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羽田空港を飛び立った飛行機は那覇空港に着地した。ぼくがここにいる理由は観光ではない。じゃあ何をしに? ……これには長い経緯があるのだが、一言で言えば、「免許を取るため」だった。どうせ合宿に行くなら、遠いとこのほうがいいな、と思ったからだった。北海道と沖縄のどっちかにしよう、と思い、沖縄を選んだのだった。この決断がぼくの人生を変えることになるなんて思いもしなかった。が、人生とはそういうものである。
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沖縄に到着した初日、寮の部屋にいたのはぼく以外に二人だった。連れではないのだが、ふたりとも兵庫県人、ひとりは宝塚の出身、もうひとりは神戸の出身だった。関東人はぼくだけである。寮長みたいな人に対し、神戸の人が言った。
「あのお、このへんってパチ屋あります?」
……! 
「あるよ」と寮長は言った。そして彼に、おおまかな場所の説明をした。
ぼくは内心ドキドキしていた。そして寮長が出て行った後、「どっちすか?」と聞いてみた。
「ん?」彼は首をかしげる。
「パチとスロ」とぼくは言う。
「スロ、やな」
「普段何の機種打ってるんですか?」
「ハナビやな」
マイフェイバリットもハナビ、彼のフェバリットもハナビ、その出会いはほとんど運命だった。宝塚の彼はパチンコはやったことないし、興味もない、と言った。数分後、ぼくたちはチャリンコを借りて、湿気で服がべとべとになりながらも10分ほど走ってパチンコ屋を目指した。そこにあった機種は、たった一機種。

そう、「トリプルクラウン」だった。

修学旅行の頃は、ジロジロと店中をくまなく探索するようなことはなかったし、何より知識がほとんどなかったし、それがトリプルクラウンであるかどうかなんてどうでもいいことで、ただただお金をムダに使うことに陶酔していただけだった。が、この頃は違った。日常的にスロットを打つようになって、これだけの規模の店にひとつの機種しかないなんて、想像を超えた何かだったのだ。

その店のスロットコーナーにはおよそ200台ほどのトリプルクラウンが並んでいた。ぼくたちは台の横に貼ってある当たりやすいゲーム数表みたいなのにだまされながらも普通に打ってw 普通に負けた。帰り道にモスバーガーで溜飲を下げた。翌日から教習がはじまった。教習の合間にパチ屋に出かけた。時にはタクシーを使ってまで。どこまで? パチ屋まで。

まさか十数年経った後もスロットを打っているとは思わなかった十八歳の水無月

ドーン(喪黒福造風に)
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