4月24日にアップした「ぶっちゃけ日常会話ってオカルトばっかだよね」という記事にコメントをいただきました。
私もオカルト拒絶派ではあるが、雨男は存在すると思う。
人生の大事な日。それは一生に数回しかない。
その数回が、雨に祟られてばかりの人間は実在する。
それはオカルトでもなんでもない、当人が雨を降らすわけでもない。
ただ単に、「少ない試行の偏り」によりたまたま大事なイベントで
雨が降るという事実が偏ったということ。
これを某氏は星めぐりという表現をされていた。
人間が何万年も生きて「大事なイベント」を何千回と
こなせば、ある程度大事なイベントで雨が降る確率は
皆均一になるであろう。
しかし人生は短い。
「偏り」が産む星めぐり、「雨男」は存在すると考える。
依存性廃人シンゲンさんより
パチスロ廃人シンゲンの依存症日記
ぼくの返信は、以下のごときものである。
Re:シンゲンさん
どのようなタームで物事を観測するか。
生まれてきた確率を考えると、我々は(というか生きとし生けるこの世の生物は)、ヒキ強にも程がある、と思う。タッチの差でこの世に存在することを許されなかった膨大な数の別の可能性たち。でも、実際に命が生じてしまった以上、それを覆すことはできない。
「雨男」も、「宝くじに当たる人間」も、もちろん存在します。
そのうえで、スロット生活者とは、「雨男」を存在させる条件の「勝負」を挑まない人間のことだと思っています。
「何が根拠なのか?」
スロッターの一番の強みとは何か。それは膨大な試行回数である、と思う。
たとえばバジ絆のチャンス目からのフリーズは、1/1313445.66という確率である。これはスクラッチの宝くじで、1000万円が当たる確率よりも低い。そういうフラグがある、というのはいい。宝くじを買って1000万円を得る人間がいる、という事実もどうでもいい。問題は、そのようなフラグが用意されていたとしても(よしんばそれに当たる人間がいたとしても)、それを狙って、あるいは頼りにスロットを打ってはいけない、という当たり前のことである。
偏りはある、とシンゲンさんは言う。その通り、スロッターにとって偏りとは日常茶飯事である。
人生の大事な日。それは一生に数回しかない、とシンゲンさんは言う。それにももちろん首肯する。
でも、少なくとも日常をパチンコ屋で過ごすスロッターにとって、大事な日というのはない。大事なのは、どのような台を打つかという基準、すなわち目線であり、その目線さえあれば、雨に祟られてもかまわない、というのがスロッター的たしなみではないか?
そもそもの話、この高温多湿の国では、雨男/雨女がかなりの確率で存在してしまう。1981~2010年の気象庁の統計(たぶん東京)を平均すると、1年に101日ほど雨が降っている(日本を見渡してみると、岡山県が降水確率が低く、平均87.5日だそうです)。もちろん、6月はこれを遥かに上回る降水量だろうし、12月の平均はこれを遥かに下回るだろう。ただ、いずれにしても、雨はけっこう降る。それは勘定に入れておいたほうがいいのではないか、と思う。1/3程度の確率が当たったからといって、「何でだ」と嘆いてもしょうがない。特異日ってのもあることだしね。
もっと言ってしまえば、その日絶対に雨に降られたくないのであれば、降水確率0%の地(たとえばスーダンのワディハルファで雨に降られる確率はほぼゼロだ)に行けばいい。もちろん暴論、極論の類ではあるが、最優先事項が雨の降る/降らないだったら、そうするべきではないか。
ともあれ、明日雨が降るかどうかは、人間の関与できる問題ではない。ぼくはそう思う。明日のスロットのヒキの強弱がわからないように。未来を完璧に予知できない人間にできることは、雨が降ろうが晴れようがかまわない予定を立てることだけである。
たとえばボーリングをするとする。良いとされているのは、10本のピンすべてを倒すことである。悪いのはその逆、ピンを1本も倒せないことである。いずれにしても、ボールを投げればボールはどこかに転がっていく。ボールが悪い、レーンが悪い、空調が悪い、体調が悪い、運が悪い、ボールを投げた後で嘆いてもどうしようもない。
ギャンブラーであろうと、スロッターであろうと、誰であろうと、何が大切なのか? ということを考えることが、何よりも大切ではないか、と思うのだが、どうか。
そのうえで、ぼくはとりあえず現状を肯定する。雨には雨の、晴れには晴れの、ヒキ強にはヒキ強の、ヒキ弱にはヒキ弱の、何かがある。そう信じる。そのうえで、より良い未来に向かいたいと願う。
3回にわたってお送りしたコメント返信シリーズですが、これにてネタ切れ! 読んでくれたかた、コメントをくれたかた、ありがとう!
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スロットにしても打てる状況、展開は一度として同じものはない。シーン一つ一つ楽しみたいものです。
共に風に吹かれし時、共に雨に打たれし時ふと思う事があるのでございます(朧)