「なあ、ついてくんなって言ってんだろ」
「お願いします」
「だから」
「マジで、おれには師匠しかいないんです」
「さっき会ったばっかだろ」
「マジでお願いします」
何をするかと思ったら、小僧、土下座をしている。僕はその行為を無視して歩き出す。小僧はすかさず追ってくる。捨て犬に餌をやったらクンクンなつかれた感。ひどくうっとうしい。
「ねえ、師匠」
「まだいたの?」
「いますよ。師匠」
タバコを取り出して、火をつけて、煙を吸い込んだ。尖った風が落ち葉をさらって走り抜ける。季節は冬の入り口に足を踏み入れていた。野宿はそろそろ厳しいな、と思う。
「あの」「あのう」「すいません」「あの」「すいませーん」「シ、ショー」「シッショー」
僕は声を無視してすたすた歩く。いつかあきらめるだろうと思って。
しかし、無視というのがこんなにも精神を使うだなんて知らなかった。いじめの場合は集団だから可能なのだろう。一対一だと無理がある。人間の感情は、携帯電話の電波みたいに送受信可能なのだ。喜びも悲しみも伝播する。だから無視という交換の拒否を続けると疲弊するんだ。たぶん。
では、どうしてパチンコ屋の中ではそのような感情の働きが失われるのだろうか? 金のせいだろうな、と思う。うん。金とは現代の最上位におわす、幻想としての神みたいな存在なのだろう。ふむ。そうなると、金を諸悪の根源に仕立てあげたくなるのが、原理主義気質を持った人間という生物の矮小性だろうな、とか、シッタカ人間論みたいなことを考えながら、途中でコンビニに寄ってトイレを借りたり、きれいな風景の前で立ち止まったり、タバコを吸ったり、吸殻を携帯灰皿に押し込んだり、小僧を無視して歩いていると、さすがに小僧も疲れたのか、喋らなくなった。が、それでも律儀についてくる。そうするうちに、目の前にパチンコ屋が見えてきた。駐車場まで開店を待つ人で溢れていた。
「あ」と小僧が言った。
思わず「ん?」と声が出た。
「あいつらです」
「え?」
「おれの金、盗んだやつら」
「マジ?」
しまった。喋っちまった。巻き込まれた。
「師匠。どうしましょう?」
「どうしよう」
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目が覚めた。
寝返りも打てないマンガ喫茶のリクライニングシートの上だった。が、これはこれで心地良い。小僧はたぶん横の個室で眠っている。
以前、利害関係が一致して、しばらくコンビで打っていた太郎という男がいた。ふたつ年上で、すぐキレて台に当たる、性格的には僕と全然合わないやつだったが、あの頃は本当に状況が良く、月の収支が百万を超えることもあったから、全然耐えられた。中古のワゴン車をふたりで購入して、そこで寝泊りした。大勝の後は、いつもキャバクラや風俗をハシゴした。それでも翌日は朝からパチンコ屋に並んだ。太郎は太いヒキをしていた。その分浮き沈みの激しい攻め方をしたけれど、パターンにはまると本当に強かった。僕が尻込みするような状況でも彼は猛然と突っ込んでいった。彼の信条は、引く、乗せる、持ってくる、という精神論に近いもので、コツコツ系の僕の考えを、理解は示しながらも本質の部分であざ笑っていた。お互いがお互いの保険のような存在だった。それでも時勢と合致したのだろう。ひとりのときとは比べ物にならないほどの金額を毎月稼いだ。そしてその金の大半を夜の街に吐き出した。得る、と、使う、が大なりイコールで結ばれる楽チンな季節。邯鄲の夢、バブルと知りながら、僕たちは時代に乗った。
しかし彼は、みなし機撤去の業界再編成のあおりから流行り出した裏スロットにはまり、朝から晩までパチンコ屋で打って得た金を、夜からの裏スロットで溶かすというギャンブル連鎖にはまり、借金を抱え、車とともにどこかに消えた。そういえば、誰かと一緒に行動するのはそれ以来なのだった。
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パチンコ屋の前で、あいつらから金を奪い返すにはどうすればいいだろう? と考えた。
人から何かを奪うにも、テクニックが必要なのだろう。たとえばブラフで騙す。気づかれずにスる。暴力に訴える。しかし僕は塵芥のスロット打ちで、そんな技術などあるはずもない。
「なあ、あいつらにいくら盗まれたの?」と小僧に聞いた。
「五万円とちょっとです」
「じゃあさ、この店から金を得るってのはどう?」
「どういうことですか?」
「どうせあいつら負けるよ。あいつらが落としたお金を店から得るってことならおまえも納得するだろ?」
「全然いいですけど、でも、どうやって?」
「とりあえず並ぼうか」
「はい」
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列はすでに百人を軽く超えていた。
問題は、入場に際して、会員カードが必要か否か。前に並んでいる老人にそれとなく聞いてみると、カードは必要ないとのこと、後はいい番号を引けるかやけどなあ、とのこと。今日は熱い日なんですか? と聞くと、熱いといいんやけどなあ、とのこと。笑顔でお礼を言う。しかし、この人数。店が力を入れているのは間違いなかった。であったとしても、初見の店でいきなりノープランの勝負は愚の骨頂である。とにかくスマホで情報を収集する。ブログ。掲示板。もちろん信憑性には疑問符がつくが、雰囲気はつかめる。しかし、情報はほとんどなし。本当はそれとなく若い子に聞くのが一番だけど、僕にそのような人懐っこさはない(太郎はこういうことが上手だった)。まあ、とりあえず今日は状況を見て、後で腰を据えてこの店を攻めてもいい。小僧には白装束を脱いでもらい、服と帽子とサングラスを貸した。これであいつらに気づかれることもないだろう。
「なあ、あいつらに復讐したいとか、そういう気持ちはあるの?」
「いや、ないです。おれが間抜けだったんですから」
「そうか。じゃあ、頑張ってここで五万稼ごう」
「お願いします」
「いや、一緒に稼ぐんだよ」
「え、でもおれ、パチンコ屋って入ったことないっすよ」
「大丈夫だよ」
しばらく待っていると、抽選の時間になった。僕は七十六番、小僧は十番。悪くない番号だった。
入場までの時間を使って、できる限り小僧にレクチャーした。パチスロの単純な構造、設定という勝てる可能性、店の営業努力。小僧がどの程度理解したのかはわからないが、とにかく「数学」を数えれば設定を判別できるということはわかってくれた。そして高設定台を打つのが誰であれ、店の懐はまったく痛くないということも。
十番の入場順番券で入場する。小僧には七十六番を渡し、入ったら俺を探せ、と言った。
入場が始まる。朝一から店に入るのは久しぶりで、胸が高鳴った。開店の音楽に軍艦マーチが流れる店も久しぶりだった。ワクワクしている自分に首を振り、仕事をしよう、と気持ちを切り替えた。前の人間が進む先を見据えた。おじさんおばさんはパチンココーナーに流れ、若い子たちはスロットの人気機種を目指した。まず機種を絞り、データカウンターを足早にチェックし、めぼしい台を入場順番券で押さえた。さてどうするか。とりあえず小僧が打てそうな台を探さなくては。ということでAタイプと沖スロのシマを徘徊する。データカウンターをポチポチ押しながら眺めていくと、割とボーナス回数がついている。通常営業でも設定状況が悪くないのかもしれない。が、いきなり彼に打たすのは荷が重過ぎる。そうこうしているうちに、小僧が現れた。想像以上に素人との二人三脚は難しいものだと思った。とりあえず今日は小僧に雑用をしてもらおう、と決断する。
「うるさいっすねえ」と小僧は言う。「それで、どうすればいいですか?」
「とりあえず今日は見学。適当に研究しといて。で、飽きたらあの隅にマンガコーナーがあるから、スロ雑誌でも読んで待ってて。とにかく何かあったら呼びにいくから、ぜったいに店内にいて。いい?」
「わかりました」
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パチンコ屋に併設されたうどん屋で昼飯を食べながら、小僧が口を開く。
「素朴な疑問なんですけど、高設定ってほとんど勝てるんですよね。じゃあ、店の人がその高設定台を知り合いに打たせたら、絶対にお金を稼げるじゃないですか」
「そうだよ」
「どうやって、それを防ぐんですか?」
「防げないね。ぶっちゃけ」
「それっておかしくないですか?」
「おかしいよ。そもそもぜったい勝てる設定なんて存在は、ギャンブルの概念と合わない。だってギャンブルは基本的に客が勝てないような金吸い上げシステムでのみ成立するビジネスであって、大勢の敗者のお金が胴元に入り、その中から少数の勝者におこぼれが出るっていう仕組みだけど、パチンコとスロットの場合は、もうハナから勝てるっていう釘なり、設定なりが仕込まれている。それが幻想だっていう人もいる。あの設定というのはウソだ、と。ギャンブルに必要な控除率が、スロットの場合は低すぎる。最低設定で3パーセントくらいで、なおかつ高設定を入れるなんてことをしたら、店の儲けはどこから生まれるんだ、とかね」
「控除率って何ですか?」
「参加料。日本の競馬の例でいうと、売り上げの25パーセントっていう金額がJRAに入って、残った75パーセントでオッズを割り振る。実際はもうちょい複雑だけど、簡単に言えばそんな感じ。だから一レースごとに、主催者側は最低でもその25パーセントのお金だけは得られる。確実に」
「すげえ」
「パチンコ屋の場合はそれが曖昧なのは事実。でも、設定ってのが存在するのは事実だし、高設定が負け難いのも事実。店が遠隔とかしない限りね」
「どうやって見極めるんですか?」
「今は雑誌社がメーカーからもらって出す解析データと照らし合わすしかないんだよね。後は自分の経験を踏まえてさ」
「師匠がいる世界ってすごいっすね。でも、今日は調子悪いんですね」
「うん」
「これからどうするんですか?」
「とりあえず台が空くのを待つしかないかな」
「地味ですね」
「うん」
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店の会員カードを作り、メール会員にもなった。ろくな情報は来ないにしても、念のため。小僧から金を巻き上げたあいつらは、早々に負けて店からいなくなっていた。小僧の金はこの店に流れたということになる。一台目を見切った僕は、ひたすら店を歩き回った。確かに高設定はある、と踏んだ。気づいた点をトイレの中でメモった。
小僧には、僕が言った台が空いたら取るべし、という指令を出している。その客がトイレに行くたびにそわそわする小僧を眺めながら、僕は不毛な時間をやり過ごした。
投資30000円、回収15000円。この日は15000円(ひとりあたり7500円)の負け。
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「ノリ打ちをするにあたってのルールを言うからゼッタイに遵守して」
「はい」
「まず、コインは共有財産。だから、一枚たりともムダにしてはいけない。取りこぼし、ムダ回し、勝手に換金したり、ジュースやホットドッグを買ったり、落としたりしてはいけない」
「はい」
「分け前は完全に二等分して分配する」
「でも、いいんですか?」
「ルールだから」
「そのルールって誰が決めたものですか?」
「俺」
これは以前太郎とコンビ打ちするにあたって提示したルールだったけれど、結局太郎は全然守らず、気を抜くと小役を取りこぼすし、勝手に珈琲を飲んだりホットドッグを食べたりタバコに交換したりしていた。でも、僕は一度もそういうことをしなかった。良かれ悪しかれ僕はそういうことのできない人間なのだと思う。
近くで野宿して、翌日は午後からの出勤。寝袋を持たない小僧は寒さでまったく眠れなかったらしく、僕が起きた後の寝袋で朝から眠っている。その間、僕は戦術を練ることにした。まずしなければいけないのは、彼を戦力にすることだった。小僧がすぐにでも使える戦法は、ゲーム数で大当たりを管理する台のゲーム数狙いと天井狙いである。が、僕はできれば設定狙いをしたい。そのために覚えることはガッチガチに組んだ木の葉積みのコインほどもある。ともあれ必要なのは、目押し力と台の特性の暗記だった。
「あのさ、本当にやる気ある?」小僧が起きた後でそう聞いてみた。
「何のですか?」
「パチンコ屋で稼ぐ」
「はい。というか、頼んだのはおれの方なので、もちろんやる気あります」
「じゃあ今から言うことを何かに書くか、記憶して」
「はい」
その後食事を取り、店のデータをチェックしたり、気づいたことを(その場では書かず)スマホにメモったりした。
「これって何か不審者みたいじゃないですか?」と小僧が言った。
「そうだよ。不審者だよ。ギャンブルで勝とうとしてるんだから不審者に決まってるだろ。でも、なるべく不審に思われないように、目立たないように」
「難しすぎます」
「人の顔を直視しない。店員の顔を直視しない。早くもなく遅くもないスピードで歩く。体を動かすんじゃなくて目を動かす。なるべく一回で記憶する」
「はい」
結局この日は何も打たなかった。やろうと思えばハイエナはできたけど、とりあえず小僧には、この仕事がしんどいのだ、ということを知ってもらいたかった。
その夜、スマホでスロットのアプリをダウンロードして小僧にやらせた(小僧は携帯電話を持っていなかった)。
「それを四六時中やって、リールが一周するスピードを覚えて」
「はい」
小僧の飲み込みは早そうだった。この分だと目標額までは二週間もあれば何とかなるだろう。たぶん。
つづく
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できれば押してください
太郎のこと。
「利害関係が一致して、しばらくコンビで打っていた太郎という男がいた。」
おそらく太郎は最低限の知識と技術はあったけど、精神的な部分が足りなかった男として書かれていると思います。でも実際そういうタイプのプロってあまり見ないですよね。一年間通してこのタイプの人間が生活できるほどスロの世界は甘くないですから。もしかしたら大きい軍団になれば打ち子としてはいるかもですが。少なくとも少人数のノリ打ちでは組む価値の無い人間です。
「太郎は太いヒキをしていた。その分浮き沈みの激しい攻め方をしたけれど、パターンにはまると本当に強かった。僕が尻込みするような状況でも彼は猛然と突っ込んでいった。彼の信条は、引く、乗せる、持ってくる、という精神論に近いもので、コツコツ系の僕の考えを、理解は示しながらも本質の部分であざ笑っていた。」
この部分はとても理解できます。プロはヒキという言葉を使いを話をしても、本質的には制御できないもしくは勝負分ける要素とは考えないですから。そう言う意味で主人公が太郎に感じていた利害関係をもっと説明する必要があるのではと感じました。人は己とは違う人間に憧れます。恐らく主人公は太郎に人間としてのの魅力を感じていたんだと思います。この辺りは掘り下げて書いても良かったのではと思いました。
基本的に寿さんが描くキャラ(特に主役系)は好きですね。別の章で主人公はモラトリアムを否定していますが、まさしくそのたぐいを地で行く感じだし、善悪の判断がとても宗教的な綺麗さを持っている感じがします。