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ぼくは血湧き肉躍る系の男子なので、三国志的なお話が好きです。小学生の頃のアイドルは織田信長だったし、戦国時代が好き、ヤンキーマンガが好き。そんな単純な人間です。

三国志的な世界とは何か。ずばり、「テッペンとったらあ」という上昇志向人間たちのバトルロワイヤルです。そこには友情があり、知略があり、裏切りがあり、(時折)色あり欲ありの、立身出世のドラマであります。つまり、三国志的な世界とは、個人を組織化(拡張)する物語に他なりません。
そんな世界構造をもった物語の中で、個人的に最も心を惹かれたのは、「幽遊白書」の魔界編。
主人公浦飯遊助と、その仲間、飛影、鞍馬が、魔界の勢力を三分する国に、それぞれ王を補佐するナンバー2として加担するというもの。残念ながら、その世界観は長くは続かず、作者の志もぽっきりと折れてしまったようで、物語は「めんどくせえから、トーナメントで一番ツエエやつ決めようぜ」という、ドラゴンボールメソッドに堕してしまい(それはそれで、少年心をときめかせましたが)、主人公も途中退場してしまうのですが、それまでのワクワクぶりはただごとではなく、小さいぼくは、ああいう世界観の物語をとことん読んでみたいなあ、とずっと思っていました(今、そのような少年心に忠実な漫画は、三国どころの騒ぎではありませんが、ワンピースであり、キングダムな気がします)。

ただ、三国志的な物語には、明確な欠陥があります。欠陥というと語弊がありますが、その構造には、行き止まりがあるのです。
それは何か?
「天下」です。
天下統一を果たしてしまった後、物語には残るものがありません。ということは、物語構造の中に、あらかじめゴールが定められている。無理に続けようとすれば、内部分裂を起こすだけです。したがって、そのような物語を存続させようとすれば、別の国、より大きな大陸、または別の惑星、さらには大宇宙、果ては別の世界から敵を探さなければいけない。敵がいなけりゃはじまらない。物語はインフレをくりかえし、だんだんと必然性は薄まり、強度を失い、しまいには飽きられてしまいます。

それは丁度、日本の経済に、ありようが似ています。
1950~1980年代、日本は頂点に向かってまっしぐらに進んでいました。しかし、90年代、敗戦を迎えて以来右肩上がりだった日本は初の凋落を迎えます。そしてこういうムードが蔓延します。「経済成長だけが幸せなのか?」と。その疑問は、こういう疑問に、代替可能のはずです。「ツヨイやつと戦うことだけが、強さなのだろうか?」

ともあれ、大前提的に、物語は「個人」を描かなくてはいけません。特に小説においては。なぜか?
小説は、ひとりでしか読めないからです。大勢で回し読むこともできますが、映画のように、同時に世界に入り込むことができない。したがって、必然的に、「個人」の営みを描くことが、使命になってくる。文学的とはそういうことだと思います。

トン、トン、トン(仮)」における山村崇が上等を切る組織も、「クリスマスの灯り」の中で桜井時生が忠誠を誓う組織も、結局、個人をスポイルする存在として、描かれています。どの時代もそうですが、組織(あるいは多数派)と折り合いをつけて個人が個人として暮らすのは、容易なことではありません。

まちゃさんの言うように。

パチスロで勝つことは正義ではない。どちらかと言えば異端。忌み嫌われる存在だと自覚するべきだ。お小遣いの範囲で楽しく負けて業界内で経済を回すのが世間一般から見た正しいスロッターの姿なのだ。善悪どちらかに振り分けるのならば負けている人が善で勝っている少数派は悪なんだろう。いつだって悪は少数派なんだ。一般的な善は多数派によって作られる。


というわけで、りんぼさんの言う組織というのは、ぼくの頭の中に具体的なイメージがあるっちゃあるのですが、一人称で物語を語る以上、その全容は語れません。というか、語り得ない。語れないからこそ、組織は個人にとって脅威であり、ブラックボックスであり、だからこそ主人公は、反発し、あるいは遠ざかろうとします。

書き手としてのモチベーションも少しあります。現実の世界で組織から追放されたぼくは、組織と関わらずに生きるために、組織(あるいは多数派)に抵抗するレジスタンスとして、小説を書いています。スロットを打っています。笑

閑話休題

……長い小説を書き終えたばかりなのに、書き終えたはずなのに、遠くで呼んでる声がする。「おーい」「おーい」と呼んでいる。闇のほうから呼んでいる。

書いているときは特に意識しなかったのだけど、登場人物(男性)の苗字を改めてふりかえってみると、

山村
高木 
松田 
竹田
梅崎 
桜井 

田所
今井
園田

と、いかにもイミがありそうな感じ。山の民と平地の民の構図というか。批評家、特にフォルマリストさんやシンボリストさん(象徴主義者)であれば、これとこれは云々、かくかくしかじかな意味があって云々と、解き明かしてくれたりするのかもしれない。でも、作者からすると、頭の中にあったものを、ぽん、ぽん、ぽん、と出しただけなので、正直よくわかりません。というか、現国の問題でよく出てくる「作者が何を言いたかったか?」なんて、作者もわかっていないことの方が多い気がします。

ただ、田所りんぼさんという人にはとても興味があるので(そもそも人間なのか? という疑問もありますが)、彼の成り立ちを描きたい、という気持ちはあります。

Limbo[キリスト教]
1、リンボ、地獄の辺土《地獄と天国の中間にあり、キリスト降誕以前の善人や洗礼を受けなかった幼児の霊魂が住む所》
2、不確実な状態
3、忘れ物[不要な物]の放置場所;刑務所

ジーニアス英和辞典より

りんぼ【臨模】
〈リンモとも〉手本や原本を見ながら書いたり透き写しをしたりすること。臨写と模写。

広辞苑より

そしてりんぼさんと組織の関わりを描く以上、ぼくが小さい頃から憧れ続けた「三国志的な世界観」になるような予感がします。でも、あまりに血なまぐさい話だと、ブログじゃ厳しいか(自主規制)。

正直なところ、この小説のキーマンだった小僧にしても、まだ未消化の部分がありますし、太郎の過去や、桜井時生にしても、主人公の父との確執や、元カノとのいきさつ等々、ライン友だちになった新地の女の子、越智さんのことも、書き足りないことはあります。
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ただまあ、そういう話は今はやめておきます。

閑話休題

さて、まもなく春がやってきますね。少し脳を休めた後、三寒四温が緩んできた頃に、旅行に出ようと思います。去年の暮れからずっと、2ヶ月以上、スロットを打って、スロット小説を書いて、という、延々スロットにまつわることを考えていたので、ちょっと距離を置こうと思っとります。スロット脳を休めるために1日1時間までにするとかw
後、久々にお酒を飲みたいな、と。
昨日久々にガッツリ飲んでしまったので、今は匂いも嗅ぎたくないです笑
ともあれ、しばらくは頭を休めつつ、スロットをしたり、映画を見たり、近場をフラフラしております。

書くこと、賭けること 寿


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