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昨日はスロットを休んだので、お気楽な記事をひとつ。


芸能界の末端仕事をしていたときに思ったのは、大物芸能人っていい人が多いな、ということ。物腰が柔らかいというか、腰が低いというか、あんなに有名なのに、こんなに丁寧に対応してくれるんだ、という人を何人も見た。

たぶん、「妬み」「嫉み」渦巻く芸能界で生きていくには、よい人であるほうが続きやすい。あるいは、よい人に見える努力を重ねている可能性が高い。そういうことなのかな、と思う。

同じように、というか、まったく同じ理由で、パチ屋には悪い人が多いw 

目つき、言動、頭、すべてにおいて、である。もちろんぼくもそのひとーり(ドン)。なぜそうなってしまうかというと、簡単な話、一芸に秀でて有名になるのだ、なんて人間も、確率以上にプレミアを引くのだ、なんて人間も、ほとんどが「我こそは神なり」と考える大ばか者だからである。

失礼。大ばか者であろうとなかろうと、我こそは神なり、のスタンスで期待値が生ずる人間は、神である。どうぞ、そのままお進み下さい。天が呼んでおりまする。合掌。

自我なんてものは、「我こそは神なり」と大同小異のバカ要素であり、他人から見れば卑下の対象でしかなく、悪い言葉で言えば「クズ要素」であり、 ダイの大人はそれを隠して生きているものである(子どもですいません)。
どんなに腹が立つことがあっても、JR職員が「オイ、そこのおまえ、女子のケツに見とれてるんじゃねえ」とは言えないのだ。

が、賭場という世界はそうじゃない。
違う、違うのだよ。一般人の住む世界じゃないのだよ。おまえらみたいに本音を隠して生きてねえんだよ、という意見もあるだろう。が、パチ屋でイラついて、自らの権利のごとく台をぶん殴る。パチンコのガラスを破壊する。便器を破壊する。そういう例をたくさん(たくさんたくさんたくさん)見てきた。

パチ屋からすれば、彼らこそ上客であり、お得意様であり、それら破壊行為はその軽微なリスクでしかない。

我神ばかりの空間で出し抜くにはどうすればいいか。「我はただの人間である」と思えばいい。何というコペルニクス的転回的ソリューション!

が、期待値追いとはつまりはそういうことなのである。

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