「……したい」などという心はみな捨てる。その代りに、「……すべきだ」ということを自分の基本原理にする。そうだ、ほんとうにそうすべきだ。

三島由紀夫「剣」から

スロ小説♯35

本作はフィクションであり、実際の人物、団体、事件などとは一切関係ありません。
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赤いライオン、或るスロッターの明るい部屋 ♯36


「後のことはこっちで処理します」とハツさんは言った。

 親父はただ頭を下げただけで、俺の肩を叩き、俺たちは有名人の御宅拝見的番組に出てくるような家を出た。少し歩き、住宅街の入り口にあるタイムズに停まっていたのは灰色のカローラだった。オヤジの運転するカローラの助手席に乗るのは久しぶりだった。

 父はいつもと同じように喋らずに運転した。父の前で喋るのはいつも俺だったが、何を喋っていいか、わからなかった。それでも喋らずにはいられなかった。

「なあ、オヤジ」

「ん?」

「俺に反抗期ってあった?」

「なかったな」

「そっか」

 自分で言いながら、なぜ俺はこんなにバカみたいなことを言ってるんだろうか、と思う。

「なあ、オヤジ」

「ん?」

「こないだオヤジの第三のビール飲んじゃった。ごめん」

「ああ」


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 有名人の御宅訪問みたいな番組に出てくる家の対極に位置するような、小さい家の敷地の中に突っ込むような形(これで一応駐車場のつもりなのだ)で90年代製の灰色のカローラを停車させた。

「ただいま」と言って靴を脱いで家にあがり、自分の部屋に入ると、レンくんがいた。
「よお」

「……何でレンくんがここにいるんだよ」

「どうだった?」

「どうだったじゃねえだろ」

「何カリカリしてんだよ。俺の練りに練った暗号に気づいただろ」

「何が暗号だよ。ハーデスを打ってペルセポネを拝むっていうどこが暗号なんだよ」

「おまえが望みを失わなければそれでよかった。で、おまえはこうして戻ってきた。上々だ」

「わけわかんねえよ」

「怖かったんだな。よしよし」そう言ってレンくんは笑った。

「ふざけんなよ……」

 泣きそうだったが、さすがに泣くわけにはいかなかった。 

「それにしても」レンくんは言う。「やっぱ黄泉はハンパねえな」

「何、黄泉って?」

「ゴルゴ13みたいなもんだ」

「黄泉……また地獄みたいな意味かよ」

「おまえの父ちゃんの話だぞ?」
「は? 何? 黄泉って?」
「黄泉は黄泉。死者の王だ」
「……なあ、そんな話聞いて、……つうかあの現場を目の当たりにして、俺、オヤジとどんな話をすればいいんだよ」

「普通でいいんじゃねえの? 過去は変わらねえんだし。事実は事実なんだし」

「なあ、レンくんは病気か何かなの?」

「あ?」

「どうしてそんなに落ち着いてるの? 人、死んでんだぜ」

「テンパったら置いてかれるからな」

「何に?」

「時代に。おれは駆け抜けたいわけよ」

「なあ、俺に対してかっこつけてどうすんの?」

「異性にだけかっこつける人間よりも、万人に対してかっこつけてるやつのほうが万倍かっこいいだろ?」

「イミフすぎて倒れそうだわ……」


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 父親、母親、俺、レンくん、という4人で食卓を囲むことになった。どういう状況なんだ、これ? テーブルに置かれたのは若鶏のトマト煮。かーちゃんがかっこつけたときにつくる料理だった。

 ワイン飲むか、と言ってオヤジが出してきたのは、何やら高そうなワインだった。

「これ、何て読むの?」と聞いてみる。「てか、何語?」

「シャトーオーブリオン」とオヤジは言った。「仏語だ」

「メドック地区以外で唯一の5大シャトー」レンくんがよくわからないことを言い出す。

「お父ちゃんは昔ワイン詳しかったのよ」かーちゃんがそんなことを言う。

 おい、俺を置いていかないでくれ、と思う。時代よ、頼むからもう少しゆっくり流れてくれ。

 かーちゃんがどこからか有名人の御宅訪問に出てくるようなワイングラスを4脚出してきて、オヤジが十徳ナイフみたいな専用の器具でコルクをきゅきゅきゅと抜いて、ワインをトクトク注いだ。

 ……何だ、この香り……


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 ……ワインはうまかった。つうかうまいなんてもんじゃなかった。地下世界の秘密の養分を吸って成長した仮面ライダーみたいな無双感があった。香りそのものが体内に入ってくる気分だった。

「……これ、いくらくらいすんの?」と聞いた。

「さあな」とオヤジは言った。「もらいもんだ」

「この前も思ったけど、お母さん料理うまいっすねえ」レンくんは言った。「この味でルイは育ったんすね」

「この子好き嫌い多くてねえ。トマトもニンジンもそのままだと絶対に食べないのよ。でも、こうやって煮込むと食べてくれたからね」

「素晴らしい」とレンくんは言った。「でも、ちょっと疑問なんすけど、どうしてこいつはこんなにバカなんですか?」

「ぶふっ」あまりに唐突なレンくんのぶっこみに、むせてしまった。「なあ、何で人の家で人の親を前にそんなこと言えちゃうの?」

「あんたがバカなのは世界の常識でしょ。ねえ」母親はなぜか、レンくんを擁護するようなことを言う。

「つうか、何度も言うけど、おまえの家じゃなくて、おまえのご両親の家だからな」レンくんは言う。

「こいつはうちの自慢の息子ですよ」オヤジはそう言った。「こいつはおれたちがどんなことをしてこいつをこの年まで養ってきたか知らない。そんな24歳はまずいない。世界中の24歳の中で一番バカかもしれない。でもね、こいつをこういう風に育てたのはおれたちだし、言うまでもなく、何の疑いもためらいもなく、こいつは自分の意志で、自分の好きなことだけをして生きてきた。その結果、借金まみれになろうが、犬死にしようが、こいつの自由なんですよ」

「……何それ。そんな褒め言葉ある?」

 でも実際、オヤジに褒められたのは(これが褒め言葉だったとして)初めてだった。初めて自転車に乗れたときのような、不思議な感動があった。


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 食後に100均に打っているよりもっと安っちい湯呑みで、スーパーのセールで買ってきたであろう緑茶を、このふり幅よ、と思いながら飲んでいると、ポケットの中のスマホが振動した。
「類さん。携帯買いました! 登録お願いします。 ユキ」
 ……人生はそんなに悪いもんじゃないかもと思う、単純な俺がここにいた。


つづく


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