立ちはだかっていた。両手両足の自由がきかない。自分は失敗したのだ、そう痛感した。
サカキバラリクに据えるはずだったお灸を、梅崎は同業者向けに数倍盛った。最初は強がっていた黒ずくめの男もたまらず音を上げた。「依頼されただけだ。それ以上のことはわからない」
「まだ立場がわからないんだな」梅崎は静かな口調で言う。「わかるわからないを判断するのはこっちだ。おまえはただ、聞かれたことに答えるだけでいい」
「わかた、わっかった、わっか、り、まじだああああず、ずいまぜんでぢだあああああああああああああ」
太郎はその一部始終を見て、こいつと友だちになるのはやめよう、と決意した。
デミオは無傷だった。盗聴器、発信機の類を調べたが、見つからなかった。プランBが用意されていない時点でやりかたが甘い、と梅崎は思う。それともそんな余裕がなかったのか。いずれにしても相手には隙がある。が、おれらにも穴がある。タバコを吸おうとする太郎に「車内での喫煙は勘弁してくれ」と言った。
「わかった。くわえるだけやから頼むわ。ほんで、この後どうするん?」
「新宿に向かう。まずは依頼主に依頼の失敗の報告をしないとな」
「そやな」
何かに思い当たったのか、太郎は「なあ」と問いかけた。「ふと思ってんけど、おれらの携帯のどっちかに何かが仕込まれてたんやったらさ、それやったのって高崎さんちゃうくない?」
「おれも最初はそう思った。でも……」
梅崎はもうひとつの可能性を言い出せないでいた。もしかすると自分の携帯こそが発信元だったのではないか。
「でも?」太郎は顔をしかめた。
「わからないことをいくら考えても結論は出ない」梅崎は切り替えるように言った。「わかることからひとつずつ片づけていこう」
「おまえホンマにあいつに似てるわ」
「だからあいつって誰だよ」
「……内部抗争って、桜井さんトップを目指してるとかちゃうのに何でなん」独り言のように太郎は呟いた。
「好むと好まざるとってやつだ」気づくと梅崎は太郎の独り言につきあっていた。「実際、桜井班長の勢いは突出してる。年齢から言えば田所班長が、実績から言えば竹田班長が。その他の幹部は誰につくかで揉めてる。おまえだってそうだぞ。松田遼太郎。好むと好まざるとに関わらず、おまえはこの抗争の只中にいる。それが嫌なら実家に帰れ。悪気で言ってるんじゃない。戻る場所のある人間は戻ったほうがいい。この先にあるのは地獄だ」
「なあ梅」太郎は言った。「おれ、明日行きたいとこあんねんけど、ええかな」
「どこに?」
「パチ屋」
「意味がわからない」
「最後に会っておきたいやつがおんねん」
「……」
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「おかえり梅松ブラザーズ!」意外にもママの第一声はそれだった。「ありがとうー。彼ったら謝りにきてくれたわ。お灸がきいたのかしらね。はいこれ。残りの謝礼」
「すんません」と言って太郎が受け取る。
「それで、トキオは元気?」
「桜井さんすか? 元気っすよ」太郎は答えた。
「よろしく言っといてちょうだい。それじゃ、今日ちょっと忙しいからこれで。もしよかったら席つくるから何か飲んでって」
「いや、おれたちはまだ仕事が残ってるんで」と梅崎は言った。「失礼します」
「ようわからへんねんけど、これで仕事終わりなんかな」
「まずは桜井班長に報告する」
公衆電話を探し、梅崎は大阪にある事務所に電話をかけた。電話番に話を聞くと、桜井は外出中という。桜井の携帯に電話をかけてみたが、コール音はするものの、留守番電話につながってしまう。
「つながらないんか。携帯ないとマジ不便やな」
「しょうがない」
ふたりは車に戻り、梅崎はハンドルを靖国通り方面に切った。
「なあ、これ、春日の事務所に向かってんちゃう?」
「そうだ」
「おまえ、高崎さん怪しい言うてたんちゃうの」
「怪しいと言っても、共有すべき事務所内で何かことが起きるということはない」
「言い切れるん?」
「言い切れる」
実際は博打のようなものだった。が、梅崎には妙な確信があった。
「道具、ありがとうございました」梅崎は言った。
「お疲れー」高崎は気の抜けた声でそう言った。「これからどうすんの? もし腹減ってたら一緒に食わない?」
「いや、ちょっとここ使わせてほしいんですよ」梅崎は言う。
「どうして?」高崎は首をかしげた。
「携帯壊れちゃって。班長と連絡が取れなくて」
「ああそう。じゃあ、どうしようか」
「おれ、何か買ってきますわ」と太郎は言った。
「悪いね松太郎。じゃあこの金で三人分、何か見繕(みつくろ)ってきてよ」
「ういーっす」
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と、事務所のドアが開き、光沢のある、いかにも仕立ての良さそうなスーツを着たひとりの男が入ってきた。
「お疲れ様です」と言って高崎は立ち上がる。
「お疲れさま」声の主は言った。
「はじめまして」梅崎は頭を下げた。「梅崎と言います」
「君は気づいてないかもしれないけど、2~3回は会ってるんだよ」と言って声の主は笑った。「高崎、ちょっと外してくれるか」
「はい」
高崎が外に出ていくと、部屋には梅崎とその男、田所りんぼが残された。
「そんな警戒しないでよ」
「……」
「この部屋には盗聴器はないし、今君が持っていないのだとしたら、この会話を誰かに聞かれることはない」
「……」
「僕の認識を話してもいいかな」
何だこの威圧感は……振り絞るように梅崎は声を出した。「……はい」
「僕はね、竹田くんと争うつもりはないんだよ。竹田くんが出世を望むなら、そうすればいい。桜井も同じように思ってるはずだよ。あたかも僕たちが対立してるみたいな雰囲気をつくってるけど、全然違う。竹田くんが勝手に三人の対立という絵図を描き、捏造した覇権の物語の中で主役を気取ってる。ナンセンスな話だ。君は内偵のために桜井班に出向している。そうだね。否定しなくてもいい。そんなことは桜井もとっくに気づいている。僕が今、君に持ちかけたいオッファーは『僕のところに来ないか?』というものだ。今すぐに、という話じゃないよ。竹田くんが無事、桜井と僕よりも高い地位を確保した後でいい。君は身の振り方を考えた方がいい。君、殺されるよ」
鳥肌が止まらなかった。何だこの人は? 声を発することができなかった。こんなことは梅崎の人生で初めてのことだった。
「今日、おれたちは襲撃を受けました」やっとのことでそう言った。しかし次に言い出すべき言葉が出てこなかった。(自分の本当のボスである)竹田さんがおれを襲ったんですか? なんて聞けるはずがなかった。
「君たちがしていたのは、桜井の個人的な交友関係から派生した頼まれごとだね」
「はい」
「君は今、誰が敵で誰が味方かを見極めようとしている」
「……」
「でもね、梅崎くん、組織に敵なんていない。僕はそう思うよ。君が考えるべきは、君が組織の敵になっている可能性だ」
「……あなただったんですね」と梅崎は言った。「サカキバラリクを奪還した何者から再奪還して無事に帰したのは」
事実、田所班は組織のバランサーと呼ばれていた。ケツ持ちのケツ持ち。田所りんぼはその質問には答えずに言った。「いいかい。何かが起きる前に僕のところに来るか、あるいは洗いざらいぶちまけて、桜井に泣きつきなさい。彼は信用に足る人物だ。自分の命はどうあっても君の命は保証してくれるはずだ。それが彼という人間だ。何より、君は死ぬべき人間じゃない」
「ただいまーっす」という能天気な声が玄関から聞こえた。
「おい、待てって言ってるだろ」高崎の声が後ろから追いかけてきた。
「すいません、班長、こいつがどうしても班長に会いたいって言うもんで」高崎は太郎の肩を乱暴に掴みつつ、そう言った。
「構わないよ」田所りんぼは言う。「松田遼太郎くんだね」
「はい。田所班長。はじめまして。どうも、太郎と申します。以後、お見知りおきを」
こいつ……と梅崎は思った。空気が読めないのか? あるいは空気を読んだ上でこの行動を取ってるのか?
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梅崎の不安をよそに、太郎と高崎と田所りんぼの三人は、和やかに談笑しながら太郎が買ってきた大量の食料を食べつくした。その後で田所りんぼは桜井時生に連絡を取った。
「はい。梅崎くん」田所は梅崎に携帯を手渡す。
「梅ちゃんオツカレー」桜井時生は言った。
「お疲れ様です」
「ええと、これでふたりの出張も終わり。どう? 仲良くできた?」
「……いえ」梅崎は首を振った。
「そっか。まあ、いいよ。一緒に過ごした時間ってやつが大切だからさ。松太郎にも代わってくれる?」
「はい」
「ういっす。太郎っす」
「松太郎オツカレー」
「お疲れーす。あの、桜井さん。明日大阪戻るのって昼以降でもいいですか?」
「何か東京でやり残したことでもあるの?」
「はい。おれも覚悟決めようと思って」
「覚悟ね、いいよ。でも、ふたり一緒に帰って来いよ」
「はい」
……梅崎は思う。こいつは素直なだけなのかもしれない、と。ほとんど100%に近い素直。その素直をそのまま態度や言葉というアウトプットとして発散し続けるコミュニケーション能力。どうしてそんなことが可能なのだろう? 梅崎は不思議に思うと同時に感心していた。それは梅崎という人間にほとんど100%足りない要素だったからだ。
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「すごい人やったな」帰りの車の中で太郎は言った。「あの人やろ。次期会長の最有力候補って」
「ああ」梅崎はうなずく。
「なあ、梅」
「ん?」
「竹田四郎さんってどんな人?」
「……恩人だ」
「何かやあ」太郎はしみじみと言った。「班長ってみんなすごない?」
「何が?」
「いや、超人やん。桜井さんもそうやし、田所さんもそうやし。たぶん竹田さんって人もそうなんやろ。おれ、自分のことをすごい人間やと思ってるけど、あの人らって何かものが違うっていうか」
「……」
「他人の人生を一瞬で変えてしまうような人間ってけっこういるんかなあ」
「いるはずないだろ。いや、いてたまるかよ……」梅崎は言った。
「おれってどない?」恥ずかしげのかけらもなく、太郎はまっすぐに梅崎の目を見て言った。
「……」梅崎は思わず笑ってしまった。「おまえ、アホだろ?」
つづき読みてえ、と思ったら押したってちょ。
♯6へGO!
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