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時代時代で変わるのかもしれないが、現時点では(少なくともぼくの生きてきた三十数年では)、三枚目の方が期待値が高い(高かった)ように思う。

というよりも、相対的にマシ、というべきか。基本的に、ヤリタイヤリタイヤリタイ、に肉体がついているような男という生き物は、気色の悪い存在なのだ。
そもそも人間なんてものは、一皮向けばみな、標本模型のあれである。で、あの標本模型が喋る。

「ねえ、ご覧。真昼に月が出ているぜ。知ってるかい? 月ってのは、地球から見える側は、地球上どこから見ても、同じ面なんだぜ。ぼくから見る君が、いつも素敵に見えるように」と。

まず間違いなく、満額回答に近く、「きしょっ」と言われるだろう。あるいは、「だから?」と言われる。

あの標本模型が喋る。

「布団がね、ふっとんだと思ったらね、おれね、ふっとてるからね、ふっとばなかったんだ、えへへ」

ほらね。こっちのほうが、マシだ。

本来、二枚目というのは色男という意味であるが、ここでは便宜的に、自分をよく見せようとする人間を二枚目、自分を悪く見せる、あえてくさす(けなす)人間を三枚目、という風に定義したい。

基本的に、根本的に、男子は根が二枚目ということが多い。これをぼくは、ネマイメシンドローム(症候群)と呼んでいる。
対して、根が三枚目の人は、ほぼいないのではないか。なぜなら、基本的人権に酷似した、自分という存在を主人公と理解する自我をくさして笑いを取るなんて、あまりにあまりある高等技術だからである。

二枚目と三枚目では、テクニカルな問題として、洗練度合いが違うのである。つまり、二枚目というのは人間の初期設定に過ぎず、三枚目というのは、後天的に獲得する技術と言える。
くだけた言い方でいえば、二枚目の自意識はマスターベーショナーであり、三枚目の自意識はエンターテイナーなのである。

考えてみてほしい。
男女関わらず人間は「ギャップ」に弱い。
普段おちゃらけている人間のここぞというときの「二枚目」と、ふだんかっこつけている人間の、ここぞというときの「三枚目」。
想像するとすぐにおわかりいただけると思うが、リスクが違う。
普段から自分を悪く見せようとしているのだから、かっこつけてすべっても、大したダメージはない。「ああ、またアホなことやってはるわ(微笑)」で終わりである。
が、普段かっこつけていて、ウケ狙いをしてすべったら、それはもう、致死量である。「……あの人どうしたのかしら(真顔)」

というわけで、男性として生まれたからには、三枚目を目指す方が期待値は高い。

自分を良く見せようとする<自分をくさす、である(外見の問題は除く)。

ぼくがそのことに気づくきっかけは中学生の頃で、シモネタを公言するやつと、シモネタを公言しないやつは、どこが違うのだろう? と考えていて、ふと思い当たったのだった。もちろん、当時は気づいたというレベルではなく、ぼんやりと雲のごときふわふわした気づきのもとが頭の片隅にあって、それが段々と言語に変化していったのだけど、ともあれ、ぼくは中一まではシモネタが大嫌いだった。同級生のマセガキを見下げていた。なぜ、そんな話題を平気でするのだ? 下品だ、と思っていた。でも、その下品なことに興味がある自分はいったい何者なのだろうか? と考えた。

結論は、隠さないほうがマシだ、というものだった。興味があるものは認めるしかないではないか。

かっこつけの悪いところは、たとえば女性とデートをしていて、女性が今夜は帰りたくないゾーンに入っていたとする。でも、ビッチ認定みたいなおかしな言葉がまかりとおる今現在の文化的傾向として、「今夜は帰りたくない」なんてセリフを吐くわけにはいかない。そこで、女性は帰ろうかな、という態度を示す。何かしら理由をつける。かっこつけは、そうだね、夜も遅いし送っていくよ、てなことを言って、かっこをつける。女性からすれば、何だこのチキンボーイは、というすれ違いが起きてしまう。

もちろん、本当に帰りたい場合も多々あるだろうから、そこらへんのバランスというか兼ね合いは難しいけど、かっこつけはかっこつけで、女性を送った後で「ああ。何てことをしちまったんだ」と後悔することが多く、そんなところでかっこつけるのなら、もういっそのこと、かっこ悪くても、お願いした方が、お互いのためにいいような気がするのである。

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