おれが生きていけるのはここだけなのだ。それさえわかってればどこでも行ける。 

永里蓮

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xyz♯6
第一章「永里蓮、スロットに出会う」 



 夢を見ている。そこはどこか知らない部屋だ。おれは大きなテレビの前にいて、そのテレビに映るニュースを眺めている。ただ呆然と眺めている。神妙な面持ちの女性レポーターがカメラに向かい、滑舌良く、しかし重く、語りかける。

「私は今、東京湾岸のT埠頭に来ています。本日正午過ぎ、この場所で綾香ちゃんの遺体は発見されました。綾香ちゃんはトランクに入れられたまま、車ごと沈められたのです」

 映像はスタジオに切り替わり、痛ましい事件です、と司会者が言った。その後で識者らしき人物が言う。

「中年男性と歩いているのを見たという目撃証言があるんですよね」

 目の前の綾香がおれに言う。れんくん、そばにいてね。ずっとずっと。おじいちゃんおばあちゃんになるまでずっと。いい? おれは力なくうなずく。綾香は絶対だよ、と念を押す。おれはわかったよ、と言う。じゃあ指切りね、綾香は右手の小指を差し出す。おれも右手の小指を差し出す。


 現実の扉が目の前にあった。それは今にも開きそうだった。おれはもう少し夢を見ていたかった。やめてくれ、おれはもう少し眠っていたいんだ。夢を見ていたい。徐々に扉が開いていく。いやだ。起きたくない。徐々に徐々に扉が開いていく。おれは懸命にドアを閉じようと試みる。しかし無理だった。それは開かれてしまった。完全に。
 

「どこだ、ここ?」

 おれは漫画喫茶のリクライニングチェアで寝ていたのだった。体が痛かった。起き上がって小用を足しに行く。トイレの窓から察すると夕方だった。「ドラゴンボール」を元の場所に戻し、支払いを済ませて外に出た。珍丼亭でカツ牛を食す。それからおそらく最後になるだろう三宮の街をうろうろし、北野坂方面へ向かった。

「お金、あんまり持ってないんですけど、この間のカクテル頼めますか?」おれは言った。

「かしこまりました」マスターはうやうやしくうなずいた。

 まだ店は開いたばかりらしく、客はおれひとりだった。お金を持っていないというのはウソだった。おれは義父からもらった300万という大金を持っている。時代を真空パックしたような古い音楽が流れている。何だか急激に歳を取ったような気がする。タバコを吸いながら、マスターの動きを見つめる。

「お待たせしました。XYZです」

「ありがとうございます」と言いながら、おれは華奢なグラスを手に持って、ぐびっと飲み込んだ。小さな森の精が口の中で魔法をかけたような感覚があった。

……これ、こないだと違う? よく見るとカクテルの色も違った。ほのかに茶色かった。

「お気に召しませんか?」

「いや、美味しいです。何て言ったらいいかわからないんですけど、今日の方が優しいっていうか」

「このカクテルのレシピは全世界共通なんですね。絵画でいう黄金率みたいなものなんです。このカクテルが以前召し上がっていただいたものと違うのは、ベースがダークラムなんです。オーク樽で長期熟成させたラムです。後、少しだけ温度が高いです」

「へえ」としか言えなかった。

「XYZ、ラムをジンに変えるとホワイトレディ、ウォッカに変えるとバラライカ、ウイスキーに変えるとサイレントサード、バーボンに変えるとチャペルヒル、という風に名前が変わり、変形版ですが、ベースをテキーラに替え、カクテルグラスのふちを塩で覆い、レモンをライム果汁に替えてシェークするとマルガリータ。マルガリータのベースをウォッカに、カクテルの中にグリーンチェリーを沈めると雪国というカクテルになります。この場合のスノースタイルは塩ではなく砂糖です。スノースタイルなしでロックグラスに氷を入れて提供するとカミカゼという風に名前が変わります」

「へえ、そうなんや」としか言えなかった。

 カクテルを飲み切った後、代金を払おうとすると、マスターはそれを制し、「お客様はこの間のカクテル、と仰いました。私が今お作りしたのは同じものではありません。はい。私の独断です。独断でお客様の注文と違うものを作った。ですから代金を頂くわけにはいきません。その代わり、大人になったらまた来てください」

「……ごちそうさまでした」

 その夜、おれはショルダーバッグをひとつ持ち、阪神電車で梅田まで出て深夜バスに乗った。タケにも氷野にも、母にも義父にも言わずにひっそりと。


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