おまえにしかできないことだけをすればいい


永里蓮
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xyz♯94
第三章「永里蓮、絶望の淵で」


「ついたぞ」桜井さんは言った。
 そこは初めて梅崎と対面した船橋の海だった。
「桜井さんは?」
「おれはここで待ってるよ。ま、頑張れよ」
「あの……」
「ん?」
「綾香のこと、よろしくお願いします」
「わかったよ」
 外に出ると冷気を含んだ海風が体にまとわりついてきた。
「早かったじゃないか」杖をついた老人が言う。
「あなたがラスボスなんですね」おれは目を細めた。「コウ先生」

       Φ Φ Φ

「大きくなったな、蓮」たぶんおれとは別の意味合いでコウ先生は目を細めた。
「はい。綾香は無事ですか」
「無事だ」
「どこですか?」
「おまえが私に勝てたら開放しよう」
「勝てなかったら?」
「おまえがいなくなった後の世界のことをおまえが気にしてどうする?」
 コウ先生の物言いがおかしくて、おれは笑った。
「何がおかしい?」
「先生」おれは言った。「人間は4種類に分かれます。人の気持ちがわからない天才というクズ。自分のためにしか頑張れないクズ。他人のためにしか頑張れないクズ。誰のためにも頑張れないクズ。先生はどれですか?」
「人のことをクズなどと言ってはいけない。敬意と尊重を持たねば」
「敬意と尊重を持つ人間がおれを殺そうとしますか?」
「合意の上だ」
「どこが合意なんだよ。おれはコレっぽっちも戦いたくないよ」
「通過儀礼。必要なことだ」
「勝手な言い分だね。先生のせいで今間と在原のやつらが今でも憎みあってるよ。先生なんでしょ黄兄弟って」
「ああ」
「先生にはこういう未来が見えてたの?」
 先生は首を横に振った。
「黄泉にも梅崎にも会ったよ。先生の弟子なんでしょ」
「ああ」
「あのふたりは強い。先生も鼻高々なんじゃない?」
 先生は首を横に振った。
「先生はたぶん、人の気持ちがわからないクズなんだね。そしておれは、自分のためにしか頑張れないクズなんだ」
 おれはそう言いながら先生に習った打撃を放った。
「先生には罪悪感はないの? 先生が教えた技術で人が死んでいく事実に夜な夜な枕を濡らしたりしない?」
 おれはそう言いながら先生に習った打撃を放った。
「先生は世界の本質が劣化にあるって言ってたよね。もう十分生きたでしょ」
 おれはそう言いながら先生に習った打撃を放った。先生はそのすべてを受け流す。
「ねえ、先生。いい加減死ねば」
 喋れば喋るほど、自分が悪者になっていく感じがした。それが心地よかった。おれは差別主義者で、偏屈で、セックスが好きで、酒が好きで、スロットが好きで、それで、おれはこの世界が好きだった。あれ? 文法がおかしいな。それで、という接続詞は「順接」というやつで、前の言葉と後ろの言葉をその方向につなぐ接着剤のはずだった。おれは差別主義者で、偏屈で、女が好きで、酒が好きで、スロットが好きで、それで……やっぱり「それで」じゃおかしい。前の言葉がネガティブな意味合いを含んでいるのだから、ポジティブな言葉につなげるには逆接じゃないとおかしい。でも、おれはどうしても「それで」を使いたかった。どうしておれはワガママなんだろう。ルールを曲げてまで自分を押し通すような人間なんだろう。親の育て方のせいかな。

「強い者は生き、弱い者は死ぬ」先生は瀬田宗次郎みたいなことを言い出した。「そんな自然界の掟を捻じ曲げたのは、群れという概念だった。群れとは社会。社会の掟、法律は強い者を縛るためにあり、その運用体系である政治は強者の存在を許さない。蓮、おまえの中にある集団に対する嫌悪感を植えつけたのは私だ」
「だから何?」
「社会の中にある、出る杭(くい)は打つ、臭いものには蓋(ふた)をする同質性、禁忌、排除の法則……」
「先生は大勢でワイワイやってるのがうらやましかったんじゃない?」先生の言葉をさえぎっておれは言った。「何だ。先生もダサいじゃん。がっかりだよ」
 言葉とは裏腹に、おれは先生の動きに感服(かんぷく)していた。老人とは思えない動きというよりも、老人にしかできない動きだった。無駄というものがない。行動と目的の同一。精巧な機械みたいだった。おれは何度も仕掛け、何度も転ばされた。どれだけの修練の果てにこの動きを獲得したのだろう。その時間を思うと眩暈(めまい)がした。おれの優位性は若さしかなかった。長期戦に持ち込むしかないのだった。
「先生には性欲ってないの?」
「そんな修羅みたいな人生楽しい?」
「先生が育てたガキの手で死ぬってどういう気分?」
 そんな言葉でかつての師を愚弄した。それは同時に自分を愚弄することだった。この世界はおれに都合の悪いようにできていた。それは逆におれに都合の良い世界でもあった。
 手を伸ばそうと思う。おれの手はその通りに動く。足を出そうとする。おれの足が動く。自由自在だ。そうだ。おれにはできる。何でもできる。目の前のちっぽけな老人を凌駕(りょうが)することだって可能なはずだ。もっと早く。もっと厳しい角度で。もっと素早く。もっと重く。おれは進化する。今、この場で進化するんだ。空を食べるくらい圧倒的に。

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 コウ先生が倒れたのは月の角度が15度くらい傾いた頃だった。
「先生、バイバイ」おれは言った。
 これで綾香は助かった。少なくともおれの選択で死ぬことはなくなった。次は氷野を助ける。おれは本当に自分勝手なんだな。知らなかった。もしかしたら、他の選択肢があるのかもしれない。すべてが丸く収まる妙案があるのかもしれない。でも、おれの頭ではこれ以外の答えは出せなかった。母のXと父のYで生まれたおれ。これ以上ないもの。最後のアルファベット。Z。おれがご先祖様の遺伝子を受け継いだ最後の人間だ。いかにも頭の悪い結論だ。母さん、生んでくれてありがとう。でも、おれはあんたの思い通りにはならない。規則的に並んだテトラポットの上を進む。深く息を吸い、そのすべてを吐き尽くす。水平線に平行して伸びる光の方へ足を踏み出す。

 それがおれの記憶だった。
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永里蓮の部屋
「赤いライオン、或るスロッターの明るい部屋」

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