040 - コピー

精神と時の部屋での生活1
精神と時の部屋での生活2

需要が供給を決めるのは、何も経済ばかりの問題でもなく、文学においてもそうである。
小説家が小説家として認められるには、今のところ、文学賞を取る以外にはない。だから小説家(を目指す人間)は、とりあえず自分の書きたいものを書くというよりは、文学賞の規定にあったものを書こうとする。
いきなり2000枚(原稿用紙)の小説を書いたところで、誰も読んでくれないからである。

小説にはジャンルがあり、分量によって区分がある。

「短篇」「中篇」「長篇」といった区分が。

実は短篇小説は、あまり文学賞が多くない。というよりも、デビューの足がかりになるような賞が少ない。
というわけで、ぼくはまず、中篇という領域を自分のものにしようと思った。
原稿用紙に換算して100枚~200枚程度。

その分量を使って何を書くか。
ここで悩んでしまっては、小説を書くことなどできはしない。

スティーブン・キングが言っているように、新人作家がすべきことは、自分の読みたい小説を書くということだ。自分の読みたい、それでいて世界でまだ言葉にされていないこと。

ぼくは十代の頃からちょこちょこと小説(らしきもの)を書いていて、最初に書いたのは、SF小説だった。これは話が進むにつれて、ニッチもサッチもいかなくなって破綻した。次に書いたのは、青春ヤンキー小説だった。はじめて書ききることに成功はしたが、作品の体をなしているとは思えなかった。ただのクソだった。
その後も、自分の読みたいジャンルの小説はすべて書いてみた。
私小説、ノワール、恋愛小説、冒険小説、などなど、そしてその試みのすべてが失敗した。一言で言えば、「クッソおもんな……」なのだった。

何かに挑戦するときに、言ってはいけない言葉がある。
「オレって才能がないのだろうか?」

それを言い出したら、そこで終了である。才能の有無で悩むのはただの甘えだ。ぼくはそう信じる。
やるか、やらないか。それだけなのだ。

どんな小説が求められるか、というのは全世界で共通している。
「今までになく、しかし共感できるもの」

今までになく、共感できるもの。

それは一見、矛盾している。矛盾してはいるが、それが唯一の公式なのだ。とにかく、ぼくはその公式を利用することにした。

今までにない、を分解する。

共感できる、を分解する。

そしてそこに、マッドサイエンティストのように自分を混ぜていった。

「今までになく、しかし共感できるもの」

      ↓

「自分がこれまでしたことで、感動したことで、他の人があまり知らないであろうこと」

ぼくは今まで、どんな人生を送ってきたのだった?

そうだ。スロット小説を書こう。ぼくはそう思ったのだった。


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