どうして人は他人の行動にイチャモンをつけてしまうのだろう? 

これは自分の話。

車を運転していると、
「何でこいつはわざわざ車の邪魔になるところを選んで歩いてるんだろう?」
とか、
「何であいつは車線減少を知りつつ(見えるだろ?)追い越し車線に移動した?」
とか、そんなことを思ったり、呟いたり。

歩くと歩くで、
「何であいつは通行人にクラクションを鳴らしまくるんだ?」
とか、
「こんな細い道をあんなスピードで運転するなんて、ラリってるに違いない」
とか、そんなことを思ったり、呟いたり。

次は一般論。

アンチサッカーの野球好き。
「ダイアゴナルラン? 意味わからん」
「区切りがねえ」
「ファウルをもらうための演技だと? この野蛮人め」
(達川さーん!)

アンチ野球のサッカー好き。
「インフィールドフライってナンダし」
「てか、長くね?」
「動きがねー」
(ビールを飲むには最高よ?)

ぼくはどっちも好き。

スロットの話。

期待値追いは設定狙いを割わりい、と蔑み、設定狙いは期待値追いを死体拾いが、と蔑み。

あべしチェックをする人間、それをいやな顔で見る人間、コインを拾う人間、1~2枚台から抜く人間、台を殴る人間、くわえタバコのセブンティーンズマップ、ドル箱シェイカー。

……どうして人は人を見下さずにはいられないのだろう。すべての人間の脳のポテンシャルはほとんど変わらないのに、どうして微差を強調してしまうのだろう? それもたぶん、脳の代表的な機能なのだろう。他人よりも自分。そう思えたらいいのにな。

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