書くこと、賭けること

どうもはじめまして。スロ小説家のブログです。

すべての書かれたもののうちで私が愛するのは、自分の血で書かれたものだけだ。
血で書け。そうすればきみは、血が精神であることを経験するだろう。

フリードリヒ・ニーチェ 永井均訳
「ツァラトゥストラはこう語った」
読むことと書くこと、より

第百九十七話「『ハレにはケ。ケにはハレ』魔法少女たちの犠牲をどう受け止めるか」

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ずいぶん前に「劇場版まどか☆マギカ新編 叛逆の物語」のブルーレイを買っていたのだけど、手付かずのまま放置されていた。

ぴょろり論を書くにあたって、アニメ「バジリスク」と原作小説「甲賀忍法帖」を連続で見て、それで思い当たったのが「魔法少女まどか☆マギカ」のことで、そしてぼくは今エコトーフのようにスロット省エネモードなので時間が少しある。おまけにお盆休みである。ということで、いい機会なので映画三作を一気に見ることにした。

今回はぴょろり論のような、どこかに隙間を見つけて「仮説」をはめこんで、何かしらの「結論」を出す、という長々とした文章にはならないと思うので(たぶん)、お付き合いいただきたい。

物語の核になっているものは何か、ということをつらつら考えていくと、エンターテイメントの場合、「犠牲」というキーワードが浮かんでくる。

これは何も「まどマギ」だけの話ではない。それはエンターテイメントの基本が「ハレ」にあるからである。

「ハレ」というのは、「晴れ着」「晴れの日」「晴れ舞台」のハレであり、ざっくり言えば非日常ということであり、対義語は「ケ」、すなわち日常である。

「ハレ」と「ケ」という言葉は日本独自のものだろうが、 日常と非日常という概念の往復が、世界中の人間にとっての生活(宗教的生活)の基本となっているのは間違いなく、世界中で祭りのない宗教または共同体は(たぶん)存在せず、そして往々にして、非日常の極みである「祭り」には、何かしらの犠牲が用意されるのが、常である。

古くは神に感謝をささげるために乙女をささげたり、農作物を捧げたり、大切な家畜を捧げたり。あるい相撲が神事だったのもそうだろう。

祭りの本質には人間の残虐性があり、そしてそれは、社会性を尊重しなければいけない日常への反動でもある。
人間の社会性を一時的に反転させてしまう祭りに人々が我を忘れて没頭するのもしょうがないことなのだ。
人間が変わっていない以上、現代においてもそれは変わらない。
たとえばオリンピックやワールドカップには必ず敗者が生まれる。
たとえば「誰かの不用意な発言や行動」がインターネットで拡散されると、お祭り騒ぎになる。

「社会性」という無理難題を強いられている人間存在を解き放つ「イベント」が用意されることは、ある種ガス抜きの要素もあり、一概に悪とは言えない。
そして「物語」もそのひとつなのだ。

「本当は残酷な~童話」と言ったりするけれど、残酷なのは童話ではなく、我々の本性である。
その我々のどうしようもない残虐性を、ぼくらに代わって天膳やキュウべぇが代行してくれる。伊賀忍と甲賀忍が殺しあってくれる。あるいは、魔法少女と魔女が殺しあってくれている。
それを見て一喜一憂するぼくの業は深い。

いや、ぼくだけではない。「カワイイ」という言葉に隠された「他者を見下す視線」という娯楽。幼児体型がかわいい、舌足らずがかわいい、訛りがかわいい、肉がついているのがかわいい、髪が薄いのがかわいい、幼いがかわいい、老いがかわいい、etc.
しかしその「カワイさ」を感じる心の根幹にあるのは「安心」なのだ。

そう、尊い犠牲を見て頬を伝う涙は「安心」の証拠なのである。ぼくたちがぬくぬくと生きている、ぬるま湯のような場所から見下ろしている証拠の物質なのだ。

ぼくが純文学小説を書いているのは(たぶん)その反動である。アンチ日常である非日常のアンチ。ぼくがパチ屋を日常的な空間にしているのも(たぶん)その反動である。

古来よりこの地における遊民は多分に差別をされながら、「非日常」を「日常」に変換させ、「日常」を「非日常」に変換させる術を磨いてきた。
敵の敵は味方。裏を返せば同じもの。

人生を賭けて、ぼくはそれを手に入れたい。スロットにしろ何にしろ、ぼくはギャンブルにゼンツッパはしない。けれど小説を書くという非日常的行為にすべてを捧げる。
ブンガクにゼンツッパ。
わけがわからないよ、と言われるだろうけれど。

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第百九十六話「まどかの母親はいかにして神を育てたのか」

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まどかはいかにして神になったのか? ということについて、今日は教育という観点から考えてみたいと思う。

教育というのは、固体にとっても民族にとっても、あるいは人類全体にとってみても、かなり優先順位の高い、または最優先の懸案である。

「宗教」

「道徳」

「風習または伝統」

「論理」

言葉は何でもいいが、教育の根幹にあるのは、「物事の判断基準をどこに置くか」だろう。

ネタバレというほどでもないが、「鹿目まどかという少女はいかにして神になったか?」というのが「魔法少女まどか☆マギカ」テレビ版、あるいは劇場版前編後編の内容のほとんどすべてである。もちろんぼくなんかの言葉で穢れてしまうほどアニメの構造は浅くない。それでもこの先は(ほんの少し)ネタバレ的な要素があるので、それが気になる方はここでお別れいたしましょう。

※劇場版新編「叛逆の物語」はまったくもって(強調)違う話なので、ここでは触れません。

魔法少女まどか☆マギカと言っておきながら、魔法少女サギかのごとく主人公の「まどか」は魔法少女にならない。物語が進んでも、なりそうでならない。なりそうなのに、なれない。いつも寸でのところで邪魔が入るのだ。

しかしそうも言ってられない。「まどか」が魔法少女にならなければタイトルに偽りがある。それではいかん。JAROに電話をせにゃいかん。羊頭狗肉である。というわけで、まどかさんにはどうしても魔法少女になってもらう必要がある。

で、物語の終盤近くでようやく主人公「まどか」が魔法少女になることを決意するのだが、その決意のほどをほのめかすシーンが実に教育的なのである。

簡単に言えば、物語(まどかを含むすべての環境)にとってのラスボスを前にして、まどかはある「決意」を固めるのだけれど、その前に立ちはだかるのが、まどかの家庭環境にとってのボス「母親」なのだ(父親は主夫である)。

まどかの家族は体育館(のような建物)に避難している。というのも、ラスボスは一般人の目には見えず、普通の人間にとってその存在は「台風」のような天災としてしか具現化されない(つまり感知され得ない)ものだからである。
そんないまだかつてない超ド級の天災の避難先である体育館から抜け出そうとしている娘「まどか」のことを母親が許すはずがない。

母親は言う。「待てよ」
しかし娘の意志は固い。待つつもりはない。
外は大嵐である。
母親も負けてはいない。
パチン、と娘の頬を叩く。

「ママは言ったよね」とまどかは言う。「私はいい子に育ったって。嘘もつかない。悪いこともしない」

もちろん、親子の会話なのだから、色々な枝葉を取っ払った(省略された)会話なのだろう。ただ、ふたりにとっての「いい子」の定義は、「嘘をつかないこと」「悪いことをしないこと」であり、それすなわち、母親の定義した定義であることは伝わる。

それを踏まえたうえで、まどかは言う。「今でもそう信じてくれてる? 私を正しいと思ってくれる?」と。
まどかの母親は、まどかに手を伸ばそうとする。自分の娘をまだ自分の手元に置いておきたいかのようなそぶりで。しかし、まどかの母親は、何かをあきらめたかのように、手をおろし、口を開く。
「ヘタ打ったりしないな?」
たたみかけるように言う。
「誰かの嘘に踊らされてねえな」

……この言葉は何かを想起させないだろうか? 我々に馴染み深いアレに。

そう。

ギャンブルである。


「ヘタを打つ(打たない)」
「誰かの嘘に踊る(踊らされない)」

これらはどう考えても博打の概念である。おそらくまどかの母の考える大人の定義とは、言い方を変えればギャンブルをする資格のことなのだ。

「嘘をつかないこと」
「悪いことをしないこと」
これは要するに、そのうえで正攻法で勝て、ということだ。うーん、我々ギャンブラーも納得の教育である。

普通に考えて、だ。外は大嵐なのだ。堅牢な建物から出て行くということは、ほとんど自殺と同義である。どう考えても浮上する見込みのない会社の株を買うようなものだ。ハルウララの馬券を買うようなものだ。
しかしまどかの母親にとって、娘が自身の庇護から巣立っていくことの手向けの言葉がこれなのだ。

「ヘタ打ったりしないな?」
「誰かの嘘に踊らされてねえな?」

そして、まどかの「うん」という言葉で、まどかの母親はまどかの肩を押す。プッシュ、するのである。
普通の親はこんなことできない。
 
何度もくりかえすが、外に待つのは街一つ、文明一つ滅びかねないほどの大嵐なのだ。それでもまどかは母の手に送り出され、外に出る。そして神になるのである。

物語のためにはしょうがないかもしれないが、この決断はひとりの人間としてどうなんだ? と思う。そりゃ、観客の目線からしたら、外で戦っている「ほむら」を助けにいってほしい。

何でこんな話をしているかというと、映画館に行ったとき、けっこう親子連れが多かったんですよね。

ほとんどの人間は反抗期を迎えるわけで、そのとき、かつてこの映画(物語)を一緒に見た母子はどのような衝突があるのかな、と想像しないわけにはいかなかった。
この物語をすんなりと受け入れておいて、自分の娘には「許さん」、「ダメ。ゼッタイ」って言うんだろうな。ダブルスタンダードだな。と、まったく他人事ながら、そんなことを考えてしまった。

そのような意味で、神を育てた母親はすごい教育を、そしてすごい決断ができるものだ、と、物語ながら、感心してしまった次第であります。

明日は少し焦点を変えて魔法少女の犠牲から見るエンターテイメント論を書きます。お暇なら来てよね!

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第百九十五話「はぁ~出玉もねえ、テンハもねえ、継続なんてするわきゃねえ」

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ハーイ! パチ屋イクゾウだよ。

みんな、今日もがっつりスロットを打ってるかな? 打ってる? よーし。今日も日本は平和だね。
ミー? ミーは今月は省エネモードなので、1日に5台しか打たないって決めてるんだ。ごめんね。


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作者 寿
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ふと思う。スロ歴ってどれくらいなんだろう? 今年で20年? そんな経つ? ピーいれたいね。スロットばっか打ってるわけじゃなくて、普段は小説書いてんすよ。ちっとも売れないけどね。つうか売ってないしね。けどこのブログだと読めんすよ。フォウ!

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当ブログは、寿という人でなしが小説を書くなかで、
また、スロットを打つなかで、
はみ出たものを一所懸命につづったものです。
基本的に毎日更新してはいますが、
毎朝グビグビ飲めるというほどあっさりした、
また、健康的な文章ではありません。
油ギトギトのラーメンというほどではないと思いますが、
胸焼け、食あたりを起こす可能性がある由、ご留意くださいますよう。

また、コメントは大歓迎です。
引用ももちろん大歓迎ですが、引用元の記事を明記していただけると幸いです。
それでは今日もはりきって行きましょう! どこへ? パチンコ屋へ。
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