もし反省が、後悔の同義語だったらしないほうがいい。

永里蓮
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xyz♯82

第三章「永里蓮、絶望の淵で」


 楽しいって何ですか? という綾香の問いかけに、「ワクワクすること」と桜井さんは答えた。
 おれはその答えに満足した。が、綾香はそうではなかったらしい。
「それって抽象概念ですよね」
「開くか閉じるか。その違いかな」桜井さんは言った。「好むと好まざるとにかかわらず、大人になると限界が見えちゃうんだよ。だからほとんどの大人は閉じる方向に人生の舵を取る。でも、それだとやっぱつまんないじゃん」
 綾香はハンドバッグの中からセブンスターを取り出し火をつけた。
「なあ、吸ってもいいですか、とか聞けよ」おれは言った。
「あのさ」綾香はタメ口で言った。「ふたりの口からは幸せな家庭みたいな言葉が出て来る気配がないけど、幸せな家庭を築いて末永く幸せに暮らしますみたいのはないの?」
 おれと桜井さんは顔を見合わせ苦笑した。それから桜井さんは話をはじめた。

       Φ Φ Φ

 オレがこの世界に入ったのはある女を捜すためだった。ある女っつうか、かみさんなんだけどさ。がむしゃらに上を目指して何とか自分の裁量で人を動かせるようになってわかったのは、かみさんがすでにこの世界に存在しない事実だった。絶望したよ。死のうかと思った。けどやっぱりそんなわけにはいかなくて。やっぱり本能って超強力でさ。オレにできるのは楽しむこと。楽しもうとすることしかなかった。

       Φ Φ Φ

 おれは感動していた。一回り以上年下の人間に平易な言葉で自分の話をしてくれる大人の男性の姿に。しかし綾香はそうは思わなかったようだ。
「そんなの男の勝手な言い分じゃん」綾香は言った。「結局男は拡大だけが目的で、どこまで行っても拡大拡大拡大で、終着点がないってことでしょ。桜井さん。この人ずっと一緒にいてくれるって小学生の頃言ったんですよ。嘘つき」
 言いたいことはあったが、黙ってビールを飲んだ。綾香はおれの手にあったビールをひったくるように奪い、ゴクゴク飲んだ。飲んで飲んで飲み干して、ハーという甲高い声を出して、テーブルの上につっぷして眠ってしまった。
「……何か、すいません」
「てかさ、考えてみたらオレまだ何も話聞いてないんだけど」桜井さんは言った。
「そうでしたね」
 おれは人生のはじまりから順を追って話した。桜井さんはビールを片手におれのつたない語りを聞いてくれた。おれの人生が船橋から神戸へ、在原までたどりついた頃には5杯目のジョッキからビールがなくなりかけていた。
「いい人生だな」桜井さんは言った。「うん」
 そんなことを言われたのは初めてで、戸惑ってしまった。
「桜井さん。集団にかかわらずに生きていくのは可能ですか?」酔ったおれはそんなことを口走っていた。
「設定次第じゃない?」
「設定、ですか?」
「世界で一番古い会社って日本にあんだよ」桜井さんは言った。「金剛一族が経営する金剛組。マンガとかゲームの設定みたいだけど創業578年。ムシゴメで祝った大化の改新よりも前だぜ」
「たしか大阪にあるんですよね」
「うん。大陸から聖徳太子に呼ばれて四天王寺をつくった男の組織が千年後に大阪城建築に携わる。男心をくすぐる設定。組織のみならず、システムを存続させたければ、終わらない歌を歌うしかない。果たせない目標、倒せない強敵を求めるしかない。男心でも女心でもいいけどくすぐり続けなければいけない。実現可能性、継続性、目標設定。個人で生きていこうとするのも同じじゃねえかな」
「さっき綾香も言ってましたけど、結局拡張するしかないんですかね」
「足るを知るって言葉がある」桜井さんは言った。「でもさ、足らないから生きていけるってのもあるよな。これ以上ない絶頂を味わっちゃったらもう生きてる意味ないもんな」
 おれは深くうなずいた。その瞬間、綾香ががばっと起き上がり、「バカー」と言い、またテーブルにつっぷした。が、それ以上眠れなかったのか、綾香はそーっと起き上がり、「タバコ吸ってもいいですか?」と聞いた。
「どうぞ」と桜井さんが言うと、綾香はセブンスターを取り出して、ぷはあと白い煙を吐いた。それから言った。「私をその秘密結社みたいなのに入れてください」
「世界征服を目論む秘密結社、入る?」桜井さんは笑顔で言った。「じゃあまずはイーの練習しよう」
「イー」と綾香は言った。
「もっと」
「イー」と綾香は言った。
 おれはたまらず笑った。「こいつ、戦闘員なんすか?」
「イー」と綾香は言った。
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