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人間が生きるとは何か?

スロットを打つことである、と答える人間がスロッターである。大げさに聞こえるかもしれないが、そこが一番の根幹にある。たとえば楽に稼ぎたい、という気持ちが一番だとすると、その人はスロッターというよりも、ラクニカセギタイーである。あるいはメンドクサガリー、という現代病のひとつである。

物事に適当な語句を当てはめていくことを言語化とは言わない。物事の本質を言語によって捕まえることを言語化と言うのだ。

ブラックという言葉が企業の体質を指すようになって久しいが、たとえば人生で何かを目指したいという願望は100%のブラック体質である。そこには規範も、守ってくれる基準法もない。それでも自分が決めなきゃ誰も決めてくれない。スロットはたまたま(ここ重要)勝てる要素がゲーム性の中に組み込まれているから、比較的楽に勝てるのだ。スロットで楽に勝てる、ということと、他のことで楽に稼ぐ、というのはだからぜんぜん違う問題なのだ。

スロットで楽に稼げるから、他のことでも勝てるんじゃないか、と考えるのは、オレはスーパーだ。だからオレはGODを引けるんだ、と考えることとまったく同じ。ははん、と思うよね。それ、オカルトやん、と思うよね。そうなんだぜ。

FXで勝てる!
競馬で勝てる!
痩せる!
○ン○がデカくなる!
お○○いがボリューミーになる!
ヒキが強くなる!
英語がしゃべれるようになる!

あれらと同じである。
「宝くじ」が、機械割55%の台を打つことと同じということを、スロッターはほぼ100%理解しているはずである。にもかかわらず、宝くじ(そのシステム)は世界中で夢追い人を搾取し続けている。どうしてかというと、「少数」の達成者が必ず生まれるからだ。人間は自分をその「少数者」だと思っているからだ。

翻り、それらの必勝法、「~で勝てる!」といううたい文句が嘘にならないのは、その「~」の中に、勝てる要素があるからであり、「~で勝てる!」を実践したから勝ったのか、あるいはたまたま勝ってしまったのかの因果関係を判断できないからだ。

確率からいえば、正業で1億円稼ぐのと、宝くじで1億円を稼ぐのでは、何倍も何十倍も宝くじのほうが難しいはずである。にもかかわらず、人間はその難しい道を進もうとする。なぜか。そっちのほうが「楽」だと考えてしまうから。


スロットをしていることの第一のリスクがこれだ。

「オレ(ワタシ)ってば、もしかしてすげえ人間なんじゃないか?」という勘違い。

すごいのはぼくらではなく、「期待値」である。ぼくらは期待値の前ではあまりに無力なのだ。

第二のリスクは「時間」である。
現代人にとって労働とは、自分の時間を差し出すことによって、給金を得る、という形式が主流だが、賃金労働者に必ず付随する関係性がスロッターにはない。あったとしても、希薄である。

ということで、第三のリスクは「人間関係」である。
他者と出会いにくい。そもそも交遊関係が広がらない。

第一、第二、第三、というのは序列ではない。それらは相互依存的にからみあっている。

これらをひとつひとつ点検していくと、「スロット」に期待値なんてないな、という結論になるはずである。

ぼくはこんな当たり前の結論が出ることについて語りたいとは思わない。その先、である。

ここまで書いて、賢明なる読者諸氏は、そういうことね、じゃあ、
勝てるシステムを自分で作っちゃえばいいんだ、と気づいたはずである。

悪い人間は、「じゃあ、どの分野でそのメソッドを使おうかな」と考える。くれぐれも、詐欺罪で捕まらないようにね、としか言えない。

ぼくみたいな悪人になれない馬鹿野郎はこう考える。

「スロ小説」を書こう、と。

たとえば文章を書く人間にとっての「文体」は、「勝てるシステム」である。文体というのは英語でstyleといい、だからディーバの歌声は文体である。短距離走者の姿勢も文体である。コックの腕前も文体である。役者にとっては演技が文体である。多くの職業人にとって効率化と洗練、コミュニケーションこそが文体なのである。

というわけで、リスクはわかった。スロッターにとっての文体を探そう、そして磨こう、というのが結論である。

文体づくりに抜け道はない。黙々と、淡々と、自分の庭を耕すしかない。

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