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「お、おまえが悪いんやぞ」ピアスが声を上ずらせながら言った。
「おい、行くぞ」と坊主が言った。

 ふたりは挙動不審な態度で走り去った。その間も、小僧の目からは血が流れ続けていた。
「師匠、すいません。目押しできなくなっちゃったかも」小僧が目を押さえながら言った。
 僕は119番に電話をし、かけつけてくれた救命救急センターのスタッフと一緒に救急車に乗った。不幸中の幸いというべきか、小僧は親戚の扶養下にあるらしく、健康保険証を持っていた。待合室の長いすに座りながら、ああ、そういえば、スロットやめてこなかったな、と思った。下皿にコインのある状態で店に戻らない人がたまにいるけれど、あれは店に対する嫌がらせか何かだとずっと思っていたのだけど、こういうケースもあるのだな、と思った。高設定だったかな。
 そのうちに警察が到着した。どうして職業のことを聞かれなければいけないのか、と思ったが、僕は正直に言った。その瞬間、警察官の顔が曇ったが、見なかったふりをした。まるで僕が加害者かのごとく、高圧的に色々質問されたが、そのすべてに僕は正直に答えた。僕を捕まえたいというのなら、どうぞ、という気分だった。小僧は命には別状はなかった。が、右目はおそらく、元の機能を取り戻すことはできないでしょう、と病院の先生は言った。小僧はもともと左目が弱視状態だったらしく、生活に不自由が出るだろう、とも。ただ、一週間ほどで退院はできるだろう、とも言った。
「師匠すいません」小僧は弱弱しい声でそう言った。
「心配すんな」と僕は言った。「何もかもうまくいくから」
 希望的観測を、思うこと、言葉にすることを、ずっと禁じていた。だから……僕はたぶん、スロットに出会って以来、初めて嘘をついた。
「また明日来るわ」と言った。
 小僧は寝てしまったようで、返事がなかった。

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 たけさんから着信が20件くらい入っていた。ため息を吐いた。誰にも会いたくなかった。フラフラ歩き、目についた飲み屋で、生まれて初めて飲みたくもない酒を飲んだ。飲みたくはないのだけど、飲まずにはいられなかった。飲んでいるうちに、腹が立ってきた。誰に? あいつらに? 軽率にもナイフの前に顔を出した小僧に? そのうちに、自分が一番の極悪人であるような気がしてきた。怒っているのか、怒られているのか、よくわからなくなってきた。次々に湧いてくる感情に、意識が耐えられなかった。解決方法が、その糸口すら、見当たらなかった。電話が鳴っていた。たけさんだった。依然喋りたい気分ではなかったが、それでも、無視するのは人としてよくない、と思った。
「もしもし」と言った。
「おい、師匠。どうしたんや。今どこや?」とたけさんは言った。
 手短に事情を話すと、たけさんは軽自動車を飛ばして迎えに来てくれた。
「小僧はどこや?」とたけさんは言った。
「病院で寝てます」と僕は言った。
「もう面会時間は終わっとるか。……なあ、おまえ、大丈夫か?」
「はい」と言った。
 そのままたけさんの家に泊まった。客間に布団をしき、横になるとすぐ眠ってしまった。

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 起きると体中が痛かった。たけさんは見当たらなかった。代わりにりんぼさんがいた。
「おはよう」とりんぼさんは言った。
「おはようございます」と言った。
「聞いたよ。復讐してあげようか?」
 僕は首を振った。
「相手が憎くないのかい?」
「憎いというなら自分が憎いです」
「小僧くんがかわいそうとは思わない?」
「……もし、小僧がそう感じているのなら、お願いするかもしれません。でも、僕はそんな気持ちにはなれません」
「混乱してるね。君のそういう顔は初めて見た」どこか嬉しそうにりんぼさんはそう言った。
「たけさんはどこに行ったんですか?」
「小僧くんのお見舞い。師匠が起きたら、連れて来てくれって。そろそろ出ようか」
「はい」と言った。
「立てるかい?」と言って、りんぼさんが手を差し伸べてくれた。
「ありがとうございます。大丈夫です」と言って、立ち上がった。やはり体中が痛んだ。しかし我慢して歯を磨き、顔を洗って鏡を見ると、髪の毛に自分の血がこびりついてパリパリになっていた。
「あの、ちょっとシャワーを浴びてもいいですか?」と言った。「このまま病院にいくのはしのびないので」
「どうぞ」
 苦痛に顔をゆがめながらシャワーを浴びた。
 ふと思う。どうして僕の目には、小僧の目にナイフが入っていく一部始終が見えたのだろう? 今考えてみると、そんなはずはないのだ。あのとき、僕に向かってくるキャッチャーに立ちはだかるように、小僧は体を投げ出した。結果、ナイフが目に入ってしまった。が、後ろにいる僕にその光景が見えていたはずがないのだ。
 或いは、これは夢なのだろうか? しかしこれが夢でないことは、体のあちこちの痛みが否定していた。わからなかった。僕が人生で唯一手に入れようと思って手に入れたもの。後天的な特質。スロッターにとって一番大切なもの。冷静な判断ができなくなっていた。クソ……とつぶやいた。
 服を着替えていると、越智さんが「こんにちは」とやってきた。上半身裸の僕と目が合って、越智さんは気まずそうな顔をした。……すいません、と言った。服を着て再度あいさつをすると、小僧のお見舞いをするために、車を出してくれるのだという。僕のいない場所で、僕に関わる予定が進められているというのは、不思議な気分だった。違う世界、或いは過去の世界に来たみたいだ。他人と同じスケジュールで朝から移動するなんて、スロット以外ではそれこそ学生以来だった。真新しい車の匂いにウトウトしていると、病院についた。
 
「お、師匠来たぞ」とたけさんが言った。
「あ、師匠。おはようございます」包帯が巻かれているので表情はわからないが、割と元気な声に聞こえた。
「おはよう」と僕は言った。
「僕たちも来たよ」とりんぼさんが言い、「こんにちは」と越智さんが言った。
「りんぼさん、あ、越智さんも。何かすいません。ありがとうございます」申し訳なさそうに小僧はそう言った。正直、いたたまれなかった。
「目は痛い?」とりんぼさんが訊いた。
「それが、痛いとかわからないんですよね」
「そっか」
「なあ、おまえら少しは体鍛えたらどうや?」とたけさんが言った。「あんな連中に負けんように」
「いいです。筋肉なんて、スロットするのに邪魔ですから」と言うと、「師匠、それかっこいいです」と小僧が言った。
「バカ師弟が」たけさんがあきれるように言った。

つづく

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