精神と時の部屋での生活とは、『自宅警備員的作家』として活動していた頃の記録である。
精神と時の部屋での生活1
精神と時の部屋での生活2
精神と時の部屋での生活3
精神と時の部屋での生活4
精神と時の部屋での生活5
精神と時の部屋での生活6
精神と時の部屋での生活7
愛?
……愛?
作品を書き続けていた。が、何かが足りなかった。
作品作りはオナニーではいけない。そう考えたぼくは、じゃあ何だったらいいのか? と考えて、愛にたどりついたのだった。
オナニー<セックス<愛
こう書くと卑猥な感じだけど、ぼくは大真面目だった。
愛とはど真ん中の言葉であり、永久不滅であり、「愛」以外に表現できない唯一無二の概念であるが、そこに辿りつく前にはいくつかの階層があり、それらはざっくり「必要性」と「偏愛」とに分かれている。
ぱっと思いつくもので一番強いのは母の子を思う愛だろう。これは必要性の権化、究極の自己愛と言える。男の場合、自分よりも自分を代表する存在を見つけることが難しいため、「偏愛」に走る傾向がある。自分が唾をつけたものが最も可愛いというバイアスである。
「その昔、プリギュアというところにミダスという王さまがいた。王は酒の神ディオニュソスに感謝され、『触るものみな黄金に変える』という超能力を授かる。だが、食べるものまで黄金に変化してしまい、王は餓死してしまう」
そんなギリシャ神話のミダス王の逸話(ヴァリエーションのひとつ)が男の哀しみを代弁しているように思う。
ともあれ、「愛」のヴァリエーションを物語に即して考えてみると、たとえばぼくには一ナノメートルも理解できない「リアル鬼ごっこ」という小説が受けた理由は「偏愛」ゆえ。この世にいるすべての「佐藤」性を抹殺しようとたくらむ「王」は紛うかたなきキチガイである。一般常識にとらわれないそんな型破りな物語を欲していた読者(カスタマー)が、とくに当時の若年層に多数いた、ということなのだろう。
そんなニッチな需要を満たした作家はそれだけですごいわけで、文章力うんぬんで排除しようとしたり、理解の範疇の外側にあるからといってないがしろにしていいとは思わない。偏愛のための物語は、少なくとも潜在的な要求に応えているのだから。
では物語にとって「必要性」とは何か。
おそらくは、宗教における聖典のようなものだと思う。無宗教的、客観的な言葉に変えるとガイドライン的な物語。あなたがそこにいてもいい理由のような。
信者-カスタマー
表現の神様が広げた手の右と左の端にはそういう人たちが止まっている。となると、ぼくはどこを目指せばいいのだろう?
……ぼくはぼくが「ハンターのジレンマ」と呼ぶ病におかされていた。
ハンターは「必要」から獲物を追う。だがいつしか、ハンターは獲物を追うことそのものに固執する、つまり、「依存」してしまう。獲物のためではなく、行為のために行為を行う自給自足のオナニー。ミイラ取りがミイラになる、というやつだ。
ぼくは物語を書くために物語の書き方を探していたはずなのに、いつしか物語の書き方を探すために物語を書いてしまっていたのだった。
そんな時代に書いた文章がこちら(長いので飛ばしてください)。
”
「黒髪の天使と白髪の悪魔」(仮)
福森タケルの所有するビルの十三階にはテナントが一つも入っていない。もちろんそのことは福森の悩みの種ではあったけれど、この不況ではしかたないと思っている。ということで、月に二度入ってもらっている清掃会社の職員以外、この階を使う者はいない。ここにいる二名を除いては。
会議に使うような幅広い一室、そこには黒髪の天使と白髪の悪魔がパイプ椅子に腰をかけてぐったりとしている。白と黒のコントラストが実に美しい。「明日のジョー」のラストシーンを彷彿とさせるような、映画「砂の女」の陰翳のような、ヒッチコックの映像のような、つまり白黒的な魅力、である。
「何でや?」と天使が言う。
「何がや?」と悪魔が言う。
「何でこんなことなったんやろ?」
「しゃあないやん」
「しゃあないことあらへん」
「じゃあどないするぅゆうねん?」
「もう、死のか」
「え?」
「それしかないやん」
「それマジでゆうとん?」
「マジや」
「どうやって死ぬん?」
「だからそれを考えてんねやないけ」
「そんなんゆうたって死なれへんやん?」
天使が足を組み直し、長机の上に置いてあった珈琲を口にする。苦さに顔をしかめる。悪魔は天井を向いたまま動かない。
「やり直すって無理なんか?」
「知らん」
「なあ」
「知らんて」
「聞けや。話」
「ええって」
「ええことないやろ」
「ええことないけど、しゃあないやないか」
「ちぇっ」
「ちぇっって何やねん」
「黙れ。しばくぞ」
「あ? 何イキっとん? キショいって」
「うっさい、ボケ」
ドン、とビルが揺れた。
「はじまってもた」と天使が言う。
「ちょお、早ない?」とあせりながら悪魔は窓の外を見る。
断続的に火柱が上がる。パニックになった民衆に、次々と火の手が襲う。叫び声がそこここで聞こえる。
物理法則を無視するように、このビルの十四階から先が日本刀か何かでスパッと切れたように落ちていく。天使と悪魔はそれを見ている。
「ほら」
「ほらって何や?」
はあ、と悪魔は深いため息をつく。
「ため息つくと、幸せ、逃げんねんで」
「幸せって何や?」
「愛やな、愛」
「おまえ鏡って見たことある?」
「みいひん」
「あ、そう」
阿鼻叫喚の地獄絵図は次第に広がっていく。こうなってしまったらどうしようもない。二人は口を閉ざしたまま喋らない。時間だけが経過していく。
どれくらいの時間が流れただろう。外の世界が沈静化していた。雨が降っていた。かそけき雨の音が二人のささくれ立った気持ちを癒したのかもしれない。先に口を開いたのは真っ白な髪の悪魔だった。真っ黒な髪の天使がそれに続く。
「雨、やな」
「ああ、雨やな」
「なあ、こんなんいつまで続くんかな」
「わからん」
「飽きひん?」
「せやな、最近はちょっと飽きたかな」
「どれくらい前から飽きてんの?」
「産業革命以降やから二百数十年くらい前かなあ」
「ああそう」
「おまえは?」
「もっと前。大航海時代? 六百年前くらい」
「マジで?」
「ああ」
「何でそれもっと早く言わへんかったん?」
「いや、ちらっとやで。ちらっと思っただけやで」
「ああ、そうなんや」
「うん。でもおまえも飽きとったんやったらゆうてくれたらよかったのに」
「ん、まあ、飽きた……ゆうか、なあ」
「なあ、やあらへん」
「ほな、いつがいい? てか好きやった?」
「んー、むっずかしいなあ。いつやろ?」
「あんな、人間より恐竜のがええような気せえへん?」
「あ、わかるわ。ただ、それ言ったらあかんよ。怒られるでジブン」
「そうか?」
「そらそうや」
「ほなどうするよ? これから」
「ちょっと考えてんけどさ、地球のさあ上下一万メートルくらいの間って、生き物だらけやんか。その考え止めへん?」
「どういうこと?」
「今までは多様ゆうんが生物界を担保してたやん」
「うん」
「そうじゃなくてさ、一頭のみやねん」
「一種類ってこと?」
「ちゃうちゃう。一頭が多様やねん」
「はあ?」
「今までってスーパーサウルスとか海ん中やったらシロナガスクジラとかせいぜい三十メートルくらいなもんやったやん? 何ぼデカイゆうても百メートル超える動物っておらんかったしさあ」
「でも木やったらもっと大きいのおったんちゃう」
「ちゃうねん。植物とか動物とかじゃないねん」
「は?」
「兼ね備えてまっせ、的な」
「木人間みたいな?」
「人間、ではないなあ」
「木獣、みたいな感じ?」
「んー、獣でもなくてさあ。むっちゃでかい山みたいな生物やねん。山一個ドーンみたいな」
「ほな海どないすんねん。後地球の循環もったいないやんか。一生懸命やってはんねんで。地球外に水一滴も漏らさずにさあ」
「それやったら前みたいに大陸を一つにしてさ。何やった?」
「パンゲア?」
「そうそう、超大陸パンゲアや。あん時みたいに地球上に大陸一つにしてさあ、それまるごと生物やねん。ほんで海がまるまるパンゲアの養分、ゆうか超巨大な液体タイプの生物にして、あ、それやったら二頭になってまうか……」
「今ふと思ってんけど何で生き物っておらなあかんの?」
「そんなん知らんわ。でもおらなあかんのちゃう?」
「なんで?」
「だから知らんて」
雨とともに雷の音が通奏低音のように響いている。外の世界では地震が始まっていた。この建物とてもう限界だった。二人は割れた窓から外の世界に飛び出した。巨大な地震が数分おきに地面を揺らしている。地球上の建物が全て倒壊していく。人類が築き上げたものの中で、最も堅牢とされていたのは石で造られたピラミッドや万里の長城だった。けれどそれらも灰燼と帰した。火山という火山が噴火を始め、地震と火山の噴火で生まれた断層に雨が溜まっていく。
「ちょう、なあ」
「ん?」
「これさ……」
「うん」
「ヤバない?」
「何が?」
「これ大丈夫かな?」
「うーん。わからん」
二人に見えている世界は終末という言葉がぴったりはまる。ずっと向こうには、おそらく富士山と呼ばれていた山が自らが噴出した溶岩で形を変えていくのが見える。雨が溶岩にぶつかってすぐに蒸発するため、そこここで湯気が上がっている。溶岩流が物理法則にしたがって上から下へと流れていく。生命の痕跡はどこにも見当たらない。
「痕跡がなくなったら、もうどないにもならんくないか?」
「いや、前にもこんなんあったで、確か」
「そやったっけ?」
「うん」
「それよりさ、この風景に音楽をつけるとしたら何の曲にする?」と天使が聞く。
「んー、おまえにしてはナカナカおもろいことゆうやん」悪魔はアゴに手をやって考える振りをしている。双方共に飛びながらである。
「はよ答えろよ」
「おまえからからにせえや」
「ヴェルディの『怒りの日』とかええんちゃう」
ヴェルディのレクイエムが響く。溶岩が吹き上がり、粉塵が宙を舞う。
「ええねんけどさ、ちょっとこれ安易ちゃう? 噴火と怒りなんてやあ」
「ヴァルキューレの騎行は?」
軽快かつ重厚な旋律が流れ始める。
「地獄の黙示録とかぶるやん。完全に。朝のナパームのスメルが……ゆうてる場合か!」
「ほなおまえはどんなんがええねん?」
「ハッピバースデー」
「あの?」
「いや、ドリカムのハッピーハッピーバースデー」
「それシュール過ぎへんか……」
「それか、国歌」
「どこの?」
「それは想像におまかせするわ」
「誰の?」
「おまえの」
「あんな、こういうのはちょっと真面目に考えたくらいの方がおもろいねんぞ」
「いやいやちょっと外した方がおもろいねんって」
「合わんわー」
「ホンマやな」
その刹那、マイドオオキニーという大きな声がすべてをかき消すように轟いた。二人は荒れた大地に降り立ち、天を仰ぎみて、胸の前で手と手を組んだ。
「どうしやはったんすか?」と天使が言う。「何か問題でも」と悪魔が言う。
神は答える。
「光は……」
二人は声の前にひれ伏した。
「人間は失敗やったみたいやな。何でや?」と巨大な声の持ち主は仰った。
「自我とかゆうやつじゃないですか?」と天使は言う。
「言語のせいでは?」と悪魔は言う。
「言語だとか自我だとか、生物を連れて宇宙に脱出するために人間に備えさせたものやのに、何で、人間は宇宙に出る段になってビビったんや? おまえらのせいちゃうんか?」
「……」天使は黙り、「……」悪魔もまた、黙った。
今再び、地球は崩壊の危機を迎えている。
”
何だこれ?
地球の歴史をなかったことにして、ぼくはいったい何になるつもりだ?
たぶん。
ぼくは磨り減っていたのだ。た、たぶん。
一応、自己弁護をすると、この文章は小説ではなく、戯曲を書いてみようと思ったのだけど、あまりにも安易なその設定に、自分で書いていて、嫌になってしまったのだった。
13階? 悪魔と天使? 白と黒? 終末の日? けっ。と思った。
とりあえず、おまえ、棺おけの中入っとけや、と書いたものを封印した。 (劇団関係者さま、こんなところにイケてるシナリオライターがいますよ!)という声も一緒に埋葬した。
そんなある日、一通のメールが届く。
かつての友人からのメールだった。少し前だったら、確実に返していなかった(返せなかった)メールが、何かドン、と心に響いた。
……これは変化の兆しである。
そのメールからメッセージを読み取ったセイント寿は、カーチャンに頭を下げてお金を借りて、飲みに行くことにしたのだった。
人気ブログランキングへ