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先週の話。
パチ屋のトイレの個室にこもり、思考的または思弁的、多分に空想的に午後のひと時を過ごしていたところ。

ドン。ドンドンドン。ドン。ドンドンドン。
「1Q84」 に出てくる不吉なNHKの集金人のように、誰かが執拗にドアを叩いていた。
何だよ、とぼくは思う。人の空想を妨げるなんて失礼なヤツだな、と。
可及的速やかに出ますから、ちょっと待っておきなさい。ということで、無視をすることにした。
再びドアがノックされる。
ドン。ドンドンドン。「……」

何か声が聞こえる。が、ぼくの耳には耳栓がすっぽりはまっていて、よく聞き取れない。
しゃあなしに耳栓を取って、声を出す。「何ですか?」 
「ケータイがうんちゃらかんちゃら」と聞こえた。
しゃあない。ぼくは可及的速やかに後処理を済まし、パンツをはき、ズボンをあげて、ボタンを押して水を流し、ドアを開けた。
「ケータイ落ちてませんでしたか?」
ものすごいテンパッた、というよりも蒼ざめたの青年がそこに立っていた。
「いや、なかったけど」とぼくは答えた。
彼はぼくの立っている個室内に、不遜にも侵入を試みる。おいおい。こいつ、まさかワイのことを疑っとんか。ボディチェックさせてくれとか言われたらどないしょ、と思った。
「いや、なかったって。ほんまにここなん?」とぼくは言った。
「いや、覚えてへん」
「……」
いぶかしい顔をしていると、「ちょお、お兄さん、わかるでしょ、ケータイなくしたらテンパるでしょ」と彼は言う。
「まあ」とぼくはうなずく。
でも、ここにはないのだ。そもそもの話、失くした場所がわからなければ、見つかるものも見つからない。……そうは思わないのか?

テンパリーくんは何かに気づいたというような顔で、隣の個室から出てきた掃除のおばちゃんに声をかけた。
「おばちゃん、なあ、おばちゃん。ここにケータイ落ちてへんかった?」
「ああ、これ?」
「それ!」
テンパリーくんの顔に赤みが戻ったのを見届けた後、「良かったやん」と言って手を洗い、ブイーンと手を乾かして、耳栓を耳にねじりこみ、ぼくはホールに向かった。後ろの方で、ああ、ホンマに良かった、マジで、テンパった。ああ、良かった、と(耳栓をしているにも関わらず)聞こえた。

やれやれ。

ぼくだって、彼のように取り乱したことは、この人生で何度だってあった。お金の入ったカードを入れっぱなしで席を立ってしまうことなんて(いまだに)しょっちゅうあるし、一万円を素で落としたこともあった(見つからなかった)。財布を落としたと思った瞬間に盗まれていたこともあった(高校生の頃のことだ)。今まで購入した帽子、サングラス、アクセサリーの類は数え切れないほど失くした。パチ屋でさあ打とうと思ったらポケットにお金が入っていないことに気づいたこともあった(家に戻ったらあった)。先日も、カウンターのお姉さんの手違いに気づかず、景品を千円分もらい忘れてしまった。

ただ、何が起きたとしても、テンパッてはいけない。テンパッたとしても、顔に出してはいけない。それだけはしてはいけない。目的地までの最短距離を進むには、冷静さという切符を取り戻さなければいけない。これは鉄則である。浮ついた心で進む道は、ほとんどが無駄足になってしまうものだ。テンパッてはいけない。テンパッたとしても、顔に出してはいけない。繰り返す。これは鉄則である。
そもそもぜったいに失くしてはいけないものは、何があっても失くしてはいけない。あるいは、形あるものはすべて失うと、心得なければならない。所有など幻想だと、自分に言い聞かさなければいけない。

ケータイは、またはスマホは、属人的である。どこか人間味がある。だから、その人が日本的わびさびに精通した(味覚のある)人物である限り、それを盗んでしまえ、とはなかなか思えないものだ。が、お金はそうではない。超人間的であり、人間味は一切しない。お金はしゃぶっても味がしないのだ。だからいくら持ってもお腹いっぱいにならないのだ。
お金は(紙幣にしろコインにしろ)どんな人間が使っても等しい価値があり、また、国内である限り、どこでも同じように使える。だからお金を落とし、それを誰かが拾ったとして、それオレのお金や、と言って証明するのは至難の業である。そして幸か不幸か、ギャンブルとはそのお金が資本なのである。

ギャンブルが教えてくれる最良のものは、失ったものは(叫んでもテンパッても何をしても)戻ってこないという、極々あたりまえの事実である、とぼくは思う。
彼は大切なことを再確認させてくれた。ありがとう。

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