不安を感じる敏感な自分にひと安心。

永里蓮

IMG_7936
xyz♯7 
第一章「永里蓮、スロットに出会う」 



 後ろの席の人に声をかけて座席の角度を変えた。ブランケットに包まり、目を閉じる。目蓋の向こうでちらちら明滅する光(前の席の奴がカーテンを開けているからだ)と高速を進むバスのカラカラカラカラという駆動音だけが世界のすべてだった。
 この世界はどうしてこんなにも不完全なのだろう。何なん? 何でなん? どうしてこの世界はおれに優しくないのだろう? 千葉県北西部も、兵庫県南東部もそうだった。であるならば、東京でもそうだろう。であるならば、ニューヨークでもパリでもそうだろう。都市部以外だったら違うのか? 社会体制で違うのか? いや、同じだろう。人間という生物がいる限り、大同小異で不完全なはずだ。それでも人間のいない場所で生活ができるとは思えなかった。おれが不完全な生き物であることは明白だった。それでもおれこそが世界なのだ。おれのいない世界なんてあるはずがない。だったらおれはこの世界の王様だ。民はいない。不完全な世界の完全なおれ。

 

 氷野に会いたいと思った。無理だった。高速を進むバスよりも、もっとすごいスピードでおれたちの心は離れたのだ。おれたちの関係は終わった。覆水が盆に返らないことは、おれが生まれる遥か昔に証明されているのだ。

 綾香に会いたかった。無理だった。とっくの昔に綾香はこの世界から消えた。

 二度とかかわれない関係性が、おれの求めるすべてだった。ではおれは、どちらの女性により心を惹かれるのか。その疑問に答えることは不可能だった。時間軸が違う。世界が違う。それでもおれは今、彼女たちを求めていた。

 おれの求めるものは、なくなったもの、届かないもの。だとしたら、おれは永遠に幸せになんかなれない。父のあの乾いた瞳を潤ますことができなかったように。

 記憶がある限り、おれの世界では誰も死ぬことはない。でも、おれは永遠に、その人たちに会うことができない。 

 XYZ。それ以上先のないもの。完璧なもの。遠ざかってほしくない過去と、近づきたくない未来。

 XYZ。おれの望みが永遠に叶わないのならば、おれが生きている意味はあるのだろうか? このバスはいずれ東京駅に着く。で、おれはどこへ向かう? 

 向かいたい場所なんてひとつしかなかった。氷野の太腿。綾香の笑顔。それらはほぼひとつの概念だった。氷野はおれのことを差別的と言った。綾香はおれのことを自分勝手と言った。彼女たちの世界でおれはどういう存在だったのだろう? おれと会っていないとき、おれのことを思い出すことはあっただろうか?


 東京駅に着いたのは6時だった。鈍色の空からは雨が降っていた。完璧だ、と思った。でも、おれに仇なすこのXYZを喜ぶことはできなかった。

 荷物を抱えて駅の構内に入り、今月で契約の切れる携帯電話の電源を入れて、通話ボタンを押した。10コール目で相手が出た。「……蓮? どしたん? てか、今、何時?」

「……なあ、氷野。おれ、氷野のことが好きだ」

「え? 何て?」

「なあ、氷野、おれ、おまえのことが好きだ」

「あんた、今どこおんの?」

「……」

「なあ、て、蓮、聞いてんの?」

「氷野、おれわからへん」

「は?」

「ちょごめん。わからん」

「蓮、なあ、どこおんのって」

「雨降っとう」

「は? 雨? 蓮、あんた、泣いてんの?」

「ごめん」

「……うちもあんたのことが好きやってんで。何であんとき止めてくれんかったん?」

「……氷野に会いたい」

「だからどこおんのって」

「……東京」

「は? 東京? 何で?」

「何でやろ。なあ、氷野、会えへん?」

「無理やろそんなん」

「新幹線で来て」

「は?」

「飛行機でもええ。金やったらおれが出すから」

「それやったらあんたが戻ってきたらええやん。そしたら会えるやん」

「無理か?」

「てか、あんた、マジで東京おんの?」

「……うん」

にほんブログ村 スロットブログへ
つづき読みてえ、と思ったら押したって。     


♯8へGO!