仮説と確率のラボラトリー


まえがき

小説1


 御手洗優

 ミタライ、ユウ。私の名前。

 親がくれた、私だけの名前。好きでもないし、嫌いでもない。ただの識別コード。


 タホは私のことをユウ、と呼ぶ。コウタはおまえと呼ぶ。こだわる人もいるかもしれないけど、私は呼ばれ方なんてどうでもいい。うぬでもそちでもそなたでも。

 

 私がパチンコ屋に入り浸るようになったのは、高校の時に付き合っていた彼氏の影響だった。信じられないほど最低な奴だったけど、一緒にいたかったのは事実なのだから、しょうがない。

 彼の発する言葉のほとんどが宝石みたいに輝いていた。後になってそれが贋物だったことがわかったとしても、その時の私にはそれが真実だったのだ。偽りの清涼感にほだされてメンソールのタバコを吸うみたいなことだと思う。

 要するに彼はダメ人間だった。クズ人間で、最低の人間だった。

 高校生にはおよそ考えられないような場所に、デートなんて口が裂けても呼べないような場所にしか、私は連れて行ってもらえなかった。パチンコ屋だけではない、競馬場、競艇場、ゲーム喫茶、果ては裏カジノ。

 パチンコの打ち方、スロットの目押しの方法、競馬新聞の読み方、ポーカーのルール、バカラのルールなどを、(今考えるとおそろしくへたくそな言葉で)説明してくれた。

 お金がなくなったと言っては高校生の私にせびる。

 愛のあるセックスが何なのかなんて、今でも私にはわからないけれど、彼の前で私は完全なるオモチャだった。

 ご主人様と奴隷ですらない関係。

 彼のみすぼらしい1kのアパートには蒸し暑いだけのロフトがついていて、そこに檻が用意されていた。大型犬用の檻。

 私はその中に入れられた。

 半ば予定調和の演出ではあったのだけれど、彼は頭が痺れるくらい下品なことを口にした。

 不思議なことに、私はそれだけで胸いっぱいになってしまった。

 けれどある日を境に彼は帰ってこなくなった。

 放課後になると彼の部屋に向かい、終電で帰る。

 何日も、何日も、私は蒸し暑いロフトの上で彼の帰りを待った。

 数週間が経ち、私はあきらめた。

 悲しいとかそういう感情はなかったように思う。

 私は彼の幻影を追う代わりに、パチンコ屋に通うようになった。彼の存在を打ち消すようにスロットのレバーを叩いた。黙々と、執拗に。なぜかはわからないが、負ける気がしなかった。

 私は梅雨空みたいにうじうじ考えたりしない。

 一つの季節が終わったら、また違う季節がやって来るじゃないか。私は彼を愛していたのではなく、彼の作り出した舞台を愛していたに過ぎない。そう判断することにした。だって、彼がいなくても、私はもう悲しくない。 

 高校を辞めるつもりはなかったから、パチンコ屋には放課後からしか行けなかったけれど、それでも負けることはほとんどなかった。

 大学に進学しなかったことに理由はない。といってやりたいことがあったわけでもない。私は高校を卒業した後もだらだらとパチンコ屋に通った。目の前にあったのは坂道である。なだらかではあるが、確実に下っていく坂道だ。高校の頃のゴッドハンドはすっかり鳴りを潜め、半年で数十万円の借金ができ、やむなくキャバクラで働くことになった。

……でも、二人との出会いを思い出すと、今でも笑いそうになる。 


「あれ、あんた田嶋?」と言ったのは私だった。

「え? タホ、知り合いにこんな可愛い子いるんだったら、紹介しろよー」という、まったく真実味のない言葉を放り投げてきたのが、コウタである。

 タホとコウタは幼馴染だった。それで大人になってまで仲が良いなんて、うらやましい。今でも正直少し嫉妬する。

「いや、知り合いって言うか……、ただ、高校のクラスが一緒だっただけで」タホはぼそぼそとした独特の喋り方で言う。

「へえ、あんたってそんな声だったんだね」と私は言った。「で、今何やってんの?」

「普通、だよ」

 何、普通って? もちろん、普段なら、客にその先を訊ねたりしない。それくらいの職業的モラルは持っていた。だけど、私はイラっとしたのだ。

「普通って何? 何、言えないことでもしてるの?」

「普通は普通だよ」

「普通じゃわかんない。クラスメイトの行く末を心配してるんだから、ちゃんと答えなさい」

「……」

 隣に座った胸のでかさだけがとりえのような女とニヤニヤ談笑していたコウタが異変に気付き、「おいおい、どうした?」と言った。

「コウちゃん、行こう。ここはオレがお金出すから」

 ぷちん。頭の中で大きな音がした。

 立ち上がったタホに、水割りをぶっかけてやった。そして、私はキャバクラをクビになりました。

 タホの驚いた顔を見たのは、後にも先にもその時だけだ。思い出しただけで、あの顔は笑える。


          ☆


 席に座り、オレンジ色の耳栓を、いつものように左耳から装着する。

 すうっと音が消えていく。けれど完全に消えるわけではない。パチ屋の鼓動は常に聞こえている。耳の奥底で、脳の中で。

 母の胎内に、あるいは深海にもぐっていく感覚に似ている気がする(もぐったことないけど)。こうして私は喧騒から遠ざかる。と言うよりも、深部にもぐる、細部にもぐる。

 大きく深呼吸をし、コウタから受け取った一万円をコインサンドに投入する。

 出てきたコインを台に注ぎ込む。さりげなく、効率的に。

 体の負担を考えて、優しくレバーを叩く。ストップボタンを押す。

1、コインを入れる。

2、レバーを叩く。

3、ストップボタンを押す。

 このスリーステップが一日中続く。合間に近くの台の情報や、店全体の情報を収集しながら。

 集中する。

 海の底で未発見の生物を追うように。

 そこに私たちの望んでいるものがないとわかったら、ちゅうちょなく止める。

 三、二、一、ゼロ。よし、止めよう。

 悪くはないかもしれないが、最高設定ではない。今日打っているこの機種では、六以外では、ギャンブル性が飛躍的に高くなってしまうのだ。それは我々の戦略と符合しない。

「あれ? 止めちゃうの? その台良さそうなのに……」

 スキニーが気安く喋りかけてくる。私は笑顔で「まあ設定は悪くなさそうなんですけどね。何なら打ちますか?」と返す。

「うんー、打ちたいんだけどね、私の台ちょうど今ハマリだしたところだからさ」

 だから? と言いたいところを我慢して「わかりました。頑張って下さいね」と笑顔で言った。

 下皿のコインを頭上の箱に移し、ジェットカウンターに運ぶ。

 
 自分で選んで座った台というだけで、その台をあたかも自ら腹を痛めて産んだ子どもか何かのように接してしまう人が、パチンコ屋には大勢いる。

 信じる信じないは個々人の考え方なのだから、もちろんそれは自由だ。(天井がついているわけでもないのに)ハマリ台が出るとか、カド台が良いだとか(店の傾向如何によっては使えることもあるが)、そういうオカルト的な考えを頭ごなしに否定するつもりはない。

 我々は鉄火場という底なし沼みたいな場所にいるのだ。それが何であれ、よりかかりたくなる気持ちはわからないでもない。だが、私たちはそうではない。

 私たちの仕事。それは見極めることだ。台を。それから店の傾向を。それは徹頭徹尾数字とのにらめっこである。ただ、数値を追いながらも経験則はないがしろにしない。感触、手応えもギャンブルで生活する中で大切な要素ではある。だけどこれは言葉にできない。

 店に行く前にすることもたくさんある。台の情報を記憶(もしくは持ち運べる状態に)しなければいけないし、そのためにはコンビニ等に置いてあるパチスロ攻略誌を漫画も含めて全て購入し、検討する。インターネットのサイトや掲示板も利用する。そして実際に自分たちで打って、データと照らし合わし、ディスカッションを経て(公表されているものだけを信じるわけにはいかない)、私たちのルールを決めるのだ。そして、それを忠実に実行する。やけになったり、小役のカウントを忘れたり、周りの台の観察を怠ったりしてはいけない(できればひっそりと)。「何となく」や「だいたい」は許されない。

 だから私たちは新装には参加しない。データが揃っていないからだ(信頼できる店の新台イベントや、旧台を新台として導入する場合は別だけど)。
 

 さて、一五〇〇枚ほどのコインを流し、ホール内をうろつくことになった。こういう大規模なイベント時は、おいそれと台移動は叶わない。各シマを回って(シマとは、規則的に並ぶ台の一塊を島に見立てて言う俗称である)、高設定台の当たりをつけ、二人と情報を共有する。その台が空いた場合に効率よく押さえるためである。台について熟知していないだろう人の台が高設定と推測される場合は、それとなく近づいて、様子をうかがう。プロっぽい人が出ている台を止める時は、その人の熟練度合いにもよるが、だいたいは信用する。その人が私たちと同じような理で判断したのなら、その台を打つ価値はないはずだからだ。ただ、それも判断が難しい。設定を狙いつつ、天井間際や割の高い状態の台が見つかった場合も、押さえる。

 タホとコウタの背中を眺め、悪くなさそうだな、と思う。時計を見る。十二時半。先に食事を取って、交代しよう。パチンコ屋では何があるかわからないから、できる時に食事を済ますに限る。

 コンビニでおにぎりとサンドウィッチを買って歩きながら食べ、より多くコインを出していたコウタと交代した。


          ☆

 

「今日はユウの一五〇〇枚が大きかったね」とコウタが言った。

 今日の三人の成績を差枚数にすると、プラス一五〇〇枚と端数。投資九万円、回収十二万円。一人あたり一万円の勝ちだった。

「いやあ、でも、本当、きつかった」と私は言う。

 本当にきつかった。

 突如始まる暴風雨のような連チャン(デレ)と、底の見えない湖のような深いハマリ(ツン)。

 度重なるツンデレの波を、それでも何とか耐えることができたのは、例によってタホの精神力によるところが大きい。

「ま、勝ったんだし、いいじゃない」と言い、タホはトイレに向かった。

「ほんと、タホさまさまだね」と私はタホの後姿を眺めながらコウタに問いかける。

「そうだな……」

「どうしたの?」

「なあ、ユウ。後で話があるんだけど」

「相談? めっずらしい」

「うん……」

「何?」

「いや、後で」

「今じゃダメなの?」

「うん……」



つづく

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