「結論は出たか?」 わからん。 

永里蓮 

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xyz♯5
第一章「永里蓮、スロットに出会う」 



 学校から帰るとリビングのソファに義父が座っていた。

「おかえり」と義父は言った。

「ただいま」とおれは言った。「……どないしはったんすか?」

「いや、たまにはおまえの顔見とこ思ってな」

「はあ」

「なあ、腹減ってるやろ?」

「まあ」

「着替えたら飯食い行こうや」

「はい……」

 どういう風の吹き回しだろうか? 

「なあ、蓮、食いたいもんあるか?」

「いや、特には」

「わかった」

 タクシーを呼んで三宮まで出る。

「神戸ゆうたら牛やろ」義父は言う。神戸牛を謳う店はビルの上層階にあることが多いが、そこは料亭のような佇まいの一軒家で、義父に接する店員の態度を見る限り、顔なじみらしかった。

「おまえ酒飲めるやろ?」

「一応」

「ほな生でええか?」

「はい」

 ほどなくサッポロ黒ラベルがやってきた。

「乾杯」と義父が言い、おれは頭を下げ、グラスを重ねた。

「まず、用件を先言うわ。おまえも気になっとるやろうし」

「はい」

 義父はぐびぐびとビールを飲み干して「会社が潰れるねや」と言った。

「はい?」

 義父はビールのお代わりを頼み、ビールがやってきて、それを半分くらい一気に飲んで、再び口を開いた。

「細かい話はまあええわな。おれらは逃げる。おまえはどないする?」

「どないするって……」

「一緒に行くか? それとも親戚を頼るか? それともひとりで生きるか?」

 どういう話なんだ、これ? おれはグラスを手に持ったまま言葉を探そうとした。

「よっしゃ、おれが限定しよか。三択問題や。あの部屋はそのうち怖い兄ちゃんらが差し押さえに来よる。今の高校に通いたいんやったら十三のおっちゃんの家から通ったらええ。おれらと来るんやったらその土地の高校に行ったらええ。一人で生きたいんやったらおまえの好きにせえ」

「母は何て言ってるんですか?」

「おまえにまかせる、言うとった。一緒に居りたいゆう気持ちはあるやろうけど、こればっかりはな」

「……」

「すまん」

 そう言って義父はビールを飲み干した。

       Φ Φ Φ 


 おれたちは夜の三宮を北野坂方面に歩いている。その柔らかさが口の中に残っているだけで、神戸牛の味はほとんど覚えていない。

「最後に一軒付き合ってくれや」義父は言い、おれはうなずいた。

「ここや、ここ」と言って義父は店の中に入っていく。

 die verwandlung

 ドアには薄れた文字でそう刻まれていた。読めなかった。というか何の店か外見からはまったくわからなかった。ドアを開けると暗い空間が広がっていた。

「いらっしゃいませ」白い上着を着た男が言った。「お久しぶりです」

「お、マスター、元気そうやな。景気どないだ?」

「景気に左右されるような店ではございません。細々とやっとります」

「さよか。そらええわ」

 抱きしめたくなるような分厚い木のカウンターだった。大きなスピーカーからは古い英語の曲が古い音質で流れていた。ゆったりとしたソファに腰を下ろすと、ほかほかのおしぼりが手渡された。それから義父がマスターと呼ぶ男は、義父の前にそっと灰皿を置いた。

「本日はいかが致しましょう」マスターの問いかけに、「XYZを2杯」と義父は言った。

「かしこまりました」

 義父はパーラメントを手に取ると、デュポンのライターで火をつけ、ふう、と煙を吐き出した。

「最後におまえにカクテルの味教えたろ思ってな。昔の武士はおまえの歳には元服を終えとったんやから、ええやろ」

 氷と氷が銀色の筒の中でぶつかる小気味良い音が店内に響き、足の長い、円錐形を逆さにしたような格好のグラスに白っぽい液体が注がれた。「お待たせしました。XYZです」父がマスターと呼ぶ男は、そう言って手元を照らすスポットライトの下にカクテルを置いた。

「いただこうや」義父は言う。

 おれはその女性の脚線美みたいなグラスを持って口をつけた。冷たかった。そのまま飲み込んだ。氷片と一緒に液体が食道を滑っていく。鼻に残る柑橘類の香り。口に残る甘みと酸味。食道に残る冷い感触と、胃に残った温かみ。美味しい、と言っていた。

「究極って意味やねんど、そのカクテル」義父が言った。

「義父さん。おれにもタバコください」

「お母ちゃんには内緒やぞ。ほれ」

 酒はええんかい、と思いつつ、その長く硬いフィルターをかじるようにくわえると、義父が火をつけてくれた。マスターがすっと手を伸ばし、おれの前に灰皿を置いた。おれは煙を深く吸い、深く吐いた。義父は二口でカクテルを飲み干すと、カルバドスという琥珀色の液体を注文していた。飲み終わるのがもったいない気もしたが、おれも数口でXYZを飲み切った。

「何かお代わり、いるか?」義父は大ぶりなグラスを回しながら言った。

「いや、もう充分です」とおれは言った。

 マスターは冷たい水をくれた。

 おれと義父は長いこと、何も喋らずにその場に座っていた。古い音楽が血液みたいにただ流れていた。その後のことはあまり覚えていない。おれは少し泣いたかもしれない。

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