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どぅおも。寿です。

スロ小説スロ小説言うとりますが、スロ小説を書き終わったこの機会に、スロ小説とはどんなものかについて、スロ小説家なりに解題してみたいと思います。

スロ小説は、スロッターの行動原理というコードを軸に、話が進みます。取っつきにくいといえば、取っつきにくいかもしれません。スロッターには、一般になじみの薄い、スロッター独自の概念、独特の尺度があるからです。

代表的なものが「期待値」です。英語で「expected value」この単語は別にスロット用語でも何でもないのですが、とかくスロッターはこの言葉を使いたがります。実際に使いまくります。詐欺、ゴト行為、サクラ、またはネタ、機種の欠陥以外では、期待値をベースにした考え方以外でスロットを攻略することはできないからです。

スロッターとひとまとめにしましたが、期待値という補助線を引くと、スロッターは3種類に分かれるはずです。

1、期待値を理解している=スロットで勝っている。

2、期待値を理解したつもりでいる=スロットで負けている。

3、期待値は理解しているが、面倒なので、平でスロットを打つ=遊技者(プレイヤー)

というように、自らをスロッターと定義している時点で、期待値など知らぬ、という人はまずいない。ただ、理解したつもりになっているだけなのですね。

ウィキペディアには、期待値におけるこんな式が載ってます。


計算法[編集]

連続型確率変数の期待値はルベーグ積分で定義されているので、計算するときには積分の変数変換をおこなって確率変数の分布で積分するのが普通である。確率変数X の分布を PX とすると、任意の可測関数 f に対して

E[f(X)] = \int_{\Omega} f(X(\omega))\, dP(\omega) = \int_{\mathbb{R}} f(x)\, P_X(dx)

となり、さらに PX が確率密度関数 p を持つときは

E[f(X)] = \int_{\mathbb{R}} f(x) p(x)\, dx

により、ルベーグ測度で計算できるようになる。


はい。ちんぷんかんぷんですね。そこで、文系のぼくにもわかるように、数字ではなく、理屈(セオリー)、というか論理(ロジック)で期待値を考えていきましょう。

地球上に存在するほぼすべてのギャンブルは、プレイヤーから見た場合、期待値が0円未満(100%未満)に設定されています。これはあたりまえのことです。原価が110円のものを100円で売るパン屋さんは親企業やスポンサーがいない限り、あるいは非営利組織、慈善事業、という目的でもない限りは、早晩潰れてしまいます。飲食業界では三掛けというのが一つの目安として、今でも使われているはずです。定価を100円にしたければ、原価は30円程度に抑えよう、ということです。そのあたりが統計的に最もバランスがよいということなのでしょうが、これをギャンブルにあてはめてみると、怖くて手が出せない。

ギャンブルは、パンや肉と違い、実体がないからです。その実体を言葉にすると、大勢からお金を集め、その一部を限られた人間に還元するという集金システム、ということになるでしょうか。ギャンブルとは「だいたい負けてたまに勝つ」ということを運命付けられた遊びなのです。

人間は不思議なもので、だいたい負ける、というところは見ずに、たまに勝つ、というところは凝視します。そこに、期待値が生まれるわけです。

遊びを統括する胴元は、コミッション(手数料)、博徒用語でいう「テラ銭」を、プレイヤーから徴収します。この割合のことを、「控除率」と言います。たとえば3%という控除率を胴元が設定したとすると、逆側、つまり客側から見ると、期待値が97%ある(ない)という状態なのです。

1万円が9700円になる遊びで勝てると思いますか? ぼくは思いません。

それでは、国営ギャンブルの控除率を見ていきましょう。ざっくり言うと(細かなルールは無視します)、競馬、競輪、競艇は25%、オートレースは30%、宝くじは55%、です。エグいですね。じゃあプレイヤーがギャンブルで勝つにはどうすればいいか? コミッションを含めた投資金額を上回る回収金額を得られる見込みがあればいい。このことを、期待値がある、と表現します。

……ですが、こういう説明はあんまり面白くありません。単に(スロッターにとっての)常識を言語化しただけだからです。なので、スロ小説ではこのあたりの詳細が出てきません。

作中のスロッターが何故スロットなんかで生活できているのかがわからない、という方がおられましたら、そのような七面倒くさい手続きを経て期待値を身体化した変わり者=スロッターくらいに思っていただければ、と思います。スロ小説に出てくる登場人物は、このあたりの論理を理解したうえで、にもかかわらず、人生に行き詰りを感じています。それがスロッターの現実であり、人生の現実であるからです。

文学青年にとって本に囲まれている風景が自然であるように、スロッターにとって、スロットのある風景が自然である。であれば、文学少年が文学をめぐる生活が小説(たとえば「はてしない物語〈ネバーエンディングストーリー〉」)になるように、スロッターがスロットをめぐる生活も小説になるのではないか? そんな仮説から出発したスロ小説。

何作か書いてみて、反響にびっくりしています、とは言えないまでも、需要がないわけではないようで、ほっとしているところ。今はまだ、ぼく=スロ小説家という存在に気づいていないだけで、気づいた時点で刺さる層があると信じ、細々とこの地面を掘り続けていければ、と思っています。

2015年11月16日 書くこと、賭けること 寿
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