世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら歩め。


フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ 永井均訳

「パチ屋のなくなった世界で」 
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第四章

消えゆく僕の世界で僕は The world will be lost for change the world.


本作はフィクションであり、実際の人物、団体、事件などとは一切関係ありません。


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第十八回


牙リバコンビの登場人物紹介1
牙リバコンビの登場人物紹介2


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 兵庫県A市。大阪湾と六甲山、それから巨大なふたつの市に挟まれた小さな街に、タローズは居を構えていた。驚くことなかれ、この市には条例でパチ屋が存在しない。本当に一軒も存在しない。もちろん、小さな市だから原付を少し飛ばせばパチ屋はいくらでも見つかる。ただ、パチ屋が存在しないところに住むのは生まれて初めてのことだった。


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「梅崎さん。俺はここで何をすればいいんですか?」

「師匠はカウンターに座って酒でも飲んでてくださいよ」梅崎さんは、以前ともに過ごしたときは見せなかった笑顔でそう言った。

「そんなわけにはいきませんよ」

「なら、サダさんもカウンターの中に立ってみる?」チーフがそう言った。

 チーフは外食産業の申し子のような接客のプロフェッショナルだった。老舗割烹とフレンチレストランの厨房での修行経験があり、ソムリエの資格を持ち、カクテルをつくる技術、お酒やおつまみに関する豊富な知識も持っている。太郎との接点がさっぱり見えなかった。

「チーフはどうしてここにいるの?」僕は素朴な疑問を口にしていた。

「どうしてっていうのは、どういうことすか?」

「チーフが望めば自分の店を持てるだろうし、有名な店でも働けるんじゃないの?」

「サダさん、人間は『これしかない』って確信できる道以外歩くべきじゃない。おれはそう思うんだけど、サダさんは違うの?」

「……」

「おれが望んでるのはここ。おれが欲しいものもここにある。サダさんが望むものもここにあるんじゃないの?」

「……」

「何かサダさんってタロさんの話で聞いてた人と違う気がするわ。それとも何か変わった? 歳とってヒヨった?」

「チーフは口が悪いんだよな。それがなきゃ完璧なんだけどな」梅崎さんがそう言った。

「梅さんが口が良いなんて思ったときねえけど?」チーフはそう言い返す。「だいたい身内に対しておべっか使うやつなんて信用できなくねえ?」

「一理ある」梅崎さんはうなずいた。


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「まずはボトル拭きからかな」そう言ってボトルを磨きはじめたチーフの所作に、思わず見とれてしまった。ボトルを手にとる。胸を張る。布を持つ。磨く。これだけの動作に洗練が隠れているなんて、今まで考えたこともなかった。僕はできるだけ今のチーフの動きをトレースするように、バックバーに並んだ洋酒のボトルを取ってはグラスターというグラスを磨くための特殊な布でふきふき拭いた。これならできそうだ、と思いながら。

「もしかして、サダさんってバスケとかやってた?」チーフが言った。

「どうして?」

「ボトルの持ち方が何かバスケっぽいっていうか、バスケ経験者ってボトルの扱い方がうまい気がすんだよね」
「やってたけど」と僕は言った。「でも、1年ちょいでやめたから関係ないんじゃない」 

「つうかおれが昔バスケやっててさ」とチーフが言った。「たぶんバスケって、(ボーリングとか砲丸投げとか、パス要素とかドリブル要素の少ないスポーツは抜きにして)有名どこの球技で一番球重いじゃん。だから必然的に手元がしっかりするんだと思うんだよね」
 そういえば、太郎にも「おまえはドル箱の持ち方が安定してる」とか何とか言われたことがあった。まあ、それは関係ないか……。
「じゃあ一番球の軽い球技って何だろう」僕のひとりごとのような質問に、「パチンコじゃね?」チーフはおどけた表情で言った。「その玉の重みは1円なのか4円なのか。またはゼロになってしまうのか。哲学だね」
 

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 カラン、とドアが開いた。

「いらっしゃいませ」とチーフが言った。

「いらっしゃいませ」僕もチーフにならって低い声でそう言った。


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 ドラゴンボールで悟空に起きる変化をありえないと言う人がいるかもしれない。が、超サイヤ人になった悟空にあるものは、もともと悟空に備わっていたものである。オタマジャクシの中にカエルのすべてが隠れているように。スロットのなくなった僕は、まるで逆超サイヤ人だった。髪の色が変わることは同じでも、このうっすらと表出した白髪はただの老化、あるいはストレスだ。今年で三十三歳。僕の今までの人生は何だったんだろう? 

 状況に合わせて適応する。それを続ける。持続性。継続性。再現性のあることのみをくりかえす。それが僕の人生だった。それでも青天の霹靂は必ず起きる。青天の霹靂に対抗するためには想定しすぎないこと。想定するから想定外が起きるのだ。想定しない。決めつけない。喜ばない。安堵しない。が、それらはすべて、パチ屋用の心構えだった。言葉の通じない外国に来てしまったような感覚だった。
 

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 タローズに来るのはたいてい地元の人だ。

「三宮に行った帰りに久々にパチンコ屋寄ってん」客のひとりがそう言った。「最近のはあかんなあ」

「何があかんの?」客の連れが聞いた。

「勝たしてくれへんねん。昔の店はちゃうかってんけどな」

 どうしてそんな解釈になってしまうのだろう? たまたま勝ったという事実をベースに過去を肥大化させてるだけじゃないか。が、そんなことは言えなかった。

「兄ちゃんは打ったりするん?」

 グラスをふきふき拭いている僕にふいに投げかけられた言葉に、思わず首を振ってしまった。「いえ」  

「打たんほうがええ。勝てへんから」


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 す、スロットが打ちてえ、と思う。遍路中はパチ屋には足を踏み入れていない。ということは、もう2ヶ月近くスロットを打っていないのだった。こんなことは十六歳以来はじめてのことだった。僕はそんなことを考えつつも、黙々とグラスを磨いた。口にする9割は、「いらっしゃいませ」「かしこまりました」「ありがとうございます」ここ数日で覚えたこと。ボトル磨き、グラス磨きは胸を張る。



つづく

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