地上的な希望はとことんまで打ちのめされなければならぬ。そのときだけひとは真の希望で自分自身を救うことができる。

フランツ・カフカ「城」から
まえがきみたいなもの 

街の性感帯 
1、上野公園

2、卒業式

3、東京タワー  
あとがきみたいなもの


これ、いつ書いたんだろうな。文章の荒さを見る限り、精神と時の部屋時代の初期作品であることは間違いない。が、正確なことはわからない。確かなことは、ぼくの創作人生の中で、セックスをメインテーマに据えた初めての小説ということ。

正直ね、恥ずかしかった。何で微に入り細にわたってセックスのことなんて描写しなきゃいけないんだよって思ってた。が、小説を書いているうちに、その必要性を痛感しちゃったんだよね。

物語というのは、すべて非日常について語られる。なぜかといえば、語る、という視点が入った時点で日常ではなくなってしまうからだ。日常に語りは存在しないのだ。

おれは迷っていた。

どんなに迷っていても、こんなモノローグは、日常には存在しない。

誰かを非日常にいざなうには、日常から非日常に渡る架け橋を用意しなければいけない。……やむなし。セックスについて書こう。6~7年前のぼくは、そう決意した。

が、どうやって書けばいいのだろう? ただでさえ恥ずかしいのに、自分の体験を文章に移すなんてできっこない。じゃあ、何かを手本にするか? そう思ってAV女優とAV男優の会話を文字に起こしてみることにした。
「立派ね」
「もっと大きくなるよ」
「本当?」
「本当だよ」
 ……アホくさくなって途中で投げ出してしまった。

あかん。小説にとっての必然性がなければ意味がない。セックスを文章にするのではなく、小説にとって必要なセックスを書くのでなければ意味がない。よし、東京タワーについて書こう、と思った。

……で、こんな小説になってしまった。なぜだ?

言い訳が許されるならば、短篇小説のいいところは、クソみたいなアイディアを試せるというところ。朝起きたら虫になっている非日常もあれば、朝起きたら財布からお金がなくなっている非日常もあれば、朝起きたら脱糞している非日常もある。そんなところで、あいすいません。

明日も短篇をアップします。 

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