遊びはものを結びつけ、また解き放つ
遊びは文化よりも古い。人間を「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」と呼んだヨハン・ホイジンガの言葉である。

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ハワイ島、マウナロア火山の中腹の、ほぼ窓のないドーム型の建物に6人で住む、という実験があった。シャワーを浴びる時間は週に8分間、食べ物はフリーズドライ食品、缶詰、保存食のみ。外に出るときは宇宙服を着込む。

なぜ、そんなことをするか。
「長く地球外の世界を旅すると、人体にどんな影響が出るのか?」という問題を解消するためにである。少なくとも現代の技術では、火星にたどり着くまでに、どう急いでも8ヶ月以上かかる。そこで必ず起きるであろう、懸念事項の最有力候補が「退屈」である。

これは何も、人間だけの習性じゃない。新しい熱や光を求め、単細胞生物であるアメーバですら、動き回るのだ。動物園でトラやクマ、鳥たちが気が狂ったような自傷行動を取るは退屈のせいらしい。

なぜ人間はジェットコースターやホラームービー、オバケ屋敷や、あるいは山登り、エクストリームスポーツや、極地探検などを目指すのだろう? そこに退屈が関わっているのは間違いない。

小説や映画の最高傑作というのはすでにある。にもかかわらず、新しい作品が次々と出てくる。あまつさえ、自分でつくろうとさえしている。それもたぶん「退屈」と戦っているのだ。

退屈から最も遠い状態は、何かに「集中」しているときである。スロットをはじめて10年以上、何かをしながらスロットを打つなんてなかった。それはスロットが意識を強制的に集中させるからだった。しかし今はどうだろう。スロットをしながら、常に片手にはスマホで違う情報を眺めている自分がいる。人間はどれだけ貪欲なのだろう? スロットという遊技をしながら、さらに情報を求めるこのファッキンフリーキンな脳みそってやつは!?

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今日の一点「フットボールをする人々」アンリ・ルソー

参考文献 2013年のニューヨークタイムズ・マガジン「火星飛行、退屈が大きな壁」より