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どこかの明かり


花はね、植物の生殖器なんですよ。何でみんなね、こうね、たとえばお母さん達が、花なんて触っちゃいけません、とかって言わないのか、面白いな、と思って。だって学名ラビアですよ。

中野信子

まえがきみたいなもの 

街の性感帯 
1、上野公園

2、卒業式

3、東京タワー
       
4、花が咲いていた 
あとがきみたいなもの


男がメソメソした男を嫌うのは、自分の中にそのコードがあるからである、という仮説。

事実、多かれ少なかれ、男には「女々しい」部分がある。むしろ女々しくない男は男ではないとさえ思う。女々しい、という言葉は女を表現したものではなく、男を形容するための言葉なのだ。 

生まれて間もなく、男は生存競争の只中に突き落とされる。ナンバーワンを目指さない男は脱落する。オンリーワンに価値はない。価値のあるオンリーワンは先行者と呼ばれ、追随者が発生し、バトルロワイヤルがはじまる。それが人間の歴史である。以前ある番組で、群れを追われたボス猿の行方を追っていた。元ボス猿は悲しそうな顔で、悲しそうな声で鳴いていた。その声に誰も見向きもしない。かわいそうなボス猿、しかし同じような例は、世界中至るところで見ることができる。たとえばクラブで。たとえば飲み屋で。そう、パートナーを探しながら見つからない人間も、同じような顔をしている。いや、人間だけじゃない。他の生物も大抵そうである。鳥、虫、哺乳類、これは、性差のある生き物に共通の現象であり、性の持つ本質的な呪いである。

普通に生きているだけで、ほとんどすべての男はどこかの地点で一敗地にまみれる。 人間の場合、それでも生きていける。だから男は必死になって、敗北を認識しなくて済むものを探す。趣味に走りがちなのも、凝り性という性質も、そのためにある。
「筋肉」
「弁論」
「知識」
「格闘」
等々は、男として生まれた以上必ず組み込まれる、その柔らかい「本質」を糊塗するためにあるのではないか。

女の人も大変だろうけど、男の人も大変だよ、という話。たまには花でも見よう。楽に行こう。そして戦いの日々に備えよう。

明日も短篇をアップします。