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渋谷マークシティと人、岡本太郎「明日の神話」

ハンバーグショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう

俵万智「サラダ記念日」八月の朝 から

まえがきみたいなもの 

街の性感帯
1、上野公園
2、卒業式
3、東京タワー
4、花が咲いていた
5、wtf? 3days 140000YEN!
6、ヤヨイのヨイ



 頭痛が、

 吐き気が、

 崩れかけのメイクが、

 下腹部の妙な残存感が、

 昨夜光り輝いていた何もかもが、

 そっくり裏返って私を襲う。ここはどこ? ……ラブホ? ぁぁぁぁぁぁ。またやってしまった……。

 ふう、と息を吐いた。

 ため息、かな。いや、さけ息、だな。へ、へへへ、と笑ってみる。

 口の中がネバネバだ。歯、磨こう。

 しゃこしゃこしゃこ。くちゅくちゅくちゅ。ぺっ。

 はあ。……記憶、辿ってみるか。

 

 ユキと六本木で待ち合わせをしたんだった。隠れ家的なタイ料理屋にゴー。ビールで乾杯イエー。

 スペアリブの素揚げだったり、エビマヨだったり、ガッパオだったり、酸味の効いたココナッツ風味のスープだったり(美味しかった)。

 メコンソーダを飲みだしたあたりからテンションがおかしくなった。

 で、で?

 ……クラブ、ダ。

 テッキ―ラ。ライムエンドソルトエンドテッキーラ。

 くい(飲み干す)。くい(飲み干す)。踊る。踊る。触れ合う肌、絡まる指、混じる汗。

 すでに前戯みたいだった。が、男の顔が浮かんでこない。どんなだっけなあ、私たちより年下だった気はするんだけど。ともかく私たちは踊ったのだ。狂ったのだ。燃費の悪い車のように、テキーラを口内に注ぎ続けたのだった。

 吐き気が再燃するので、思考は一旦停止、シャワーを浴びよう。……何でこうラブホの風呂場はくさいんだ。バカヤロー。

 こんなシャンプー使いたくはない、使いたくはないが、しょうがない。髪を洗う。きっしきしのヴァッサヴァサ。ああ。鼻がつまってうまく呼吸できない。酒を飲むといつもこうだ。ああ、ああ、ああ、ああ、と不満の声を上げながらおそろしく水量の強いシャワーを頭で受ける。これは作業。作業は粛々と進めるだけでよい。よいという言葉が酔いを連想させてまたエズく。鼻をすすりながらバスタオルでヴァッサヴァサの髪を拭う。冷蔵庫から細いポカリを取り出して飲みくだす。

 さ、メイク。

 それにしても男はどこに消えたんだろう? さすがにひとりでこんな部屋に入ることないものね。まあいいか、いないならいないでいい。過去は過去、剥がれ落ちたメイクは自分の一部ではない。日々更新、日々向上、日々交換、日々高揚、呪文のように唱えつつメイクを済ます。よし。では、さようなら、過去。


 うう。太陽が真上にあって暑い。暑い。つうか、ここどこだろ? わからん。まあいい、歩こう。小腹が空いたような。そんな気はするものの、何を食べたいかはわからない。とりあえずコンビニに入って液体の胃薬を購入。その場で飲み干し、ボーン、とゴミ箱に捨てた。ほほほほ。

 そういやユキはどうしてるだろう?
 考えたらすぐ行動。数コールの後、しじみみたいに小さい声が聞こえてきた。「はーい」ユキの瞳はしじみに似ている。つぶらなお目目と好評なのだ。

「もしもし」私ははっきりと言う。

んー、ヤヨイ?」

「どしたじゃねえ。今どこにいんの?」

「声大きいよ。まだラブホ。あんたは?」

「はあ。好きだねえ……」

「ヤヨイの声って頭に響く……」ユキの苦痛に歪んだ顔が見えるようだった。

「響け。もっと響け。お腹空いたでしょ、ランチなんてどう?」

「ごめん。全然お腹空いてない。つーか横にこーくんいるし」

「こーくんって誰?」

「覚えてないの?」

「全然」と答えた。

「……とにかく、また後で連絡する」そう言って、ユキは電話を切りおった。

 ちぇ。とにかくご飯たべよ。あ、ここ赤坂じゃん。まあいいや。電車乗ろ。千代田線で表参道へ、銀座線で渋谷へ。ふう。渋谷は今日も、人がゴミのようだ。そこが落ち着く。なぜか落ち着く。よし。カフェに行こう。ギリギリセーフで本日のパスタランチ。お願いします。かしこまりました。

 シナモン風味のカフェオレを飲みながら、視界を横切っていく人たちを目で追った。


 今から人を殺しにいきますみたいな風貌のおにいさんだったり、道を間違えたのか、おろおろしている修学旅行生だったり、ギターが入っているのか死体が入っているのか大きなケースを抱えたバンドマンあるいはバンドウーマンだったり、悪いことをたくらんでるんだろうな、という十代男子の集団だったり、呪いか呪文か九九を暗記しているのか、何かをブツブツ唱えながら歩くうら若きゴスロリ女だったり、私たち二人で一つの生物なのと言わんばかりの密着カップルだったり、この世で起きるすべての現象に興味がないという顔をしたポリスマン二人だったりが登場しては消えていった。儚かった。

 おまたせしました。どうも。本日のパスタ。小柱と水菜の和風スパゲッティ。うん。まあまあ。けど胃が詰まっている感じがしてなかなかフォークが進まない。

 パタパタパタという音を立ててヘリコプターが飛んでいく。スパゲッティを食べて、トイレに行って、お会計を済ませ、外に出る。

 ファイアー通りをまっつぐ原宿方面に進む。路上駐車を取り締まるミニパト婦人警官たちを横目にぐんぐん進む。代々木公園に進入。パフォーマーが大勢いるが、息を潜めて通り過ぎる。と、アントニオ猪木みたいな言い方で「あなたは神を信じますかー?」と聞かれた。小さなおじさんだった。にっこり笑って「信じませーん」と答えた。

 汗をぬぐう。暑い暑い。両手で大げさに顔をあおぐ。意味ゼロ運動。大きな鳥居をくぐる。途端に違う空気。鳥のさえずり。静かな橋で一休み。目の前には木々。木と木で林。三つで森。鎮守の森。小さな池。一羽の小鳥が木から木に飛び移ったところ。さて。

 ……帰ろうか。汗が引くのを待って、明治神宮前から千代田線に乗り、大手町で下車、東西線に乗り換えた。

 妙典のホームは風が吹いていた。その瞬間、東京方面から吹いてくるその風を浴びた瞬間、世界が終わった。



 どうして世界が終わってしまったんだろうと考えてみても、もう以前のことを考えることができない。といってじゃあそういうものなのだ、と割り切ることもできない。世界が終わってしまった、ということはわかる。不思議とわかる。でも、その理由がわからない。全然わからない。1+1の答えはわかるのに、1というのが何なのか検討もつかない、そんな感じ。

 記憶がなくなったわけでも、帰るべきアパートを忘れたわけでもない。忘れるとか忘れないとかではない。わかっていることは、世界が終わったということだけだ。立ち止まったまま、眼球をぐるりと一周させる。

「どうしました?」という声が聞こえた。駅員と目される男の声だった。

「いや、別に」と答えた。

「大丈夫ですか? ご気分が優れないようでしたら……」

「大丈夫です」しっかりと言ったつもりだが、声が上滑りし、ふわふわ空気に溶けていった。
 

 立ち止まっているだけで他者に不信感を持たれるのは心外なので歩き始めた。だけど家には帰れない。帰れない理由があるわけでもないが、何となく、帰れない。だから歩いた。太腿とふくらはぎに筋肉痛の兆候があった。改札を出る。マックを横目に歩く。サティを横目に歩く。階段をトコトコと上り、大河(というほどのものでもないか)を眺望。
 江戸川。この向こうも千葉県という不思議。江戸川と中川と東京湾に囲まれて、千葉なのに東京に人質に取られたみたいな舞浜から妙典までの不思議地帯。上京して以来のマイホーム。

 バッグからタバコを取り出して、火をつける。ふう。江戸川は大きく流れていて、右方で東京湾に注いでいる。つうか、久々に見たな。日の光は随分と弱まっていて、ざまあ見ろと思う。煙を吸う、吸ったら吐く。美味しい、と思う。タバコは一日に数本しか吸わないくせに、だからこそやめられる気がしない。メンソールしか吸えない。美味しいならずっと吸っていられればいいが、ずっと吸っていたら死んでしまう。中毒性のあるすべてはそう。

 江戸川は陽光を受けて光っているが、それほどきれいではない。といってきたなくもない。時々魚がちゃぽんと跳ねる。流れはそこまで速くはないが、遅くもない。だらだら流れるこの川のような心持ちでいるうちにタバコの寿命が尽きかけていて、携帯灰皿を取り出してその中に埋葬した。ポイ捨てだけは許せない。ポイ捨て即死刑でも良いと思われる。死刑制度には反対の立場だが、許せないという気持ちは最上級なのだ。
「裁判官。偶然に落ちてしまった場合はどうするのですか?」
 どうしよう。うーん、罰ゲームくらいにしときますか。どんな罰ゲームがいいかな。しっかし走ってる人多いな。このクソ暑いのに、走って健康になれるのかしら。はっ。罰ゲーム?

 つうか私の世界が終わったというのに世界は輝いてるなあ。何だかお腹が痛かった。何だろう。変なもんでも食べたっけ? 立ち上がり、江戸川を後にした。映画何やってるんだろ、とラインナップを目で追ったが取り立て観たい映画もなく、唾を吐き掛けたいような心持ちがしたけれど、それはポイ捨てと大して変わらないビヘイビアであり、自分ルールとしては死刑に近く、思い留まった。

「思う、それから、留まる、と動詞が二つくっつく、つまり複合動詞ですが、世界的に見ると割と珍しいスタイルなのですね」
 教授の言葉を思い出して、ああ、私にも学生時代があったなあ、とか思い始めると、お腹の痛みがいや増した。そうさ、私は文学部の学生だったのさ。ふふん。だけど辞めてしまったのさ。今は無職なのさ。無職だけど別にお金がないわけじゃないのさ。けっこう長いことキャバクラで働いて貯めていたからなのさ。そう、大学辞めて早々に。
 やっぱお腹いたい……パチンコ屋のトイレを貸してもらうことにする。いらっしゃいませ。失礼します。

 パチンコ屋にはけっこうな客の入りがあって、私も打とうかしら、と思ったが、どうせ使うならお酒に使った方が良いかしらん、と思い直した。

 あ。……気づいてしまった、この事実。どうしよう。そうなのだった。世界の終わりは、とどのつまり、結局のところ、酒が切れただけだった。ただ、素面になってしまっただけだった。電車を降りた瞬間に。

 そんな気づきはいらなかったし、面白くないなあ。もっと劇的なのが良かったな。たとえば勝てる台が光って見えたり。あれ、あの台光って見えるよ? ああ、そういう演出か。何だ。

 うるさい空間にいると自意識までうるさくなるらしい。ありがとうございます。どうも。外に出ると、耳が痛かった。しかしこの近辺には飲み屋が少ないなあと思う。人口から考えて少なすぎる。だから変な事件が多発するんだよ、とか思ったり、思わなかったり。やめよう。因果関係の見当たらない話なので自粛しよう。原宿なんて人口密度から考えれば圧倒的に飲み屋少ないもの。パチンコ屋もないし。だいたい原宿なんて地名もないし。でもあそこは皆が集まってくる土地で、ここは皆が帰ってくる土地だからな、そうも思ったが、やはりこれ以上この思考を膨らませてもしょうがない。ごめんね(誰に?)。 

 さて、新しい世界を開きにいこうぜ。が、一人では寂しい。さりとて誘いたい人もいない。こういうとこに日本の構造的な問題があるんだよ、とかブツブツ呟く人になりそうなのでこれもまた自粛。一人で酒を飲みに行く人間って変わった奴多いもんな。ゴキブリみたいにほいほい誰かについていく時が私にだってあったり、なかったり。

 バッグから携帯を取り出すと、メールまたはメッセージまたはラインが何件か入っていて、ユキからと、知らないアドレスからと、ミスターエックスからだった。

 ユキのラインはいつも通り内容ゼロだった。「そっか、よかったね」と返せば事足りた。誰かわからないメッセージは開かずそのまま消去して、ミスターエックスからのメールを開いた。
 

『無題 火星出張から戻ってきました。思っていたより快適で、気の合う友人もできました。税関の問題でお土産は買えなかったけれど、土産話はたくさんあります。

 ところで、ヤヨイちゃんは元気ですか。元気でも瀕死でもいいので、今夜やよい軒でも行きませんか?』

 

 相変わらずいかれたおっさんだな、と思う。でも少しだけ気がまぎれたので返信してみる。
 

『Re: 火星人と浮気するなんてあなたも随分なタフガイですね。

 私の近況を率直に申し上げます。今日、起きたら虫になっていました。どうしましょう。メールを打つのがやっとです。前足だか指だかわかりませんが、今ぬらぬらするこの触手的なもので(たくさんあります。羨ましいでしょう)必死に携帯をいじっているとこです。しかし、携帯があって良かったなあ、と心から思います。私に心がまだ残存している、なら。

 そんなこんなで、やよい軒にはいけないと思われます。今キャンペーンで生ビールが安いんですって。残念です。かしこ』
 

 ほどなくメールが届く。
 

『無題 変身状態が少し羨ましい。小生いまだ火星ボケ気味が続いており、数日は休業予定。暇だったらどこかご一緒しませんか? マーズアタック!』
 

 アホなメールのやりとりではあるが、少なくともこの何分かの自意識は消失していた。それだけで、有意義な気分。ミスターエックスの本名も知らないし、どこに住んでいるかも知らないけれど、なぜか不思議とメールだけは続いている。彼がマメだからである。お金を持っている雰囲気はあるが、別に身体を許すとか、お願いされるとか、そういう関係ではない。足長オジサン的な年上憧憬を持つ女子はいつの時代もいるものだろうけど、私はそんな類の憧れはない。憧れはないが、暇と寂しさはつぶしたい。ということで、お言葉に甘えてしまえ。

『Re:その提案は、受け入れられました』と翻訳調に返信。

 しばしの沈黙の後、携帯がブウブウ鳴り出した。
「はい」と言うと、ミスターエックスの甲高い声が聞こえた。「お久しぶりです」
「お久しぶりです」と返す。

「ああ、良かった。少なくとも声帯はあるんですね。ぐしゃぐしゃとか、バリバリ、とか聞こえたらどうしようかと思いました」

「むしゃむしゃ」と言ってみる。

「うーん、元気そうですね」

「元気、ではないですけどね」

「じゃあ、今日六本木で蠍でも食べますか?」

「蠍ってスコーピオンのことですか?」私はわけのわからないことを口走っていた。

「イエス」

「サソリはイイデス」と返す。

「では麻布で蛙食べますか?」

「カエルもイイデス」と返す。

「では銀座で……」

「あの、お酒はどうですか?」と提案した。

「ブラビッシモ。何飲みましょう?」

「何でもコイヤです」

 部屋に帰ってシャワーを浴びて、化粧を直して、ピルを飲む。いつか酒のない国に行きたい。でも、今は無理だ。今は楽しいことが他に何もないからだ。
 私には手に職がない、人脈もない、好きな人もいない。仲の良い友達はほとんどみんな結婚してしまった。昼の仕事なんて考えられない。が、夜の街でちやほやされるのも、この二、三年が限界だろう。私にはお嫁さんになりたいみたいな夢もない。夢はないが、楽しい自分でいたいとは思う。そのためには薬に頼るしかない。夜には酒を。ヤヨイ、宵、だいたい、酔う。それでよい。それがよい。人生は楽しい。その時間だけは世界は終わらない。 

あれ? ここは、どこ?


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ヤヨイのヨイについて