スロットから早めに帰ってきて、12/6に行われたM-1グランプリの録画を見て、若干興奮しながらこの文章を書きはじめる。生で行われる「出し物」を語るとき、どんな人間も必ずはまる落とし穴がある。それは、「解説」をしたくなる、という人間の悪い癖だ。それともうひとつ、特筆すべきは、M-1に限らずありとあらゆる「コンテスト」または「コンペティション」が終わった後、こういう言葉を吐く輩が必ず現れるということ。
「どこがよかったかわからない」と。
不思議なことに、「わかる」という人と、「わからない」という人では、「わからない」という人の方が居丈高になる。それが人間という生き物の習性なのだ。


たとえば味を審査するとき、多くの人はチェック項目を設ける。あるいは最初からチェック項目を渡される。

1、見た目
2、香り
3、食感、舌触り
4、のど越し
5、後味
6、コンセプト

など。

しかし、どんなに美味しい(であろう)料理をシェフがつくったとしても、ニンジンの嫌いな人間にニンジンを出しても高評価は受けられないだろう。チェックするといっても、土台、主観なのだ。だから感想は、必然的に身勝手なものになる。わからない方が立場が上になってしまうのも、むべなるかな。だって俺それ食えねえもん。それを言われたらそこでおしまいなのだ。主観を感覚のメインにしている人間の習性なのである。古来、謙虚という美徳は人間のその習性を縛るものであったが、ネット時代にその美徳は通用しない(あっても目につかない)。主観と主観のぶつかりあいで、それでも審査と審査される側に分かれてショーが成立するのは、審査員が自分の肩書きを担保にしているからだ。何かあったら審査員の問題になる。ワイロなり、審査基準の曖昧さなりが発覚した際は。

ともあれ、5年ぶりに復活したM-1の頂点に立ったのは、敗者復活から上がってきた「トレンディエンジェル」だった。大会のレベルがどうたらこうたらとか、審査方法がどうたらこうたらとか、ジャルジャルの漫才のずらシステム(寿命名)すごかったよね、とか、100本ネタを見せての打率(アベレージ)対決だったら銀シャリだよね、とか、そんなことをぼくが書いたところで何ひとつ面白みがない。ぼくはただのスロ小説家なのだ。

今回ぼくが書きたいのは、ぼくが感じた「トレンディエンジェル」という芸人の秘密である。いったい彼らの何があれほど人を惹きつけたのか? 「ぺ、斉藤さん、ぺ」この、文章にしても面白くもなんともない文言で、何故あのような爆発的な笑いが生まれたのか。

結論を言う。

「江頭2:50」の存在である。彼らの漫才を見たことがない方、あるいは、受け入れることができない、という人はそれを踏まえて見てほしい。芸風が似てるわけじゃない。キャラがかぶる、というわけでもない(髪型以外)、それでも、ああ、エガちゃん……(涙)。

もちろんエガちゃん死んでないよ。死んでないし、(たぶん)彼らは師匠弟子の関係でもなんでもないけど、斉藤さんが何かを言うたびに、いやらしげな含み笑いをするたびに、オーバーなアクションを起こすたびに、彼の顔にエガちゃんがダブって見えるんだよ。セルに向かって片手でかめはめ波を打った孫悟飯のように、ぼくは斎藤さんの向こうに江頭2:50の姿を見ていたのだ。

その結果どういうことが起きたか? 何が起きても倍以上面白いのである。小さいボケでも面白い。一発ギャグも面白い。すべったって面白い。だって斉藤さん、敗者復活で出てきて速攻でネタ飛ばしてたじゃん。ツッコミの彼、名前なんだろう。ええと、たかしさんの沈着冷静なフォローがなかったら終わってたレベルの失態じゃない? でも、それすら面白い。今田をして「緊張していたのか全然わからない」と言わしめたのだ。そんなのって普通、狙ってはできない。というかそんな奇跡は普通起きない。まったく出自の違う芸人が、頭の中でフュージョンするなんて奇跡は。無論、舞台にはその人の持つすべてが出る。栄光の頂点は、才能、何より日々の研鑽の賜物なのだろう。しかし彼らの最大の功績は、伝説と現代を失われた髪で結んだことだ。

ありていに言えば、漫才日本一決定戦の場に笑いの神が降りたのである。これがぼくの主観である。どうだろうか。
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