世間におけるパチンコ屋のイメージは、こんなものだろう。

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ヒエロニムス・ボス「快楽の園」より地獄


対して、ぼくの感覚ではこんな感じである。

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アンリ・ルソー「フットボールをする人々」


この乖離はどこから生まれるのだろうか?

まず、1「パチンコ屋に入り浸る人間は社会不適合者の確率が高い」という点だろう。それはたしかにそうなのである。
そのせいで、2「世間の偏見」が加速するのだ。

人間はよくわからないものを「解析不能」というフォルダに入れておくことを嫌い、「悪いもの」というレッテルを貼り、非難する傾向にある。

ぼくは何も、そのことについて憂えているわけではない。

人非人扱いされてはたまらないけれど、ぼくは自分の意思でこの灰色の世界にいるわけだし、この世界の色を理解したうえで、基本的には愉しみのためにパチンコ屋に行くわけだし、そのことを非難されるのなら、甘んじて受け止めようと思う。

「人生を楽しんでしまってすいません」と。


個人的に嫌だな、と思うのは、このグローバルの進んだ時代において、ワールドスタンダードを決め付け、振りかざす人である。

世界的な目から見て、パチンコ屋というのは異常だから、禁止すべきである、というのは、何の説得力もないし、建設的な議論になりようがないと個人的には思う。

グローバルというのは、世界全体にわたるさま、世界的な、地球規模の、という意味の英語である。これは言い換えれば、ここ、という限定のない、つまりは中心のない現象ということではないか。

その最も象徴的なアイテムは、インターネットだろう。

理想主義的な観点から論ずれば、世界は均一化ではなく、均質化に向かっているように思う。
それは要するに、違いに目を向けるのではなく、近しいものに目を向けようとするという態度だと思う。違いに目を向けていったら最終的に、よろしい、ならば戦争だ、という結論になる。答えは前世紀に出たじゃないか。もう戦争はうんざりなのだ。
(この個人の時代に)日本人はどう生きるべきか。みたいな表現矛盾もたまらない。人はひとりひとり違う。同じ国に住んでいても、同じ宗教を信仰していても、同じ家に住んでいても、同じ部屋の同じベットに寝ていても違うのだ。

グローバル化が進めば進むほど、スタンダードを論ずることが難しくなるはずなのに、にもかかわらず、欧米のみが世界だった頃の価値観をそのまま流用して、「世界の目はこう見ている」みたいな言い方をする人間の言説は聞く気にならない。

パレスチナのムスリムの目と、イスラエルのユダヤ教徒の目が同じはずがない。
チベットの仏教徒と、北欧に住む無宗教の人間が同じ目線のはずがない。
同じ国の中でもアフロアフリカンのアメリカ人と、ヒスパニック系のアメリカ人では別の価値観があるだろう。

ムスリムの目から見れば、酒を飲んでいるだけで異常だし、ヒンズー教徒からすれば、牛を食べることなんて考えられない。日本人からすればタトゥーは反社会のシンボルだし、アフリカ内陸部の人は魚なんて食べ物ではないと思っている。

グローバルとは、これら多種多様な人間がひとつのテーブルで食事をともにする、というようなことではないか。文字通り地球はひとつしかないのだから。

日本文化に連綿と続いてきた「大切なものは常に海の向こうにある」という地理的特性から生まれたピュアな信仰は、インターネットの登場によって、完璧とは言わないまでも、覆ってしまったのである。
その裏返しとして、日本に対する世界の反応を気にしまくる、という現象があるような気がしている。違うのだ。それは世界の反応ではない。ただの一個人の他人の意見にすぎないのだ。意見をピックアップする人間の恣意的な選択にすぎないのだ。

「世界」とは、ここであり、向こうであり、また、そのどちらでもある、というのが、現在における世界の定義であるとぼくは思う。

話が著しく脱線したような気がする。

何の話だっけ?(タイトルに戻ろう) ああ、パチンコ屋をめぐる状況に対する本音、だった。

少し前の話になるが、パチンコ屋から出ると、おそらくは十代だろう3人の若者が、「マジ、だりい」と言っていた。
おそらくは手痛い敗北を喫したのだと推察する。
「マジ、だりいな」
「かつあげでもしねえ?」
「マジ、しちゃう?」
「最近人殴ってねえし」
「いいね」

パチンコ屋に時折現れる、かのごとき集団については、暗澹たる思いを禁じえない。どうしようもない以外に答えってあるのだろうか? 

グローバルがゆえに生まれる格差と、中心なき時代にそれでもスタンダードから外れてしまう悲劇について、「黒子のバスケ脅迫事件」の被告人が述べた初公判における冒頭陳述の中で、とんでもない予言をしていた。

少し抜粋してみたい(被告人の本名の伏字は寿によるもの)。


自分の国籍や民族的アイデンティティについて勝手な憶測がネット上などに氾濫しているかと思いますが、自分の両親も祖父母も曾祖父母も日本人です。帰化して日本国籍を取得した日本人でもありません。「黒子のバスケ」脅迫事件の犯人である●●●●は残念ながら日本人です。
 
中略


自分の人生と犯行動機を身も蓋もなく客観的に表現しますと「10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた」ということになります。これで間違いありません。実に噴飯ものの動機なのです。

中略

量刑につきましては、自分は厳罰に処させるべきですし、それを切望しています。半分冗談で半分本気で申し上げますが、自分が望む刑罰は死刑です。自分に対する刑罰が最高で懲役4年6ヶ月というのはおかしいと思います。

中略

いわゆる「負け組」に属する人間が、成功者に対する妬みを動機に犯罪に走るという類型の事件は、ひょっとしたら今後の日本で頻発するかもしれません。

中略

自分のように人間関係も社会的地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない人間を「無敵の人」とネットスラングでは表現します。これからの日本社会はこの「無敵の人」が増えこそすれ減りはしません。日本社会はこの「無敵の人」とどう向き合うべきかを真剣に考えるべきです。また「無敵の人」の犯罪者に対する効果的な処罰方法を刑事司法行政は真剣に考えるべきです。

 

全文は以下のサイトで読めます。

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開2


誤解を恐れずにいえば、私小説を読んでいるような、非常に興味深い文章である。

社会的地位は、どちらかと言えばぼくの方が低いだろう。
自分のことしか考えていないという意味では、ぼくとどっこいどっこいだろう。

「無敵の人」という表現を見て、十数年前に知り合いだったジャンキーが教えてくれたマリオジャンキー説を思い出した。

「スーパーマリオってよ、あのゲーム、やばくね? キノコ食ってでかくなって、星食って無敵って、やばくね?」

無敵の人が増えるだろう、という予言。

彼の予言がエイプリルフールのジョークでありますように。


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