「物語始まっている途中下車前途無効の切符を持って」 
俵万智 サラダ記念日より


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本作はフィクションであり、実際の人物、団体、事件などとは一切関係ありません。

「パチ屋のなくなった世界で」第二章

梅松ブラザーズ

 

連載第二回

牙リバコンビの登場人物紹介1
牙リバコンビの登場人物紹介2



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 サカキバラリクは、「個性派」と呼ばれる型破りな演技が売りの俳優である。主演作品こそないが、その存在感は群を抜いており、一部の主演俳優には競演を避けられているという噂まであった。

「ちょ、ちょ、ちょ待って」太郎は素朴な疑問を口にした。「何でなん? 何でおれらが有名人をしばかなあかんの?」

「……」梅崎はあからさまに嫌そうな顔をした。依頼の理由を問うてはいけない。そんな基本的なこともこいつはわからないのだろうか? ……まずいな、と思う。こいつといると、ペースが狂う。ふう、と一息吐いて、心を静めた。

「この人ね」そう言いながら、ママはどこか違う宇宙を覗くように太郎の顔を見つめた。「バイセクシャルなのよ」

「……で?」太郎は首をひねる。

「それでいて、悪食なの」

「……で?」太郎はなおも首をひねる。

「セクシャルマイノリティの世界にもね、住み分けみたいなものがあるのよ。ある種の慎み、というのかしら。この人はね、全部を奪おうとするの。レズビアンも、ホモセクシャルも、バイセクシャルも、ノンケも。何もかも。だから……」

「ノンケって何?」

「あなたのことよ」

「馬鹿ってことだ」と梅崎は思わず口にしてしまった。

「ハハ」とママは笑った。


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「ちょ、待って」と太郎は言う。「おかまの人って、基本的におかまの人のことを好きになると思っててんけど、ちゃうの?」

「あら嫌ねえ。その気のない人のことをノンケって私達は言うけど、100%のノンケってのはいないものよ。100%のサディストも100%のマゾヒストもいないように、ね。生命体っていうのは役割の演じ合いなのよ。これは私の持論だけど」

「マジで? そんなん考えたこともなかった」

「……なあ、おまえの話なんてマジでどうでもいいんだよ」梅崎は太郎の耳元で早口でまくしたてた。「今おれたちは仕事をしてる。黙って遂行するか、後はおれにまかせて大阪に帰れ」

「何言うてんねん。おもろそうな仕事やんけ。新しい扉が開くかもしらんやん」

「面白そうとかおまえの興味なんて関係ない」

「ハハハ」ママは笑った。「ほんと、いいコンビね。梅松ブラザーズ」


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「方法は?」梅崎は確認のために聞いた。

「問いません」

「程度は?」

「今彼はオフ期間のはずなので、死なない程度に。ただ、顔はやめてあげて」

「承知しました」梅崎は静かな口調でそう言った。

「お願いします」そう言ったママは悲しそうな顔をしていた。


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 ママは前金で二十万円をくれた。

「ちょ、梅、どっかで一杯飲んでかへん?」

「おれは酒は飲まない」梅崎は即座に答えた。

「おまえもかたいやつやのお」と言って太郎は嘆息した。

「ダラダラ時を過ごすのは時間のムダだ。この足でサカキバラの家に向かうぞ」

「は? マジで言うてんの?」

「あたりまえだろ。おまえ、仕事を何だと思ってるんだ?」

「遊びの延長」

 こいつとかかわりあってはいけない、と梅崎は思った。でも、ふたりで対処しろ、というのが指令だ。困った……


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 梅崎にとって、自分を律することこそが人生だった。暑い、寒い、眠い、あれがしたい、これがしたい、あれがやだ、これがやだ……、そのような感情は、邪魔なだけだった。事実、春だろうが夏だろうが、梅崎は必ずジャケットを着ていた。暗器というものは、肌身離さず持っていないと意味を成さないからだ。

「道具を大切にできない野球選手は二流だ」院長先生がいつも言っていた言葉を梅崎は今でも大切に胸にしまっている。自分の人生などいうものはない。仕事があって、初めて自分は生きていけるのだ。


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「もしもし」と梅崎は折りたたみ式携帯の電話口で言った。「桜井班長。この仕事はひとりでやらせてもらえないでしょうか」

「何か問題あった?」と桜井時生は言う。

「松田遼太郎、彼がいると、仕事に支障をきたす恐れがあります。正直、邪魔なんです」

「ダメだ」と桜井は言った。「ふたりでやるんだ。これは命令だ。わかったな。以上」

 電話は切れていた。

「おまえさあ」と太郎は言う。「そんなんで人生楽しいか?」

「楽しい? 楽しいって何だ? 仕事に楽しいも楽しくないもない。いいか。おまえが何を思おうがそれはおまえの自由だ。でも、仕事は別だ。一緒にやれという以上、おまえは近くにいろ。それだけでいい。おれはおまえに何も求めない。だが、邪魔はするな」

「はいはい」半ばあきらめたように太郎は言った。


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 京王線笹塚駅から歩いて10分ほどのところにサカキバラの住むアパートはあった。

「ここで張る」と梅崎は言う。

「……ここに立ってるってこと?」

「そうだ」

「不審者まるだしやんけ」

「そうだ。だから交代で張る。おれは今からレンタカーを借りてくる。おまえはここで待ってろ。で、何かあったら連絡しろ。いいな」

「……マジか」


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 待つということが、太郎は何よりも嫌いだった。パチ屋の並びも嫌いだった。だから相棒ができるまでは、並ぶ必要のない店ばかりを選んで通った。収支は安定しなかった。100万勝つ月もあれば、50万へこむ月もあった。相棒ができて、渋々並びに参加するようになってから、収支は格段に安定した。そのことを思い出すと、なぜか胸が焦げるように痛む。京王線沿線のパチ屋にはよくあいつと行ったな、と太郎は思った。サダオは元気でやってるだろうか? まだスロットを打っているんだろうか?


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 梅崎が借りたのはマツダの黒いデミオだった。借りた後で、あいつに合わせてマツダを借りたみたいじゃないか、と頭を抱えた。……まあいい。借りてしまったものはしょうがない。

「動きは?」と梅崎は言った。

「ない」太郎はぶっきらぼうに答えた。「たぶんな」

「おまえ、見張りの経験は?」

 太郎は首を振った。

「いいか。待つという感覚は捨てろ」

「どういうことやねん」

「見るという感覚にフォーカスするんだ」

「意味わからん」

「見張りは、すべての仕事の基本だ」梅崎は近い未来、牙大王に向かって言うことになる言葉を初めて口にしていた。「見ると見張るは違う。時間の経過に目をこらすこと。時間ってのは生き物みたいなもんだ。そいつを見る。注意深く、真剣に、片時も気を休めずに」

「……おまえってどんな風に育ったん? 学校とか出てんの?」

「……公的な学校に属したことはない」

「何で?」

「何ででも」


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 梅崎は自分がどこで生まれたかを知らない。が、気づいたときには佐世保市にある養護施設にいた。梅崎という苗字も、そこの院長先生が与えてくれたものに過ぎない。この世界の成り立ちは、すべて院長先生が教えてくれた。しかし院長先生は梅崎が10歳のときに病で倒れ、そのまま亡くなってしまった。恵みの太陽を失ったように、養護施設の雰囲気が変わった。同時に経営も行き詰ってしまった。そんなある日、施設に援助したい、という申し出があった。資金繰りに困っていた養護施設側は、一も二もなく飛びついた。その縁で、梅崎は竹田四郎という男に引き取られることになる。


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 太郎がデミオの助手席で寝入ってしまってからも、梅崎はひとり道端に立ち、黙々と任務を継続した。何かに集中しているとき、梅崎は生きていると感じる。自分なんていない。その感覚こそが、自己の存在の確認だった。自我だとか自意識というのは甘えだ。梅崎はそう考えている。目的のための最適化。すべては生きていくためである。

 結局、この日は朝まで待ったが、サカキバラに動きは見られなかった。だが、それは構わない。得た情報もある。最善を尽くす。それが梅崎の人生だった。


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 ここはどこだろう、と梅崎は思う。そして、自分は誰だろう。梅崎は毎日、そのような疑問と共に起床する。おれの名は梅崎。今は新宿区にあるマンションの一室にいる。サカキバラリクという人間の精神に危害を加えるために。現状を把握した梅崎は立ち上がり、顔を洗った。そして太郎を起こそうとした。

「おい、起きろ」

「……」太郎はまるで住み慣れた自宅にいるように、敷くものもかけるものもないフローリングの床の上で爆睡していた。

「おい、起きろ」

「ん?」と太郎は言う。「ここどこや?」

「昨日借りた事務所だろ」

「事務所? ああ、マンションな。紛らわしい言い方すんなや」

「仕事で使う言葉は正確性を求めるために特別な言い方をする。あたりまえの話だ。おまえは一体何を組織に捧げた? おまえみたいな人間がどうして……」

「細かい話はええやんけ。ほんで梅、今日は何するんやったっけ」

「おれたちは友だちじゃない。苗字を略すな」

「じゃあおれのこと太郎と呼ぶか?」

「……それとこれが等価値のはずないだろ。おまえ頭おかしいんじゃないか。何でおまえみたいな世間知らずのボンボンがこの世界にいるんだ? とっとと実家に泣き帰れよ。邪魔だから」

「誰がボンボンや。おまえ、殺すぞ」そう言って太郎は立ち上がり、梅崎の胸倉を掴んだ。

 梅崎は鼻で笑った。「殺すぞ、という言葉は心の弱さのアピールにしかならない。覚えとけ坊ちゃん」

「殺す」太郎はそう叫んで梅崎に殴りかかっていた。しかし太郎の右拳は、梅崎の頬をかすめもしなかった。代わりに重い塊がみぞおちにめり込んでいた。梅崎の膝だった。一瞬のできごとだった。が、勝敗は決した。

 しばらくの間、太郎は呼吸ができずにのたうちまわっていた。が、彼はあきらめの悪い男だった。フローリングに大の字で横たわりながら、「おまえ、強いなあ」と言った。「どこで習ったん? おれにも教えてえや」

「……」こいつにかかわってはいけない、と梅崎は痛切に思った。



つづく

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