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「タンギー爺さんの肖像」フィンセント・ファン・ゴッホ

ぼくは常々、接客業が日本の一番のストロングポイントではないか、と思っている。

ただ、例外もある。パチンコ屋における景品交換所である。どうして交換所にいる従業員の接客は、パチンコ屋の中の接客と全然違うのだろうか(それはもちろんグレーゾーンだからだ)。


日本の接客はすげえだろ、と海外に住む友人が日本にやってくるたびに自慢している。

友人はふむふむと感心し、その後でクビをかしげ、でも、どうしてこんなに素晴らしい食文化のある日本に、アメリカ的ファストフードの店がこんなにあるのか? と英語で言う。


どうしてだろうと考えてみて、思い当たるのは、めんどくさい、という心象だろうか。ハンバーガーをクールとする高度経済成長期の残滓は落日の彼方に消え去った。

たぶん、もうめんどくさいからファストフードでいいか、というのが一点。

それと、それを常食することによって生まれる麻薬的効果。


考察が甘いのは、ぼくがそれを常食しないからだ。

たまに食べるとその濃ゆい味つけや、口内に入り込んだ油ギッシュ成分をコカコーラで洗い流すように飲むのも、うん、ありだな、と思う。でも、毎日は厳しい。


そもそもめんどくさいを翻訳することがぼくにはできない。

辞書で調べると、troublesomeとかcomplicatedと出るけれど、正確な意味とは違う気がする。どちらかといえば、トラブルサムはしんどい、というニュアンスがあり、カンプリケイティッドのほうは、複雑な迷路みたいなニュアンスがある。


日本語における面倒臭いというのは、読んで字の如く、匂い立つような微妙なニュアンスであり、だからこそ、これも日本独特の表現である「しょうがない」という言葉をつれてくるわけで、それらを英語で説明するのは酷く困難を伴うわけで、それこそtroublesomeでありcomplicatedであり、だからアメリカの影響であるとか適当なことを言っておく。これがグローバリズムであるとか。

長く続いたデフレにより、外食と家でつくる料理の値段がそう変わらない、という点も指摘しておく。これは先進国では極めて例外的なことである。


ただ、ファストフードであろうとなかろうと、サービスの質という部分ではジャパンクオリティだ。そこは徹底的に強調する。

アメリカの同じ店と比べてみるがいい、と。ひじをついて接客する日本の店はない。

我々の笑顔はプライドである。ポライトネスである、と。


もっともらしい言葉で日本のよさをアピールする。日本にファストフードが根付いたことの考察は放り出し、そんなことより日本の接客はすげえだろ、と。


わかりやすいことは伝わりやすい。

わかりにくいことは伝わりにくい。

自明の理である。


こういうのってほんとめんどくさい。でも、しょうがない、そういうものなのだ。

そもそも日本で生活していて起こる様々な現象は、「めんどくさい」と「しょうがない」で片付いてしまう気がする。

否定的表現が「めんどくさい」肯定的表現が「しょうがない」何と曖昧な、何とめんどくさい文化だろう!


というかたぶん、めんどくさい、というのがキーなのだ。めんどくさいだとか、わかりにくい部分に日本の本質が隠れていて、そこがまた、めんどくさいの素なのだ。


たとえば総中流階級社会であったがゆえの、客の容姿によって接客を変える必要のなさだとか。めんどくさいから笑ってごまかしとけ、みたいな守備的な姿勢とか。

長いものには巻かれる、個人よりも集団を生かす、また、名よりも姓を尊ぶ文化的性質(住所は日本→都道府県→市区町村→番地。我々のファーストネームは苗字である)。


どうしてこんな「なんちゃって日本文化論」みたいな文章を書いているのだっけ? 


ああ、パチンコ屋の従業員の接客と、景品交換所の従業員の接客が違う理由を考えていて、脱線したのだった。


建前上、交換所としてはあの特殊景品を欲しがっているはずなのだから、「ようこそ、当交換所にお越しくださいました」という風にはならないものか?


でも、色々めんどくさいし、土台グレーなのだから、しょうがないか(投げっぱなしの結論ですいません)。
 

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