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上野動物園のハシビロコウさん


解かれることを望まない秘密もあるものさ。

エドガー・アラン・ポー「盗まれた手紙」

 まえがきみたいなもの 

街の性感帯 

1、上野公園 
あとがきみたいなもの

小説とは、事実の集積ではない。言葉を積み上げることで共有空間を現出させ、現実に生きる人の心に触れることを目的に書かれている。

それはどこか公園の理念に似ている。あるいは、セックスに似ている。いや、おそらくは、あらゆる消費行動、娯楽行為、またはコミュニケーションは、セックスの代替である、という乱暴なまとめかたをしてしまってもいいような気がする。それはちょうど、ジークムント・フロイトがすべての夢に意味を持たせようとしたように。

セックスとは、祝祭である。セックスとは、インプットされた死の対義語としての永続、つまり自己複製の体現である。結果、セックスは既存世界を崩壊させるキーとなる。

賭け事と同じように、売春も法律で禁止されている。

なぜ法律で禁止しなければいけないか。それは理性ではコントロールできない生命の根源的な欲望に根ざした問題だからだ。その反面、必ず儲かるビジネスでもある。

それを欲するもの、求めるもの。汝の名は人間。欲望を発明したのは人ではない。人が発明したのは、言葉であり、お金である。

       ΦΦΦ

ぼくが十代だった頃、カラオケも漫画喫茶も居酒屋も年齢確認みたいなことはなかった。タバコも酒も自販機で買えた。しかし何事にも両面がある。その頃のコンビニにATMはなかったし、高校生の持つ最上位コミュニケーションツールは、ポケットベルだった。ネットも普及していなかったし、テレビもブラウン管だった。

昔話がさもしいのは、ジジイの言説にうんざりするのは、過去という世界がもう存在しないからだ。人間が、イマという時間から逃れることができないからだ。

いつの時代も時代から零れ落ちてしまう人がいる。しかし、いつの時代にも抜け道はある。スロットの攻略法のように。

明日も短篇をアップします。

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