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精神と時の部屋の生活について

ぼくの肉体は、人生で一度だけ豊満になりかけたことがあった。
そのときは肝臓が年中フル稼働で(飲むことも仕事の一環だった)、しかも睡眠時間が少なく、仕事中はあまり食事を取らず、寝る直前に一気に取り、という生活を二年ほどしていた頃のことで、飲食に割いた金額が年収の2/3を超えるという、バブル期の日本のような狂乱状態であった。

が、ワケあって失職し、交友関係のほとんどがなくなり、泣きながら実家に出戻り、精神と時の部屋にこもり、涙も枯れ果て一念発起して、体を作り直そう、と思い立ったのだった。

第一義は「文章を書くため」である。

文章を書くとは広義のコミュニケーションである。コミュニケーションである以上、今は内にこもっていても、いずれ外に出なければいけない。外に出るときは、胸を張って歩きたい。ならば胸を張って歩ける担保としての肉体を維持しておかなければいけない(マッチョな思想とは思うけど)。

次に「経済的理由」である。

お金というものがほとんどさっぱりなくなってしまったぼくに贅沢をする余裕など1ミリもなく、家族が食べるご飯の御相伴にあずかる身分で以前のような高エンゲル係数ボディを維持するわけにはいかなかったのだ。

というわけで、ぼくは肉体改造に着手することにした。何もムキムキマッチョマンを目指すわけじゃない。燃費よく、かつ見栄えの悪くない、省エネボディを目指したのだった。

まず何をしたか。

眠る前の食事をやめた。
すべての時間を自由に使える無職にとってこんなことは造作もないことだった。夕食と就寝の間を、四時間は空けるようにした。それに加えて間食は一切しない。幸運なことに、もともと甘いものが好きじゃないので、お菓子やスイーツの必要性を感じたことがあまりない。

摂取するカロリーの次は消費するカロリーに気を配る。ぼくがしたのは、筋トレとランニングとストレッチの三点セット。

筋トレは簡単なもので、腕立てと腹筋と背筋。これを2日置きに限界までの3セットずつ。何も三島由紀夫を目指しているわけではない。大したことじゃない。15分程度で終わる。

ランニングは家の近くにあったランニングコース(1周2キロ)を1周ないし2周走るだけ。これだって2周走っても30分程度。大した時間じゃない。雨が降らない限り毎日走ることにした。

ストレッチは役者修行をしていた頃に習ったやりかたで、五分ほど体を伸ばした。

数週間が経過した。

「……効果がわからない」

ダイエットを試みる人間がつまづくのは、この段階であるとぼくは思う。痩せたかどうか、わからないのだ。ぼくの場合は元々痩せ型で、太ったといってもせいぜいが65キロくらいのもので、それでも62キロから先がなかなか落ちなかった。
でもまあ、結果を急いでもしょうがない。すぐ人に会うわけではないのだ。とりあえず、自分の思うようにやってみよう。1年やってダメならあきらめよう。

ダイエット。これが精神と時の部屋でした、初めての修行らしい修行だった。

数ヶ月が経過したあたりで効果が現れはじめた。1キロ減り、2キロ減り、3キロ減った。
食事量は制限していないはずなのに、気づくと体重が55キロを下回ってしまった。54キロ、53キロ……

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……おい、これは高校生の頃よりも痩せているのではないか? 何だかフラフラすることが多くなったような気もする。

さすがにこれはまずい、と食事を多めに取るようにした。控えていた酒もいただくことにした。

気づいたことがあった。明らかに酔うペースが早くなっていた。でも、それはしょうがないことなのかもしれない。代謝がよくなり、脂肪というクッションが減った。そもそも省エネボディなのだ。酒が飲めないくらいで丁度いい。

結局、問題はストレスにあるのだと思う。ストレスさえ抑制できれば、欲求をコントロールするのはさほど難しくない(酔いは別ですけど)。これはギャンブルにも応用のきく考え方だと思う。

もちろん報酬は与える。食事をよく噛み、満腹の手前まではしっかり取る。
その上で飽きるほど自分に言い聞かす。寝る前の飲食はしない。間食はしない、と。できる限り毎日運動する。
ぼくがしたのはそれだけだった。後はそれを習慣にするだけ。肉体は習慣を疑わないようにできている。

スロットを毎日打つようになって、ランニングはほとんどやめてしまった。筋トレやストレッチを忘れて眠ってしまうこともたびたびある。
それでもぼくの体重は、以後6年間ほとんど変化していない。

小説も基本的にはこれと同じだろう、とぼくは考えた。
ん?
作品をつくるとは、(それまでの)自己の変革であり、その創造の基本は、たえまざる地味な反復である、と。

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