仮説と確率のラボラトリー

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まえがき
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小説3

 仮説④

「スタンダードを知らないトリックスターは飛ぶことができない」



 タホと二人になって収支が安定し始めた。この一年は、月収で十五万円から三十万円の間を右往左往していた感じなのだけど、最初の一ヶ月で三十七万円、次の一ヶ月が三十四万円、次の一ヶ月で三十六万円。

 考えてみると、スロットを三人で始めた最初の二年間はおそろしく調子が良かった。というよりも、スロットを巡る環境が良かった。

 最初の年収は七百万円以上あったらしいし(コウタ談)、次の年は一千万円を超えた(コウタ談)。でも、稼いだお金はほとんどすぐに使ってしまった。

 何に使ったかはおぼえていない(本当はおぼえている。その時好きだったブランド品を買い漁ったのだ)。

 だけど三年目からは、私の浪費は落ち着いた、はず。今の収入は、正確に把握しているわけではないが、だいたい三百万円くらいだろうか。ただ、誰かに指図されたりなんかはしない。行きたければ行けばいいし、行きたくなければ行かなければいい。

 ローンを組みたいときや、引越しや、病気のときは苦労するけれど、それでも生きてはいける。

 親のスネをカジカジしながら、へらへらしてるげっ歯類たちよりはマシだと思うんだけどな。ま、価値観なんて人それぞれだろうけど。


 ともあれ、久しぶりに会うコウタはげっそりと痩せていた。

 コウタの発した「元気?」という言葉が空に浮かぶくらいんじゃないかと思うくらい痩せ細っていた。いやいや、あんたこそ元気かね?

 考えに考えた私の第一声は「おっす!」だった。明るく素っ頓狂な声で、少年漫画的に。「てかあんた、どうしたの? 今話題のシャブ中?」

「どこで話題なんだよ」

「突っ込むくらいの元気はあるね。でも、その顔、やばくない? ちょっと尋常じゃなくない。マシニスト?」

「んー、ちょっとね」コウタは下を向きながら言葉を続ける。「でも二人が元気そうで良かったよ」

「何かあったの?」とタホが言う。

「まあ……」

「何? コウタってそんなウジウジした奴だっけ?」

「まあ……」

 それから聞いた話は、にわかには信じ難かったけれど、それでもそういうこともあるんだろうな、という、まあ、ありがちと言えばありがちな話だった。
 

 こういう話。
 

 コウタの彼女は大学生らしく(どこで出会ったんだ?)、車で学校に迎えに行くことが日課になりつつあったコウタは、ある日の帰り道、彼女にせがまれてパチンコ屋に入ることになった。

「キミはまだ、パチンコ屋に……」という、例のキショクワルイ手紙を書いたくらいだ。断れまい。コウタの指示する台に座り、連チャンを引き当てた彼女。僅かな時間で得た数万円。

「すごーい。コウタくん天才」

 何かを勘違いしてるな、とは思うものの、惚れた弱み、コウタは何も言えない。

 それからというもの、ことあるごとにパチンコ屋に行こうとせがみ始めた彼女。コウタたちは偶然の力も手伝って連勝。彼女が打った台で出たのは本当にただの偶然だったのだけど、彼女はそんなことは知らない。味を占めてしまったのだ。

 勝つ、勝つ、勝つ、負ける、負ける、負ける。

 次第に目の色が変わっていく彼女。

 負けを知ることによって生まれるものがある。

 勝ちの喜びだ。

「ジャグラーあるだろ」とコウタは言う。
 
ジャグラーとは。 

(ランプが点灯したらボーナスという、単純明快、かつ、謎の荒波をあわせ持つ台で、初心者から老人まで、パチンコ屋のアイドル的存在である。これだけ言っても褒めすぎではあるまい。私は苦手だけど)
 

「あれ打ってる人ってさ、基本的にペカっていう瞬間のためだけに、あのランプが点灯する一刹那のためだけにお金を使う。なぜならあの瞬間、脳内の快楽中枢は、ピムサロでテインコを握られたおっさんみたいな状態になるんだよ。はじめはその感動の意味がわからない。だけど、一度勝つ。勝つってことはつまり、ランプ点灯の興奮とお金ってご褒美が脳内で直結するってこと。でもいつかは負ける。負けた途端に今までの意識がグリンと裏返る。ズルムケ現象、意識の大変革。皮被りとズルムケはやっぱ違う。今まではご褒美程度に思っていた勝利が、あるいはペカっていうランプ点灯が、特別な、言わば非日常的祝祭だったことに気付いた人間の脳はどうするか? それを求めちゃうんだよ。だからパチンコ屋は儲かる。彼女に起きた変化も、つまりはそういうことだと思う」
 

「はいはい。大変下品な解説どうもありがとうございました。つうかあんたはそんなこと百も承知だから、あんな長ったらしい手紙を書いたんでしょ?」

「あれ、渡せなかったんだ、結局。渡しても多分理解されなかっただろうし……」

 子どもから紙をもらえないヤギみたいに悲しそうな顔をして、コウタは話を続ける。

「で、ある日を境に彼女はパチンコ屋に行こうって言わなくなった……」
 

 というのも、今私たちに言ったようなことを、何枚も何枚もコンドームをはめて彼女に伝え、彼女は渋々それを承諾した、らしい。

 コウタは平穏が戻ってきた、と思った。と同時にあることを始めた。 

 就職活動である。

 彼女の大学卒業を機に結婚を申し込もうと思案していたコウタだったから、どうにかして見栄えの良い職業に就かなければいけないとでも思ったのだろう。

 着慣れないスーツを着てハローワークや企業説明会などを回った。

 幸い学歴だけはあったから、むげに扱われることもそう多くはなく、中にはコウタの話を興味深く聞いてくれる企業まであったそうだ。

 基本的に話の上手いコウタだ(だって私やタホをその気にさせたのだ)。自分をプレゼンすることは割と上手いのではないか、と思う。

 だが、その日がやって来る。

 就活が忙しかったせいでスキンシップを取れていないことを反省したコウタは、以前していたように、大学に彼女を迎えにいった。

 けれど、いつまで経っても彼女は出てこない。おかしいな、と思って電話しても携帯に出ず、マンションに戻っても彼女はいない。

 まさかと思って、近くのパチンコ屋を覗くと、見たこともない表情でスロットのレバーをガンガン殴っている彼女がいたのだそうだ。

 ぞっとする真冬の怪談である。

 気づかれないように急いでマンションに戻り、タンス貯金を確認してみると、百万円ほどが消失していた。

 ちゃんちゃん。
 

 ……
 

「若き日のヘミングウェイの話みたいだね」沈黙を切り裂いたのはタホだった。「あの大作家にして大酒豪がさ、パリにいた頃に馴染みのバーでさ、酒を飲んだことのない女性と隣り合わせになったんだって。それでバーテンダーやら常連客なんかと相談してさ、何を出すべきかって議論して、ウイスキーサワーに決めたんだ。ウイスキーサワーっていうのは口当たりのいいカクテルらしいんだけど、その女性客はどうなったと思う?」

「わあ、お酒って苦いのね。マリー、こんなの飲めないー」私は空気をかえようと、キラキラお目々のマリーを演じてそう言った。コウタはうつむいたまま、沈黙している。

「その女性はね、美味しくウイスキーサワーを飲んだらしい。それでね、何年も何年も何年も経ってね、アル中で死んじゃったんだって」

 こわっ。何その話。

 横のコウタは更にうつむき、もはやテーブルに使われている木材の鑑定をしている人みたいな体勢になっていた。

「脳は貪欲だよね」タホは続ける。
「ギャンブルとか酒とかタバコって、結局脳に刺激を与えるものでしょ。本来そんなものなくたって人間は生きていける。でも、太古の昔から人間、いや、猿とかネズミもそうだろうけど、そういう刺激を脳は求めている。もしくは求めるようにできている。さっきコウタが言ったジャグラーの話みたいに。もちろんオレも、そういうものを必要としてる。だけど、オレは刺激のためだけにやってるわけじゃない。勝つためにやってる。オレは、オレたちは、実験室の中で快楽中枢をいじり続けるだけのネズミじゃない。オレはコウタに感謝してるんだ。スロットというゲームを教えてくれたことに対して。スロットで勝つ理論、技術を教えてくれたことに対して。勝負する場所を与えてくれたことに対して。怒りっぽいけど、ちゃんと芯があって、たまに優しいユウを誘ってくれたことについても同様に。

 ねえコウタ、また一緒にスロット打とうよ。スロットじゃなくてもいい。違うことでもいい。他のギャンブルだって同じような理があるだろうし、ビジネスだってたぶん同じような理があるはずだよ。まだコウタは負けてないじゃない。ただ転んだだけだよ。一回転んでも、そこから起き上がる手伝いくらいなら、オレできるよ」

「タホさん。マジかっけえ」

 私はコウタとよく言っていたこの台詞を、本心から使った。本当にそう思った。心の底からそう思った。

でも、同時に思ったのは、私の時はスロットとかギャンブルについて力説してたくせに、コウタの時は違うことでもいい? ビジネス? 話違うじゃん、ずるいじゃん。

 でも、それはタホなりの方便だろう。気にしないことにしよう。今はコウタの話なのだ。コウタはうなだれている。痩せた頬が痛々しい。あれ? これは、もしかして……

「もしかしてさ、あんた、まだその彼女と生活してるんでしょ。ってか何も言い出せなかったんでしょ」

「……」

 沈黙があった。

 そしてコウタはこくりとうなずいた。

「バッカじゃない。そんな現場を見といて、百万も抜かれといて、まだそんなおままごとみたいなこと続けてるの?」

「……」

「あんたマジでバカじゃないの」

「コウタ。どうしたいの?」優しい声でタホがそう言った。

「わかんねえ」
スロットを打つためだけに銀行から貯金を下ろし続ける人のように、コウタは優先順位が判断できなくなっていた。私はそれが悲しかった。
「あの日さ、オレがパチ屋なんか連れて行かなきゃ良かったってマジで思う。あれさえなきゃ……」

「まだそんなこと言ってんの? あんたが前言った言葉で私すごく好きなのがあるんだけど。覚えてる?」怒らない、怒らない、と念じながら、私はゆっくりとそう言った。

 コウタは弱々しく首を振る。

「優先すべきは何? それを決めよう。それに殉じよう。でも、その順番は絶対じゃない。状況なんてコロコロ変わるし、そしたらそれはそれ。その都度変えていこうじゃないか、って。

 何、ソレ? それじゃ何も決めてないのと一緒じゃない、って言った私にあんたは言った。

 オレらの最優先事項は、後悔しないことだ、って。
 何があっても揺らがない決まりごとはひとつ。『後悔しない』これだけは守ろう。後悔なんて意味はおろか得るものが一つもない。ああすれば良かったこうすれば良かったなんて、動き続ける人間には思い悩んでる時間なんてない。オレらが決めたことで、もし結果が出なかったとしても、明日があるし明後日がある。ダメだったらダメだったでその時はあっさり止めて違うことしよう。それまでオレたちは運命共同体だ。

 あんたは笑顔でそう言った。人間はいくら変わってもいい。だけど言葉は変わらないでしょ。私は今のコウタじゃなくて、そう言ったコウタを信じたいんだけど」


 この日の会合はこれでお開きになった。それ以上誰も話す人がいなかったし、何より全員疲れ果てていた。

 私にはコウタが可哀想だなんて思えないし、その女に必要以上の苛立ちも感じない。万有引力の法則に過ぎない。バカとバカは引かれ合うようにできているのだ。

つづく

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