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夏休みの宿題的に、「思い出のマーニー」を見ての雑感を、読書感想文程度(原稿用紙3枚)の文字数で語ってみたいと思います。




リア充は黙れ。溢れんばかりの負の感情。

スタジオジブリ最新作「思い出のマーニー」の主人公、杏奈は自分のことをこんな風に考えている。世界には内側の人間と外側の人間がいる。そして自分は外側の人間だ、と。
「私は自分が大嫌い」

しかし広い世界を見渡してみても、物語の主人公は、どうしていつも(いつも)虐げられているのだろうか? 

それは人間が――いついかなる時、いかなる場所でも――虐げられる可能性があるからだ。そしてそこから自由になる責務があるからだ。
物語は個人のためにある。集団のためにではなく。それは物語を見る人間の目が個人に属しているからだ。少なくともぼくはそう考えている。

世界で一番リアルが充実する可能性のある人間は誰か。
そんなの決まってる。最初から決まっている。
私、である。
そう、「自分」しかありえないのだ。誰であれ、人間は他人になることはできないのだから。
他人がどれだけ恵まれているように見えたとしても、その他人にはなれない。逆にその他人があなたになることもできない。あなたは選ばれてそこにいる。誰に何を言われようが、間違いなくそうなのだ。

結局、自分しかないのだ。自分の人生を輝かすのも、堕ちていくのも。世界を内側と外側に分ける壁をつくるのも。

人間は常に二律背反の中で引き裂かれている。
自分と世界を分けるもの、皮膚、肉体。
自分と世界をつなぐもの、血、言葉。

しかし人間には必ず歴史がある。ぼくたちは必ず誰かと誰かの子であり、ぼくたちを産んだ誰かも、誰かと誰かの子である。歴史はそうやって連綿と続いてきた。ほとんど無限に遡れるくらいに。

あなたはほかの誰でもないあなた。世界中かつて存在しなかった、初めての人である。自分は自分の中にはない。が、答えは自分の中にしかない。
自分探しの終着点を知りたい人は、公開が終了してしまう前に是非。

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