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ぼくは明らかに、重度の「目標」依存を抱えている。何か目標がないと、うまく息を吸うことができないのだ。

ぼくが三十有余年の人生で達成した最も大きな成果は、「死と再生」である。それはたとえば、ギャンブルで貯金全額を失うからの復活だったり、女の子とうまくいったりいかなかったりだったり、職場解雇からのスロ小説家デビューだったりする。

が、後悔のそばには、いつもあいつがいる。あいつ。酒だ。

「今夜、すべてのバーで」という小説の中で、中島らもはこう書いている。

 現役のアル中であるおれに言わせれば、アル中になる、ならないには次の大前提がある。
 つまり、アルコールが「必要か」「不必要か」ということだ。よく、「酒の好きな人がアル中になる」といった見方をする人がいるが、これは当を得ていない。アル中の問題は、基本的には「好き嫌い」の問題ではない。
 酒の味を食事とともに楽しみ、精神のほどよいほぐれ具合いを良しとする人にアル中は少い。そういう人たちは酒を「好き」ではあるけれど、アル中にはめったにならない。
 アル中になるのは、酒を「道具」として考える人間だ。おれもまさにそうだった。この世からどこか別の所へ運ばれていくためのツール、薬理としてのアルコールを選んだ人間がアル中になる。
 肉体と精神の鎮痛、麻痺、酩酊《めいてい》を渇望する者、そしてそれらの帰結として「死後の不感無覚」を夢見る者、彼等がアル中になる。これはすべてのアディクト(中毒、依存症)に共通して言えることだ。

御託を並べてみても、酒に溺れたい願望は、煎じ詰めれば死にたいってことだ。死にたいってことは、今に納得いってない。これ以上の人生を生きたいってことだ。そう、「死にたい」と思う気持ちすらないものねだりなのだ。つらいね。人生ってやつは。

今年はスロ小説を連載したおかげで1~2月に風邪をひかなかった。目標さえあれば、ウイルスの侵入をゆるさない。「目標依存」ゆえの現象。

困った。なぜ? 今、その依存相手(ハニィ)の姿が見えないからだ。いや、遠くにある夢、ミューズは変わらずに存在する。けれど、近い目標が定まらない。というか、書くものの選択肢がありすぎて、頭ボカーンなのだ。

ジョジョー。おれは朝から酒を飲むぞー(人間をやめるぞー)。ウェルカムトゥ社会不適合者の楽園。休日よりも平日に飲む酒のほうがうまい。夜に飲む酒よりも昼の酒が、昼に飲む酒よりも朝の酒がうまい。そしてベロベロになって、吐いて、泣きながら思う。生れて、すいません、と。

……そうならないためにぼくができること。そうだ。小説をはじめよう。

そうだ! 小説にGO!

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エドゥアール・マネ「アブサンを飲む男」について。

アブサンは薬草からつくられたリキュール(混成酒。主として甘い酒)である。現在もつくられ、流通している。が、この絵の描かれた19世紀頃のアブサンは今とはちと違う。簡単に言うと成分が違う。安価であり、しかも、大いにラリる。ファン・ゴッホはアブサン中毒(他にも理由はあるだろうが)の帰結として自らの耳を切り落とし、最期は猟銃で自殺してしまった。absenceは存在しないという意味の英単語であり、アブサンの主成分であるニガヨモギの花言葉もまた「不在」である。