楽しい道は、危険に満ちている


永里蓮
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xyz♯87
第三章「永里蓮、絶望の淵で」


 梅崎が夜毎やってきて、管理がガバガバな今間中学の校庭で暗器の使い方を学んだ。というのは梅崎の顔を立てるためであって、おれの狙いは梅崎の強さを少しでも盗むことだった。ひとつわかったことがあった。こいつの言動には主体がない。「おれが」というのがない。オレも俺も私も僕もぼくもない。一人称のない人間の思考を理解できるはずがなかった。梅崎は笑わない。梅崎は怒らない。感情の発露がない。人間というよりも、目的そのもの。それが梅崎の強さだった。おれはおれであり、おれ以外の何者でもなく、おれのコントロールタワーには利己的なおれの感情が居座っていた。今のシステムのままでは梅崎に勝つのは無理そうだった。
 おれが年上をおまえ呼ばわりするのは主にそいつをムカつかせるためだ。が、梅崎はそんなこと歯牙(しが)にもかけないのだった。
「おまえには怖いものとかないの?」おれは聞く。
 梅崎は首を振る。
「うおおおおやりてええええとかってないの?」おれは聞く。
 梅崎は首を振る。
「じゃあ何が楽しいの?」おれは聞く。
 梅崎は首を振る。
「なあ」おれは言う。「あそこにいる猫と街灯の周りを飛ぶ羽虫とおれに優先順位をつけてみて」
 梅崎は首を振る。
 たぶんはそういうことだった。梅崎にとって猫だろうが羽虫だろうがおれだろうが関係ない。殺せと命令されれば殺すし、教えろと命令されたら教えようとするだろう。猫だろうと羽虫だろうとおれだろうと。

       Φ Φ Φ
 
 梅崎に渡された暗器は3種類あった。ひとつは鍵(にしか見えないナイフ)。もうひとつはボールペン(にしか見えない仕込み針)。もうひとつはズボンのベルトループに引っ掛ける式のキーホルダー(の形をしたナイフ)。暗器、忍者のクナイみたいのを想像していたおれは面食らった。そりゃそうだよな。クナイを胸に忍ばせてたら危ないか……。
 しかしこういう気持ちは久しぶりだった。正直に告白すると楽しかった。梅崎との再戦を心待ちにしながら朝からパチ屋へ。夜ご飯を食べた後、梅崎のレッスンを受ける。梅崎との差が縮まることはなかったが、それでもその時間には可能性があった。期待値があるのだった。

 何事にも基礎というものがある。しかし訪れる未来はその基礎で対処できるものではない。たとえばボクシングの基礎であるジャブ。その練習のほとんどは、同じくらいの体格の人間を想定して行われる。けれど実際は、対戦相手によってリーチが違う。身長が違う。ボクシングは階級制だが、路上ではそうはいかない。2mを超える男と戦う際に、練習通りのジャブでは何の効果も得られないのだ。みたいなことを梅崎は語らない。しかし梅崎の動きを模倣する中で、おれは勝手にそんなことを学んだ。大切なのは応用なのだ、と。基礎と応用。それは一見、相反する力に思える。基礎とは取り入れるもの。応用とは搾り出すもの。その相反する力をまとめるのが個性なのだ。個性は強ければ強いほどいい。そこに感情は必要ない。

       Φ Φ Φ

「なあ、うち気づいてもうてんけど」氷野は言った。
「ん?」
「料理ってさ、つくってあげる人がおらな意味ないな」
「え?」
「さいきん料理ばっかりしてるねんやんか」
「知っとうで」おれは言う。
「膨大な量やねんや」
「うん」
「おとんとおかんが、もういらん、言うねんけど」泣き声で氷野は言う。「食材の無駄遣いやめ、て」
「ハハ」と笑った。
「蓮に料理つくるやん。で、蓮はきっと文句ばっか言うやろ。うちは一生懸命つくってるねんで。それでもうまくいかへん。それって悲しいことやなと思わへん?」
「悲しい、か?」と言って笑った。「何でもそうちゃう。何かをしたいって気持ちと、その結果は別問題なんちゃう」
「じゃあどうしたらいいん?」
「得意なんを見つける。自分の得意な分野を見つけてそこを中心に展開してく」
「デンどうしたん?」
「ん?」
「何か声が落ち着いてるな」
「おれ今、成長期」
「成長期遅ない?」と言って氷野は笑った。
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