人生には真の魅力はひとつしかない。それは賭博の魅力である。

シャルル・ボードレール
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 アル中が見るのはピンク色の象だという。残念。俺が見たのは青い象だ。それから白いダチョウ。マングース、カバ、そして獣たちの王、赤いライオン。ああ、たしかに俺はそうだった。
 

 幸運という言葉がある。不運という言葉がある。こういう生活をしていると、実際どっちが幸運でどっちが不運なんだかわからなくなる。とびきりの幸運というのがある。とびきりの不運というのがある。時間はすべてを呑み込み運んでいく。ただ流れていく。ちきしょう。今日も負けちまった……。


「君のそれは病気だと知ってるか?」パチ屋を出た俺を待っていた男が言った。「いや、君だけじゃない。世界中に何千万人も同じ症状の人間がいる。それは人間の初期設定のひとつだ。飯を食わずに生きていくのが不可能なように、その病気と付き合わずに生きるのは不可能だ。競走馬の目の前ににんじんをぶらさげるという漫画を見たことがあるだろう。君は今あの状態だ。その獲物には届かない。ぜったいに。けれどその獲物に君は支配されている。私の言っていることは理解できるだろうか?」

「ギャンブル中毒ってことですか」

「簡単に言えばね」男はうなずく。「人間を縛る様々な中毒のうちのひとつだ。が、今話したように、それは初期設定だ。中毒性のないものに価値などない。だから君はゴク、ゴク、あたりまえの人間であるとも言える。ただ、それを阻害するものもある。社会という強制だ。モラル、道徳という強制だ。君の場合、そのタガが少し緩んでいるとも言える。まあいい。細かい話は今の君の耳には届かないだろう」
 

 そう、今の俺の耳にはどんな言葉も届かない。俺は借金を抱えてしまった。それで、この気味の悪い男が俺につきまとうようになった。それっぽっちの金でしつこくすんなよな、とは思うが、踏み倒すつもりは今のところない。そもそもそれっぽっちという金が今の俺にはないのだ。
 男は言う。
「私は自分の貸したものは必ず返してもらう。どんな手を使っても。太陽が東の空から昇るのと同じくらいの確率でね」
 

 クソつまらんたとえを笑顔も見せずに使うこの男と出会ったのは、スロットで大負けした帰り道だった。負けが込んでいた。一週間で二十万の現金が消えてなくなったのだった。そんな俺に男は百万円の束を握らせ、「これを貸してあげるよ」と言った。どう考えてもおかしな話だったが、俺の脳みそは、もはや真っ白で何もない部屋だった。ありがとう、と言って札束を受け取り、走り去った。懐を暖めるお金の重みのほかには何も感じていなかった。あれから三ヶ月。お金はすべてなくなった。もちろんギャンブルに使ってしまったのだ。俺の後ろには男が常時張り付くようになった。守護霊のように。ハハハ。

 ひとつ疑問がある、と男は言った。君はギャンブルがしたいのか、それともギャンブルをして生活をしたいのか。

「できれば、生活したいです」

 そうか。じゃあ一人の男を紹介しよう。彼と行動をともにすれば、必ず勝利の美酒が味わえる。

「そんなのっていいんですか? あなたにメリットはあるんですか?」

 もちろん対価は払ってもらう。それよりも、イエスかノーか。今すぐ答えろ。

 ……果たして、これは福音の調べなのか、堕落への囁きなのか。知るか。知るもんか。

「イエス」俺は言った。
 


赤いライオン、或るスロッターの明るい部屋


 向こう三ヶ月、彼と過ごせ、と言われ、照れくさそうに頭をかいたのは、スウェットの上下を着て、度の強そうなメガネをかけた男だった。年齢は30代半ばくらいだろうか。寝癖でぼさぼさの髪はずっと洗っていない感じがした。
「じゃあ、うまくやってくれな」そう言って、気味の悪い借金取立人は消えた。
「やあ」とスウェット男は言う。
「どうも……」と俺は言う。
「君はスロットがしたいんだって?」
「まあ、そうっすね」
「自分のことを上手いと思うかい? それとも下手だと思うかい?」
「よくわかんないっす」
「パチンコ屋の中にだってそれはあるんだよ」彼は言った。彼の言う「それ」が何を指しているのか、さっぱりわからなかった。

 俺の顔を数秒凝視した後、彼は口を開く。

「天才、だよ」

 パタパタと音を立て、上空をヘリコプターが横切っていった。

「天才、ですか」

「そ。羽生善治、武豊、イチロー、メッシ、マイケル・ジョーダン、その世界の第一人者。数学の世界にも言語学の世界にも芸事の世界にもそういう人間がいる。同じように、ギャンブルの世界にもそういう人間がいる。ただ、実際、天才は何百倍何千倍のルーザーに支えられている。長いほうを短いほうが支える。人という字のリアルな側面だ」

「あの」と言った。「何の話すか?」
「天才には勝てないってことだ」痒いのか、ぼさぼさの頭をかきながら、彼は言った。「近づくことはできる。でも、天才には勝てない。人間が天災に勝てないのと同じだ。同じ音というのは含みがあるね。まあそんな話はどうでもいい」
「どうでもいいのかよ」
「……きれいなもの、美しいもの、それらは薄汚い空間にだってある。いや、むしろ汚いからこそ輝くというべきか。輝くもののあるところ、必ず芸術がある。芸術性のあるところ、必ずやりがいがある。そう思う。だからおれはパチンコ屋に通っている」
「何の話すか?」
「今からおれたちのすべきことを言う。……返事は?」

「……はい」

「まず、君とおれが一緒に行動することは、おれには一円の得にもならない。けれど、君が成長してくれたなら、それがおれの利益になる、やもしれぬ。その薄い可能性において、おれと君とは運命共同体だ、とも言える。ただし、おれはひとりでも稼いでいたし、これからもひとりで稼いでいける。だから、おまえはおれの意見に100%服従しろ」
 髪ぼさぼさのメガネスウェット野郎におまえと言われ、カチンと来た。
「あ? おまえ?」
「だから言ったろ?」メガネスウェット野郎は言う。「おれは、いいんだ。別におまえがいなくても」
 ヤレヤレ。いったい全体何だって俺はこんなやつの言うことを聞かなくてはいけないんだ。借金のせいだ。……しょうがねえ。さっさと稼いで、こんなやつのもとからはおさらばしよう。俺はうなずいた。「わかったよ」

「よし。まず、おれのことは、永沢君と呼べ」
「永沢さん、すか」と言った。
「違う。永沢君だ」
「どうしてクンなの?」
「好きだからだ。つうかおまえ知らないのか? さくらももこの永沢君を」
「タマネギ頭のやつすか?」
「そうだ。おれはいつも、心のタマネギに帽子をかぶせている」
「は? 何言ってんの? 酔っ払ってんすか?」
「まさか。おまえの心のタマネギにも、帽子かぶせる日が来るといいな」
「……」何だこいつ、と思う。
「おまえのことは今日からカキゴオリと呼ぶ。わかったな」
「は? 藤木っつったっけ? 永沢君の相棒ならあの唇が紫色の卑怯な男の名前じゃないのかよ」
「何言ってんだ。おまえごときがさくらももこの崇高な世界の住民の名前を名乗れると思うなよ」
「……」
「おい、カキゴオリ」
「つうか何だよカキゴオリって?」
「質問は許さん。それより行くぞ」
「どこに?」
「パチ屋だ」
「パチ屋?」
「行くのか、行かないのか?」
「……い、行きます」

つづく

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赤いライオン、或るスロッターの明るい部屋

登場人物

カキ(バカ)ゴオリ……俺

髪ぼさぼさスウェットメガネ野郎……永沢君


お願い

今回は新たな試みということで、推敲作業を半分くらいカットしてアップしちゃおうと思ってます。誤字脱字やつじつまの合わないところも出てくるかもしれない。いや、これはもう確定演出レベルで出ちゃう。けど、出しちゃおう。捨て身、です。というわけで、変な箇所を見つけた際は、突っ込んでくれると嬉しいです。毎日11時に更新します。お昼休みに是非。


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