IMG_1852

このブログの執筆者である寿は、このコーナーに(というかブログじたいに)「わかりやすさ」を取り入れたいと、ワインの世界を変えたロバート・パーカーjrにならい、自分の文章に点数をつけてみよう、と思い立ったのだった。このポイントのことを、KKポイントと呼ぶ(説明しよう。KKポイントとは、書く(こと)賭け(ること)ポイントのことである)
KKポイントで評価すべきは4項目。
1、ブログで最も大切とされるタイトルと、そのタイトルにみあった内容かどうかの評価(1~15点)。
2、テーマとモチーフの普遍性、同時代性、今書くべき内容であるかどうか(1~15点)。
3、余韻、余白、後味の深さと長さ(1~10点)。
4、全体の質のレベル。その記事が未来に与える影響と、今後の展開を鑑みて(1~10点)。
最初の持ち点(50点)にこの点数を加算するシステムである。では、いきます。


第九十一話「なんちゃって日本文化論『めんどくさい』と『しょうがない』
1、タイトルに不満。もう少し何とかならなかったものか。内容からすると、「しょせんこの世は『めんどくさい』と『しょうがない』」みたいなことなのだけど。5点
2、雑感をただ書いただけ、という感じ。もうひとひねりほしい。4点
3、黒とか白とかだったらわりと書きやすいのかもしれないけれど、やはりそれが混じると書くのが難しくなる感じがする。3点
4、ただ、ぼくにとって、文章を書くことは、『めんどくさい』でもなく、『しょうがない』でもないからしている、という側面はあると思います。それはたぶんスロットもそうなのだと思います。そして生きることも。8点

total 70点/100

第九十三話「パチンカホリック
1、好き。8点
2、シンプルでいいと思う。7点
3、余白、余韻、そういうものはあえて残すから生まれるわけで、何事にも遊びやゆとり、が欲しいものです。5点
4、たとえば野球のピッチャーがフォームを変更したり、フィギュアスケーターがスケーティングを見直すことは、今までの自分の否定をしなければいけないわけで、そりゃもちろんストレスフルな行為なわけで、けれどプロでやっていく以上、未来の自分を見据えて今を変革し続けなければいけないわけで、まあしんどいけれど、文章を書いたりスロットを打つという行動の中にも当然そういう変化は必要で、まあ、ちょっとずつ毎日やっていこうと思ってます。6点

total 76点/100

第九十四話「おかしい。こんな生活をしているのに時間が足りない
1、おかしいのはおまえの頭だ、と自分の書いたことながら思わないでもないが、まあいい。世の中にこんな人間がひとりくらいいてもいいような気がするので、ぼくは生きている。1点
2、必要は発明の母ということで、変化を求めている自分は好意的に受け止めようと思う。10点
3、文章って、つきつめると時間との戦いというか、時系列との戦いなんですよね。絵画みたいな空間構成ができない。なので、文章を書くということと、時間をどう使うかってリンクしているような気もします。余韻も余白も。ということで叱咤激励の3点
4、トライ&エラーだけが人生なのだ。8点

total 72点/100


「先週の稼働全般について」

total ざっくりと70点/100

ところで、アナザーゴッドハーデスという台を(400ゾーン、天井合わせて)まだ20台ちょいしか打てていませんが、そろそろ投資金額は300kに手が届きそう。小心なぼくの心はがたがたがたがた音を立てております。
ですが、実際、この数値はそれほど大げさなものでもないわけで、それもそのはず、だいたい800以上から打っているのですが、天井まで連れて行かれると27k~28kほどかかるわけで(実践値)、そして天井期待値は1500枚あるかないかというところでしょう(実践値はそんなにない)。で、肝心要のゴッド揃いはいまだゼロ。ゴッドゲーム中に50ゲームを超える上乗せもいまだゼロ。
で、肝心の収支はというと、+0.7k/18.6h、かなり健闘しているような気がします。時間の無駄とは思いたくありません笑

別に引き弱自慢ではなく、何が言いたいかというと、ただ単純に、荒れるということ、荒れはするけれど、まあ堅調、ということです。
そもそも打つ打たないは完全に自由。「二万円が消えることを了承せずしてハーデスの天井を狙うべからず」という感じでしょうか。

人間が陥りやすいスランプのひとつに、成功体験に固執してしまう、というものがあります。

最近ちょっと自分の稼働を見直していて 気づいたのですが、いかに「数打ちゃ当たる」という気持ちで安易に席に座っていることが多いか。
いわゆる蓋然性をベースに行動理念としているわけですが、けれどその前に、その台に挑む際の気持ちの方が大切ではないか、と思い直しています。

後学のために600ちょいのビバドン2を打って古典パン(変換ミスだけど美味しそうなのでいいか)にやられたり、バジリスク絆の山菜摘み(byまちゃさん)で5台連続で低モード(予想)の台に座ってしまったり、土台スロットというギャンブルは運に左右されるのですから、そして運というものが自分の手でナントカなる問題ではないのですから、結局は行動に至るモチベーションの源泉たる気持ちが重要ではないでしょうか。

いわゆる当たりやすいとされるゲーム数のことをゾーンと呼んだり、また、AT、ART後のゾーンのことを天国と言ったりしますが、そのゾーンを打つか打たないかというのは打ち手の自由です。
そしてその根拠となるのは、台によって違う、メーカーによってあらかじめ仕組まれた運命、「確率」という数字です。
天国内の解除確率が40%あるから追おうとか、20%しかないから捨てよう、だとか。

しかし、もっとざっくりと、ぼくはこう思うのです。
「その台でカマを掘られてもおk」と思う(思える)のなら捨てる。
「その台でカマを掘られたら嫌」と思う(思ってしまう)のなら打つ。

結局はそういうことではないでしょうか。人間は一度にたくさんのことをできません。結果論であれこれ言うことはたやすいですが、我々には、少なくともぼくにはすべてを見通す目や、予知能力は備わっておらず、そして残念ながら数字のみで納得できる脳の持ち主でもなく、したがって精神論めいてしまうのですが、戦前、戦中の精神至上主義論とはちょっと違うように思います。

「嫌なこと(嫌な可能性を生むこと)はしない」
「嫌でないこと(嫌でない可能性の生じること)はする」

これだけです。
もちろん、ある程度の数字の裏づけは必要だと思います。ただその数字を見て、正確無比な分析をできる能力のない人間でも、判断は下さなければいけないわけで、対するのは自分の財布と直結する精神なのですから、そこは人任せにはできません。そもそも主観っておかしい感覚なわけで。だって10万勝ったらさも当然のように受け取るくせに、10万負けると自分の身を切られたように痛むんですから。そんな自分至上主義的な自分をどこかで律さないといけない。当然、ある程度場当たり的な作業になってしまうのですが、場当たりだからこそ、その「する」「しない」判断は明確にしたいと思っています。

ということで、モンハン月下とモンキーターンの二機種に限っては天国を追っています(他にいい台がない、という前提はありますが)。キャラクターが誰であれ、ロゴが何であれ。理由は楽しいからですね笑 モンハンは天国内で小役解除アイルービンゴ解除を含んで6連、モンキーターンは究極目とcz解除を入れて7連したことがあります。ということは、cz解除の後も天国に移行する可能性が(たぶんまあまあ)あるってことですよね。たまたま設定が良かっただけだとか激薄のところを引いただけだと言われたらソレまでですが。たとえマイナスの行動だったとしても、プラマイゼロからせいぜい-数百円の世界でしょう。参考にならない文章ですいません。
ただ、それにしても、モンハン月下の6連は初打ち時に、モンキーターン2は三回目に経験したわけで、結果論っちゃあ結果論なんですよね。現場の感覚と実際の数値を、推測と判断の精度を高めていきたいですし、ナントカうまくフィードバックしあえたらいいな、と思います。

今年に入ってずっと欠損が続いていると思っていましたが、そんなことは別に大したことじゃないのだ、そんなことよりも、この地球に生まれ育まれた奇跡について思いを馳せよ、空を見よ、星を見よ、宇宙を見よ、と思い込むようにしている今日この頃。

コンシユウモガンバッテイカウ! 

応援のクリックをお願いします。
 にほんブログ村 スロットブログへ
人気ブログランキングへ