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「波上白骨座禅図」丸山応挙

人生の目的とは、などという、到底答えられるはずのない、というか答えようのない、無理難題に対する答えを無理矢理ひねり出すとしたら、初期設定を更新することかな、と思う。



初期設定で何とでもなる時期はたしかにある。ゾーン突入、というやつだ。しかし、その確率と同じか、それ以上の確率で、不ヅキの連発というゾーンに入るときがある。何をしても裏目に出る。どうにも止まらない負の連鎖。エアポケット突入。

このとき、初めて人間の真価が問われると思っていい。初期設定ではどうにもならないこの状況を、どう越えるか。

一番の問題は、それがいつまで続くかわからない、という不安にあると思う。
存在の耐えられない不安。ぼくはこれにとびきり弱い。しかしながら、そのことを自覚できるまで三十年近くの月日を必要とした。これは単純に初期設定に恵まれていたということなのかもしれない。

「素人の上達への道は、己が下手さを知りて一歩」と安西先生が言ったように、強くなる可能性というものが自分という生命体にとってもしあるとするならば、自らの弱さを自覚するところから始まるはずだ。
 

「強さとは?」と問われた本田圭佑が少し悩んだ後、「自分に打ち克つこと」と答えたように。
アルベルト・アインシュタインが「人間の真の価値は、おもに、自己からの解放の度合いによって決まる」と述べたように。

脳科学者の茂木健一郎は、人生に行き詰ったときに、解剖学者の養老孟司に相談をした。そのときに返ってきたのは以下のごとき文章だった。

「人生には1回や2回、もう死んじゃうのではないかと思うようなことがあるけれど、まあ、だいたい大丈夫」


すべてはありうべき確率のうえに起きうること。そして起きてしまったことは変えられないこと。
前を向くか後ろを向くかは自分が選べるということ。
終わったこと、これからのこと、どちらを考えるも自由だということ。
そのうえで、人間の体は前に進むように設計されているということ。

何をしてもうまくいかないとき、はじめて人間の人生ははじまるのだ。 


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