楽なほうに流れるやつは状況が変わったときに動けなくなる


永里蓮
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♯92
第三章「永里蓮、絶望の淵で」



「蓮くんは言ってたよね。人生は不運からはじまるって。その不運、本当に不運だったのかな?」

 綾香から何件かメールが入っていたが、わけがわからなかったので、返信は保留することにした。

       Φ Φ Φ

 倉石が予約したという畳の個室がある居酒屋に4人で入る。乾杯の音頭を取ったのも倉石だった。倉石はこういった人間調整的な仕事が合うんだろうな、と思う。接着剤みたいなやつだから。
「永里が会心の勝利を収めてくれました。ハネさんも草葉の陰で喜んでくれていることと思います。ハネさんがああいう形で他界して、すげえ悲しくて、どうしていいかわかんないくらいに悲しくて、でも、ここでひとつの区切りにしようと思います。今日は飲みましょう。乾杯」
 なげーよ、と突っ込みつつ、タカタと、ゴリと、倉石とジョッキを重ねた。釈然としない気持ちがわだかまってはいたが、ビールはうまかった。

「蓮、おまえはすごい」アルコールが入って口調が滑らかになったタカタは言う。「おれはあのでけえのが出てきたとき終わったと思ったもん」
「ほんとそうっすよね」倉石が相槌を打つ。「正面で向かい合うだけでしんどそう」
「ほら言っただろ」ゴリが得意げに言う。
「もういいよ」おれは言った。「そんなことより、おまえら本当に組織の世話になるのか?」
「ああ」倉石はうなずく。
「死ぬぞ?」
「ハネ、たけし、マリオ、おれの仲間は全員死んじまった」タカタは笑う。「もともと反抗する以外に何か取り得があったわけじゃない。弱肉強食ってほうがわかりやすい」
「おれもハネさんが死んだ時点で普通の世界にいられるとは思ってない」倉石はそう言ってタバコに火をつけた。
「そうか」
「……兄貴、何でおれには聞いてくれねえんだよ」
「おまえはいいわ」
「永里はどうすんの?」倉石は言う。
「どうするって?」
「おまえも無関係ではいられないだろ」
「知らねえよ」おれは言った。「おれはただおまえらのケンカの代行をしただけだ」

       Φ Φ Φ

「……ちょっとしょんべんして来る」
「ああ、おれも行く」と言ってゴリがついてくる。
 並んで小便器の前に立ってゴリが言う。「なあ、兄貴」
「ん?」
「何で最近、おれのこと無視すんだよ?」
「無視なんてしてねえだろ」
「冷てえじゃん」
「おれは別におまえの彼氏でも肉親でもねえ。やめろよ、そういうの」
「気づいてたってことか」ゴリは言った。
「は?」
「なあ兄貴。気づいてたんだろ?」
「何を?」
「……ハネ殺したの、おれなんだ」ゴリはそう言うや否や、ポケットから刃物を取り出すと、小便中のおれに刃物を向けた。

 刃物が体に入ってくる様がわかった。ゾーンに入る、と言った伝説のアスリートのように、すべてがスローモーションのように見えていた。ゴリは全体重を乗せ、刃物をおれの体に突き立てようとした。おれはゴリの手に握られた刃物が体内に完全に侵入する寸前で、体をねじった。小便が威勢よくトイレの床にこぼれた。縮んだ性器からは小便が流れ続けている。おれはその情けない格好のまま、ゴリから刃物を取り上げた。
「……いっつもそうだよな。全部かっさらっていく」虚ろな表情のゴリはそんなことを言った。
「は?」
「常にそう。恵まれたやつが全部かっさらってく。ハネも、あんたも。最初から決まってるんだよ。知ってるか? あの組織はあんたの身内がつくったもんなんだってさ。だからあんたは無条件で幹部候補生だ」
「ふざけんなよ」憎しみをこめておれは言った。「集団なんて属すかよ。クソが」
 ゴリは首を振った。「そもそもあんたのその強気も初期設定なんだよ。卑屈なやつは卑屈な人間として生まれる。生まれてきてくれてありがとう。そしておめでとう。あなたは卑屈というアビリティをゲットしました。で、どうする? 自分の卑屈と戦うのか? やだよ。めんどくせえ。他人を陥れるほうが楽だろ」
「それが楽しいの?」
「うん」
 ゴリの顔面を殴った。ゴリはおれの小便まみれの床に倒れ込んだ。
「楽しい?」と聞いた。「おれよりおまえのほうが弱く生まれたから、こうやって蹴られるのが楽しい?」
 小便まみれの床に倒れ込んだゴリを蹴り飛ばした。
「楽しい? 初期設定が違うから、年下を兄貴とか呼び始めて、裏切って刺し殺そうとするのが楽しい?」
 小便まみれの床に倒れ込んだゴリを蹴り飛ばした。
「ごふ」ゴリはさっき飲んだばかりのビールを吐き出した。
「だせえ」おれは言った。「ダサすぎて頭痛え」
「だせえやつにだせえって言うなよ。それこそあんたの言う1+1=2だぜ」ゴリはおれを見上げてそんなことを言った。「頼まれたんだよ」
「は?」
「全部頼まれたんだよ」
「は?」
「おれには弟しかいねえからよ。お母ちゃんもお父ちゃんも死んじまったからよ。ワンピース読んで海賊目指すような馬鹿な弟だけどよ、おれには弟しかいねえからよ。だからあんたの弟分になるくれえわけねーんだよ」
「何言って……」
 携帯が震えていた。母からの着信だった。
「よく頑張りましたね」
「何が?」
「あなたの人生は、つらいことばかりでした。ですが、そのつらい日々も今日で終わりです」
「何言ってんの?」
「どちらかを選びなさい。水沼綾香か、氷野アキか」
「は?」
「水沼綾香の命は後1時間。氷野アキの命は後7時間。今は午後10時半。電車も飛行機もありません。始発を待ってる時間もありません。今すぐに選びなさい」
「何言ってるかわかんねえよ」
「二択です」
「だから意味がわかんねえって言ってんだよ」
「あなたが選ばなければ、ふたりとも死にます」
「何でだよ。どうしてそんなことすんだよ?」
「決まってるでしょ」母は言う。「あなたのためよ」
「そんなの知るかよ」ほとんど泣き声でおれは言った。「頼むからやめてくれよ。おれ何でもするから」
「何でもする? じゃあ選択なさい。ただし、どちらかの女の子だけです」
「あいつらの意思はどうなんだよ? そんな勝手な話あるかよ」
「どちらも選ばないというなら、ふたりとも死んでもらうだけです」
「……猶予は?」
「猶予はありません。すぐに決断なさい」
「ふざけんなよ、てめーが死……」
 おれの言葉が母に届く前に、電話は切れていた。

       Φ Φ Φ

「兄貴」ゲロと小便にまみれたゴリが言った。「ざまあねえな」
 おれはチャックを上げ、手を洗い、ゴリにも倉石にもタカタにも声をかけず、走って居酒屋を出た。店の前に黒いセルシオが停まっていた。
「乗れよ」桜井さんは言った。
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