仮説と確率のラボラトリー

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まえがき

 キミはまだ、幸運にもパチンコ屋に足を踏み入れていないのだから、それでいいじゃないかとも思うけど、一応説明はしておきたい。


 今キミは、数百枚のトランプのカードの中から一枚を引かなければいけない(いけない)。

 トランプには稀に大当たりと書いてある一枚がある。小当たり、というのも、サクランボの絵柄が書いてあるものも、スイカの絵柄が書いてあるものも、ベルの絵柄が書いてあるのも、もう一枚! と書いてあるものもある。

 書いてある絵柄によって、キミは報酬を得ることもあるが、基本的にトランプの中身はハズレばかりだ。

 ともかく、キミはトランプを引かなくてはいけない。

 そこにどんな絵柄が書かれていても、カードを引き、そのカードの絵柄を見て(報酬がある場合は貰おう)そのカードをまたそのカードの集団に戻す。

 これが、大まかに言ってパチスロの仕組みである。

 ここまで読んでくれたのだ。

 キミがパチスロというものに興味を持ったものと見なし、具体的に語ってみたい。

 キミはパチンコ屋から一枚二〇円のコインを借り、そのコインを台の右よりに設置されたコイン投入口から投入し(ほとんどの場合、一ゲームには三枚のコインが必要だ)、レバーを叩くと、リールが回り始める。

 日本にあるパチスロがラスベガスにあるようなスロットと決定的に違う点は、レバーの他に三つのボタンがついていて、それをプレイヤー自身の手で押さなくてはいけないことにある(不思議なことにこれは国の決定事項なんだ)。

 さて、リールは回り始めた。

 どこから押すかはキミの自由だけど、時に損をすることもあるので、指定がない限り(またはメリットがない限り)、左、中、右と押そう(自分が狙った絵柄を押すことを目押しと言うんだけど、何も特別な技術が必要なわけじゃない。スロットのリールは0.75秒に一周する。もちろん少しだけ練習は必要だけど、大丈夫。誰でもできるようになる)。

 スロットのレバーを叩くことと、さっき例にあげたカードを引く、という行為は基本的に同じことだ。レバーを叩くたびにカードをめくる。つまり、抽選を受けるということ。

 次のステップ、カードの絵柄を確認する。三つのボタンを停止させ、リールを止める。

 当然、大当たりと書かれたカードを引きあてることは稀で、ほとんどの場合、三つのボタンを押し終わった後の盤面にはハズレ出目というろくでもない出目が並ぶ。

 レバーを叩く、ストップボタンを三つ押す。六〇円が消費される。

 キミは偶然にも、大当たりを引いた。7を揃える。するとどうだろう。数千円分のコインが台からこぼれ落ちてくる。

 盤面を見ただけでは大当たりかどうかがわからない?

 大丈夫。ポイントは通常時とは違う挙動が盤面に現れるってことなんだけど、普段は狙っても揃わない7が揃うんだ(しかも揃えるまで延々と待ってくれる)。通常時とは違う何かがあるはずだよ。
 それに、目押しができずに7を揃えられないのなら誰かに頼むといい。店にいる人はだいたいできるし、頼まれて断る人をいまだかつて見たことがない。スロッターにとって目押しとは、息を吸って息を吐くみたいなものだ。

 

 もう一度言う。レバーを叩く、ストップボタンを三回押す。六〇円が消費される。

 これを一日に八〇〇〇回転以上繰り返す。それがスロッターの日常なんだ。

 こういう例えが合っているかどうかはわからない。けれど、少なくとも僕はこういう理の中で生きている。

 キミが少しでも理解してくれると嬉しいのだけど……。


 次に勝てる理由について語ってみたい。

 スロットには設定というものがあって、 勝ち負けは(ほとんどの場合)ここで決まってくる。

 基本的に設定は六段階に別れていて、一が悪く、六が良い。

 スロッターは一日に平均八〇〇〇回転ほどリールを回す、と先ほど書いた。

 一ゲームに必要なお金は六〇円。

 つまり我々は、一日に四十八万円分のコインを台に投入することになる(60×8000)。

 さて、1日が終わったとき、いったい僕はどれくらいの収支があるのだろうか? それを便宜的に計算できる指標がある。これを機械割という。機械割は55%から119.9%という決まりがあるのだけど、仮にこういう台があったとする。
 

 設定一 94%

 設定二 96%

 設定三 100%

 設定四 104%

 設定五 106%

 設定六 110%
 

 機械割とは(客の立場で)プラスマイナス0を100%と考えて、設定一の94%なら、四十八万円分のコインに対して四十五万千二百円(480000×0.94)、つまり二万八千八百円の負けということになり、設定六の110%ならば、五十二万八千円(480000×1.1)、つまり四万八千円の勝ちとなる。

 これが店側にしても客側にしても基本的な考えの基になる。

 店はトータルで黒字になるような設定配分をし、客は良い設定を探そうとする。

 これがスロッター(そんな職業が許されるなら)たる僕の日常なんだ。

 設定六を打つ限り、客は高い確率でスロットに勝つことができる。
 

 結論。
 

 僕がこの十年以上一度として定職に就くことなく生活を続けられたのは、パチンコ&スロット中毒者による不断の献金のおかげなんだ。

 パチンコ屋は必ず儲かる。なぜなら、そういう風に設定を配分するから。

 けれど全機種全台設定一というようなホールには客が近づかない(実際そんな店ばかりなんだけどね)。

 なぜこんなことを言うかというと、そもそも人間がパチンコ屋に入るのは、伊達でも酔狂でも、物見遊山でもない。

 最初に書いたことを思い出して欲しい。

「キミは数百枚のトランプのカードの中から一枚を選ばなくてはいけない」

 そう、それをしなければならない、という強制力が働くんだ。人間の脳ってやつは。

 だから、ギャンブル中毒というのは、薬物中毒とほとんど変わらない(本当だよ)。
 

 最後に脳の話をする。

 脳は新旧様々な部位があり、記憶を司り、感情を司り、全身にネットワークを張り巡らせ、意志を生み、日々の生活に携わるほとんどの実権を握っている。

 その脳の中に快楽に関わる中枢がある。報酬系と呼ばれたりする部分だ。

 これは有名な実験なんだけど、マウスや猿の脳の快楽中枢に電極を差し込んで、スイッチ一つでそこを刺激できる、ということを学ばせると、延々押してしまうんだそうだ。死ぬまでオ●ニーを止めない猿ってどこかで聞いたことあるだろ? 食事よりも、睡眠よりも、快楽を得ようとする部位が人間の脳の中にもある。

 だけど、報酬系よりも更に強い強制力を持って存在しているものもある。人間を社会に縛りつける、人間が社会的な動物であるための鍵。抑制系ってやつだ。

 ギャンブル中毒や薬物中毒に陥りやすい人は、大体が自分を抑制するのが苦手だ。

 もちろん一般論。

 僕だけは違うなんてことを言うつもりはない。

 ただ、報酬系というのは、特定の刺激をもって活発化し、人間の行動を規定するのだけど、僕は報酬はお金でいい、と思っているんだ。気持ち良さではなくね。

 同じようだけど、違う。

 わかってもらえると嬉しい。





















 仮説① 

 「ギャンブルをする女ってどうなんだ?」



 今日も一日が始まる。

 私は一日の中で、この時間帯が一番好きだ。

 まだ何物にも染まっていない、まっさらな状態の朝が。

 一日の始まりを知らせる軽薄な音楽、一目散に目当ての台に進む客の足音、コインがジャラジャラ落ちてくる音、台によって異なるコイン投入音、声優の声、ボーナスやART中の音楽、それらが合わさった過剰でクレイジーな音。パチンコ屋の中にいる音。私は耳栓をし、自分の台に集中する。
  目の前の台の設定は、この時点ではまだわからない。良いかもしれないし、悪いかもしれない。ほとんどの場合、回してみなければわからない。そこに私は唯一と言っていいくらいのやりがいを感じる。

 パチンコ屋が開店する午前十時から(私たちの地域の場合)、良い台と悪い台がぼんやりとわかってくるお昼くらいまでの時間は、一日のうちで最も集中を要する時間でもある。

 自分の台だけでなく、周りの台の状況もチェック、狙いが外れたら、二の矢、三の矢。勝負の鉄則だ。

 低設定と見極めたらすぐに止め、高設定と思しき台、もしくは可能性がある台を狙う。

 そうやって、私たち三人はこの六年間、一度も他の職業に就くことなく生きてきた。

 一つ向こうのシマに座っているタホ、そして私の三台隣にいるコウタ。

 この二人が私の頼れる相棒たちだ。

 朝の並びを入れると、労働時間は十五時間に及ぶこともあるけれど、泣き言なんて言ってられない。

 これは自分の意志で選んだ道なのだから。


 外に出ると、風に匂いが染みていた。冷たい匂い。

 耳栓を外す。

 風に乗じて虫の声がどこからか聞こえる。そっか、季節が変わったんだ、と思う。そういえば今年も海に行っていない。山にも川にも、花火大会にも祭りにも行ってない。

 その代わり、太陽を気にすることもあまりない。平気でスウェット姿で人前に出れる。これは退化なのか、進化なのか……。
 

 コウタが今日の分、と言って二万八千円を渡してくる。「お疲れさま」

「ありがとう」と言いながらお金を受け取る。今日のイベント内容にしては、まあまあ、というところ。

 いつからだろう、お金の価値観が変わったのは。

 この紙は、私たちにとって商売道具みたいなものだ。だってコインはこれを入れないと借りることができない。

 一台に十二万円を投入したことがある。それもたった数時間の間に。

 その日は一万円しか戻ってこなかったけど、しょうがなかったのだ、と思えた。私たち全員がゴーという決断をしたのだから。

 スロットの規定が変わってしまってからは、そういうことがほとんど起きない。一日の浮き沈みが少ない台の仕様に変わったからだ。

 皆はつまらなくなった、と言うけれど、それでも今でもパチンコ屋は私たちの仕事場だ。

 夜、こうやってコウタの手からお金を受け取る時、ようやくお金は日本銀行が発行している紙幣として私に認識される。何てダブルスタンダード。職業病。

 この後はいつも通りファミレスへ。他に選択肢がないからだ。

 お酒を飲むと明日に支障が出る、と二人は言うし(タホもコウタも酒に弱い)、誰も飲まない席で一人だけ飲んでいても面白くない。寝る前に一杯だけブランデーを飲むのが、今の私の唯一の趣味。

 今日も一日が終わっていく。


          ☆


「あら、おはよ。やっぱり今日は来たのね。何打つの?」すべてのパーツが線でできたみたいな常連のおばちゃん(通称スキニー)が、今日もなれなれしく話しかけてくる。

「おはようございます。んー、抽選の順番によって、ですかね」

「今日はナンゴクに六は何台あるかしらねえ」

「さあ、でも出しそうな感じはありますよね」

「私、五の方が好きなんだけどさ」

「爆発力ありますもんね」

 私だったらいらないけど、と内心毒づいた後で、二人を見ると、当然のごとく沈黙に徹している。

 スキニーは「頑張ってね」と言って、去っていった。

「はーい」

 三人の中の外交担当を、私は一応自認している。

 目立っていいことなんて何もないし、嫌われていいことなんて何もない。私がいない場合は、きっとコウタが同じ(ような)役割を演じるのだろう。

 私たちは店の営業努力から美味しいところだけをかっさらっていくのだ。だから良い顔をしておかなければいけない。営業努力をする必要のない仕事なんてほとんどない。しょうがない。

 列を見渡す。二百人はいるだろうか。よくもまあ、平日にこんなに人が並ぶものだ。ヒマジンどもめ。世の中の景気なんて関係ないのかな、と思う。というよりも、不況だから、こんなに人がいるのかな。抽選ダメだったらイヤだな、と思いながら左手でクジを引くと十番だった。

 やった。これなら何でも座れる。

「何番だった?」と声をかけると、タホとコウタは無言で紙切れを差し出してきた。

 タホくん、八四番。

 コウタくん、一三六番。

「……ダメな二人」

「おまえはどうなんだよ?」とコウタが言う。

「ジューバーン」

「すごいじゃん」とタホ。「さすがアネゴ」とコウタ。

「じゃあコーヒーでもおごってもらおうかな」

「うん、いいよ」と言うタホを、「いや、止めとけって。ただの抽選だろ。最終的に勝ったってんならわかるけどさ」とコウタがさえぎった。

「確かに……」タホも前言を撤回する。

 確かに、良い番号を引いたくらいでいい気になる道理はない。大切なのはパチンコ屋が閉まるまでに勝つこと、もしくは明日に繋がる情報を得ることなのだから。

 
 私は若干うつむいたまま、タホとコウタの後ろについて駅前のドトールに向かった。

 兎にも角にも入場整理券をゲットしたのだ。後は開店十分前に行けばいい。一日の仕事の三割くらいはすでに終わったことになるだろうか。

 トボトボと歩く私の演技に(まんまと)引っかかったタホが、今日勝ったらパフェをおごってあげるからさ、と耳元でささやく。やった。

 ドトールの喫煙コーナー。タバコは大っきらいなのだけど、こいつらが吸うのだからしょうがない。
 

 ……ちぇ。心の中で舌打ちした。

 狭苦しい喫煙コーナーのど真ん中に、少し前に喧嘩になった女とその彼氏が陣取っていた。

 ああ、こいつらもゼッタイ同じ店で打つんだろうな、と思うとゾッとした。私の隣に来ないでくれればいいけど……。

 十七のガキじゃないんだから、くわえタバコなんてすんなよな、と私は心の底から思う。

 くわえタバコを好む性格の良い人間に出会ったことがない。たぶん彼ら彼女らは他人に害をくわえるために、あえて、あえて、くわえタバコ、という自己表現を選んでいるのだ。少なくとも、私の隣に座ってくわえタバコでスロットを打つ連中に限っては。

 だって、くわえタバコなんて、まともにタバコ吸えてないじゃない? そしてその煙は私の目にどんぴしゃで入るんだ。中村俊輔のフリーキックみたいに。すごーい。と言ってる場合じゃない。
 最初は目線で訴える。やがて、顔をそむける。耐え切れずに、違う違う、とジェスチャーするように手首のスナップをきかせ、フリフリする。

「タバコの煙が嫌なんだったらパチ屋なんかに来んじゃねえよ」あの女の小さな口から飛び出した言葉である。

 私はこう返す。

「すごーい。他人を出禁にする権限を持っているのですね。以後気をつけます。すいませーん」

 むかついたけれど、喧嘩を正面から買ってやるほど私は若くないのだ。

 涼しい顔をしてプレイを再開すると、今度は「おめえ喧嘩売ってんのかよ。ちっと外出ろよ」私の肩をつかみながらそいつは言った。

「あ?」

 思わず怒りを含んだ声が出てしまう。

 何だこいつは、もう許せん、というところで、タホが私たちの間にするりと入り、「すいません」と侘びだした。

 異変を感じた(両腕にトライバルのタトゥーが入った)こいつの彼氏も、「まあまあ」と女をいさめ、大事には至らなかったのだけど、アア、今思い出すだけでイライラする。ちっ。

 ったく、パチ屋なんか来る女はろくなやつがいねー。自分のことは棚に上げて、心の中で悪態をつく。

「ユウ、何飲む?」 

 何かの空気を感じ取ったのか、タホが声をかけてきた(エスパー?)。

「え、おごってくれるの?」

「いいよ」

 持つべきものはタホである。私はゲンキンにも心持ちをヒラっと翻し、「レタスドックとアイスカフェラテMサイズ」とよそ行きの声で言った。

 苦笑しながらタホが注文してくれる。「コウタは? 面倒だから一緒に頼もう」

「え? おごりっすか。さすがタホさん。タッポイタッポイ」

「いいから、早くして」

「やった」

 当然のように、空気の清浄なる一般席に陣取ることにした。経緯を知っている二人は何も言わない。ナイスな相棒たちである。

 私は十番の入場整理券をコウタの一三六番と交換した。機動力ではコウタが一番優れている。私は人気機種から離れておばちゃんたちの楽園にでも行こうじゃないか。それならあの女も来ないだろう。


 タホ

 高校の同級生。

 我々が通っていたのは、きわめて平凡な公立男女共学校だった。ほとんどの生徒が大学か専門学校へ進む、ステップアップ継続、つまりは通過点のような普通高校だった。

 タホは校庭の隅の用具入れのように地味な男で、三年間一緒のクラスだったにもかかわらず、一度としてまともに喋ったことはなかった。というよりも、私の視界に入っていたかどうかすら怪しい。

 だったなかったと過去形を並べたのは、それがつまり過去であるからだ。今は私の信頼できる仲間であり、タホを電話で起こすのは私の日課である(タホの唯一の欠点は朝が苦手ということだ)。

 田嶋歩。タホ。おそろしく地味な男。

 しかし彼の持つ特技の前では、私もコウタも両手を挙げて降参する他ない。

 他の誰にもない彼だけの特性。それは忍耐力である。つまるところ、精神力。

 その昔修験者たちが苦行の果てに辿り着いたその境地に、彼は生まれた時から立っていたに違いない。川をせき止める大岩のような安定感、動じないそのハート。

 毎日スロットを打っているとはいえ、それでも精神力がぶちんと切れてしまうことはしょっちゅうである。

 台の設定はどうやら良い。しかし、出ない。

 そんな時、私はタホに変わってもらう。

 タホはどんな状況だろうが、そこに勝ちの芽がある限り、坦々と、黙々と、スロットのレバーを叩き続ける。

 負けることもある。

 でも、私とコウタはこう思う。

 タホが粘ってくれたのだから、しょうがない、と。私たちは最善のことをしたのだ、と。

 ついでに言うと、彼はお金に頓着が全然ない。

 スロットという遊戯が単純に楽しいのだ、と彼は言う。

 ただ、表情の変化があまりない。パチンコ屋の中では特に。見る人が見れば、彼の姿は職人のように見えるだろうし、哲学者のようにも見えるだろう。このあたりのパチンコ屋が営業する十三時間近くもの間、彼はほとんど変化することなくスロットを打ち続ける。変化するのは彼の上に積み上げられたドル箱だけ。「タホさんマジかっけー」とは、私とコウタの口癖の一つだ。

 タホはパチンコ屋で稼いだお金のほぼ全てを貯金しているらしい。

『お金の使い方がわからない』これはタホの口癖だ。

 一体いくらになっているのだろう?

 たぶんコウタならわかると思う。彼は今まで全ての勝敗と収益を詳細にメモしているから、私たちの懐事情はお見通しなのだ。


 コウタ

 コウタは私やタホよりも五つ年上だ。だから(あんまり言いたくはないけど)二十九歳。

 高校生の頃にサンダーVという台に出会い(名機!)、スロットにのめり込む。

 大学入学の後も、単位ギリギリを見極めつつ、朝から晩までスロット生活。大学に在学していた四年間で五百万円を貯めた猛者。

 文系だけど、理論理屈派、と自分ではほざく。だから基本的に話がうざい。

「やりたいことがあったんだ」とコウタは言う。

「何?」と聞いてあげる。時々私は優しい。

「映画を撮りたくてさ」

「五百万円で撮れるものなの?」

「元手がなくても映画は撮れる。撮ろうと思えばね。それより、欲しいキャメラがあったんだ」

「……へえ、……キャメラねえ(笑いをこらえながら)。で、買ったの、キャメラ(ダメだ。キングキャメルを思い出して笑ってしまう)」

 キャメラキャメラ言いながら笑う私を無視し、コウタは喋り出す。「いや、買わなかった。大学を卒業した後、小さな映画制作会社に頼みこんで無給で働かせてもらったんだ。で、そこで挫折」 

 この日のコウタは珍しくアルコールが入っていて饒舌である。「映画ってこんなもんなんだ、って。一ヶ月で辞めて、その後はフラフラと沖縄から北に向けて日本を縦断した。お金もあったし」

「楽しかった?」

「楽しかった。一番驚いたのはさ、日本中どんな場所にもパチンコ屋があったことなんだよね。旅をしてるとさ、知らず知らずのうちにジブンだけのものさしを持つようになる。その土地を判断する回路ができちゃうんだよ。たとえばその町の人間とセックスしてみる、とか。酒場をはしごする、とか。歴史を勉強してみる、とか。村上春樹が言ってたのは、まず走ってみる、だっけな。オレがその旅で手に入れたモノサシは、パチンコ屋に入ってみる、ってことだった」

「何、えらそうに」という私の突っ込みに、コウタは照れ笑いを浮かべた。

「でもさ、屋久島とか佐渡島っていう大きな島はもちろん、伊豆のちっちゃな島とかにもあるんだぜ」

「あのさ、映画の夢はどこに行ったの?」

 コウタの話は基本的に散り散りに、思いつくまま飛ぶ。行き当りばったりの性格が如実に現れている。理屈臭い思考と、快楽に弱い傾向。それでも本人は一貫性があると思っているのだろう。

「話は最後まで聞けって」とコウタは言う。

「やだ。だって長いんでしょ?」話が長くなるところも君の短所だよ、というニュアンスをこめて。

「じゃあ短く言ってみる。うん。旅の果ての北海道でさ、オレ、日本は駄目だ。ハリウッドだ、って思ったんだ。んで、お金を貯めるのに一番効率いい手段はオレの場合スロットだろ。それでおまえらと一緒に打つようになって、で、夢はどっかに飛んでっちまった。『旅に病んで夢は枯野をかけめぐる』」

「何それ」

「芭蕉辞世の句」

「あんたと芭蕉と何が関係あるの?」

「いや、ただのトリビアっつうか」

 こういう男なのだ。行動力はあるが、気取り屋でかっこつけで、しかも目先のにんじんからは決して離れることができない馬鹿なのだ。


つづく

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