書くこと、賭けること

どうもはじめまして。スロ小説家のブログです。

すべての書かれたもののうちで私が愛するのは、自分の血で書かれたものだけだ。
血で書け。そうすればきみは、血が精神であることを経験するだろう。

フリードリヒ・ニーチェ 永井均訳
「ツァラトゥストラはこう語った」
読むことと書くこと、より

第七十六話「宵越し天国の崩落と、微負けの連発」

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宵越し天国Y店で、当日854ゲーム、前日75ゲームのハーデスを打つ。



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第七十五話「続 友だちは必要か?」

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「市川蝦蔵の竹村定之進」東洲斎写楽

なぜ、友だちが必要なのか。
それはたぶん、人間が社会的な生き物だからだ。ただ、その社会の形態は、時代によって変わるものではないか。

ということで、昨日のつづきです。

昨日の記事の要旨は、
教育もそうだし、物語もそうだけど、友だちという言葉を万古不変の存在、みたいな崇高な玉座に座らせるのを、そろそろ改めるときではないか ということだった。



あの伝説の麻雀打ち、桜井章一はこんなことを言っている。


私には友達がいません。一人もいない。

仲間はたくさんいます。これはもう数え切れないほどです。友達と仲間の違いがわかりますか?

友達というのは要するに仲のいい相手のことでしょう。~中略~それで、何かの拍子に噛み合いがおかしくなると、今度は一転、密な関係が息苦しくなってしまう。期待はずれの対応を受ければ、裏切られたような気持ちになって、憎んだり苦しんだりする。

仲間は違います。友達が基本的に1対1の関係なのに対して、仲間というのは1対10でも1対100でも成立します。共有する何かの軸があり、その周りに集まって手をつないでいるだけの関係だからです。~中略~仲間のいいところは、1対1ではつき合いきれないヤツとでも手をつなぎ合えるという点だと思う」 ツキの正体より



学生の頃のぼくは、友だちがほとんどすべてだったように思う。もし今、あの頃のぼくにかける言葉があるとするならば、次のようなことだろうか。

ひとりこうして文章を書いていて思う。ぼくを助けてくれる人などいないのだ、と。悲観的でも楽観的でもなくそう思う。ぼくのしていることは、ぼく以外の誰もできないことなのだ。そういう道を、ぼくは選んでしまったのだ、と。
それでも何とか生きている。友だちに嫌われたくらいで死にたいなんて思うなよ。気楽に行こうぜ、と。

ぼくの見る限り、友だちによる弊害は、二種類あるように思える。

ひとつは、等価交換性である。
 

もしかすると、すべてがデジタル化される現代にあって、友情を等価交換とみなす風潮は、当然の前提なのかもしれない。


おれはこれをした。だからおまえもこれをしろ、というような。

わたしはこれをしたのに、あなたがこれをしないのはおかしい、というような。自分はいつもラインのメッセージをすぐ読むのに、こっちが送るとそっちはいつまで経っても既読にならない、みたいな。


お言葉ですが、それは友情とは言わない。

もうひとつは、同調圧力である。

おまえ、これしないの、やばくね? マジ、なんでそんなことやってんの、やばくね? いつまでやってんだよ、やばくね? 早くしろよ。やばくね? 何でできねえんだよ、やばくね? ふざけんなよ、マジで、何なの、おまえ、やばくね?

お言葉ですが、それは友情とは言わない。 

このふたつの弊害は、コインの裏表のように、どちらが出ても、個人のアイデンティティを縛る。 


象徴的なできごとがあった。

少し前のことだが、太宰治の書いた「走れメロス」という作品の中で、メロスは走っていなかった、という検証「メロスの全力を検証」を中学生がした、というニュースである。

その検証の要旨は、文中の記述をもとに計算してみると、メロスはまったく全力で走ってはいない、ということらしい。着眼点は素晴らしい、と思う。疑問も、そして結論も、万人が認めるであろうものにしあがっている。


「うん、メロスは走っていないな」


ただ、そこじゃなんだよな、とぼくは思う。彼の功績にケチをつけるつもりはこれっぽっちもないし、「走れメロス」という古典に光を当ててくれてありがたいという気持ちも多分にあるが、彼よりも少しばかり長く生きているおっさんの見方は違う。

セリヌンティウスはメロスのそんな自作自演の鼻持ちならないクソヤロウっぷりをすべてわかった上で、自分の身を差し出したんだ。

それは自己犠牲なんていう生易しい言葉ではない。それは義務であり、責任だった。
「走れメロス」は友情というものが義務と責任によってのみ成立することを明示した話なのである。それは言い換えれば、友情の不平等性であり、無償の愛にも似た、ある種の不可能性であり、鼻持ちならない自我を抱えてしまった太宰の痛切な自己批評なのである。言うなれば「書け、おれ」なのだ。自己顕示欲ゆえに、使命感ゆえに、「数多の犠牲の上に、立ておれ」なのだ。

ちょっと熱くなってしまった。すみません。  

友だちの利点も書いておかないと、フェアではないだろう。

友だちと一緒にいれば、寂しくない、というのが一点。
友だちと一緒にいれば、楽しい、というのが一点。
友だちと一緒にいれば、不安じゃない、というのが一点。
友だちと一緒にいれば、色々なことを考えなくて済む、というのが一点。

もちろん利点はたくさんあるのだ。

ただその利点は、すべて、ひとりになった瞬間に裏返りはしないか? という話。

寂しい。楽しくない。不安だ。色々なことを考えてしまう。

だったらメロスを友だちにできますか?
友だちの身代わりに捕らわれるのは平気ですか? という話。なかなかイエスとは言えないだろう。ぼくだって言えない。
 

ただ、残念ながら、ぼく自身がメロスに近いのだ。自作自演の鼻持ちならないクソヤロウ。

でも、自分だったらしょうがない。 あきらめよう。誰かにセリヌンティウスを求めることはしまい。ひとり二役、いや、何役でもこなして頑張るしかない。

友だちは生活の延長線上ですれ違う人である。生活の延長線に人がいなければ、友だちができるはずはない。
 

それよりも、一度しかない人生、自分のことを考えて生きましょう、という話。


自分を大切にできない人が、友だちのことを大切にできますか、という話。

自分本位で、いいじゃない。
 

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第七十四話「友だちは必要か?」

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「風景の中の自画像」アンリ・ルソー

ふと思う。三十数年の人生の中で、いったい何人の人と出会ったのだろうか? と。


少なく見積もってみても、1000人はくだらないと思う(感覚的にはもっといそうな気もするが、把握不能なので)。その中で友だちづきあいに至ったのは、おそらく一割から二割だろう。


そうすると、一番少ない見立てでも、ぼくには100人の友だちがいることになる。


富士山に登ったことこそないけれど、小学校入学当初の願いは果たされたわけだ。


が、実際問題、今ぼくが頻繁に連絡を取り合う人物は、世界中合わせても片手で数えるくらいしかいない。

世界には70億人以上の人がいるというのに、何ということだろう!



第一関門は、仕事をやめてしまったことだ。


そして第二関門は、日本一周に出たこと。帰ってきて家に閉じこもって外に出なくなったことだ。


時間が経ち、精神と時の部屋から外に出てみると、彼らはどこかに消えていた。


では、その100人はどこに行ったのだろう?


おそらくはどこにも行っていない。

変わったのは、ぼくであり、彼らであり、環境である。時間はすべてを変えていく。そして時間は動き続ける。今も、今までも、これからも、永遠に。


教育もそうだし、物語もそうだけど、友だちという言葉を万古不変の存在、みたいな崇高な玉座に座らせるのを、そろそろ改めるときではないか、と思う。


ぼくが断言しよう。

友だちというのはただ、生活の延長線上ですれちがう人、くらいの意味である。


ぼくはたぶん、この友だちという問題を、今まで百万回ほど悩んでいる。主に学生時代、社会人になってからも多少。あいつはおれのことどう思っているんだろうか。おれは嫌われてやしないか。だとかだとかだとか。


ぼくにとって、友だちというのは唯一絶対の神だった。ぼくは熱心な一神教の教徒だったのだ。


小学生の頃、一番大切なものは何ですか? という質問を先生がしたことがあった。


両親だとか、祖父母だとか、ミニ四駆だとか、ガンプラだとか、キティちゃんの人形だとか、そういう意見が出る中、ぼくは堂々と「友だち」と言った。


というのも、ぼくは物心が先かジャンプが先かというような、ばきっばきのジャンプっ子だったから(当時ジャンプは170円であり、1ドルは140円くらいだった)。
 

知ってのとおり、ジャンプマンガのお題目は、「友情、努力、勝利」である。


ジャンプを読んで一喜一憂していた以上、友だちがいなくなることが一番怖いことだったのだ。


友情、努力、勝利。


しかし、それを現実の社会に当てはめてみると、吹けば飛ぶような軽いジョークでしかないことに気づいてしまう。好意的に見ても、あまりに高すぎる、崇高すぎる理想であり、だからこそ、それを坦々とこなすスーパーヒーローたちに、ぼくたち少年は心躍ったのだろう。


あるいは、今とは時代が違うのかもしれない。

だまされた、とは言わない。けれど、そのような意味で言えば、「ワンピース」というマンガはまったく正しい。


ルフィは友情パワーなどと言わない。ただ、自らのファミリーを、仲間だけを恃むのだ。


大切なのは、友だちと仲間の、線引きである。

その前に、なぜ友だちが必要なのか? という問題について考えなければいけないのかもしれない。
 


長くなる予感がひしひしとするので、明日につづきます。申し訳ない。


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作者 寿
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ふと思う。スロ歴ってどれくらいなんだろう? 今年で20年? そんな経つ? ピーいれたいね。スロットばっか打ってるわけじゃなくて、普段は小説書いてんすよ。ちっとも売れないけどね。つうか売ってないしね。けどこのブログだと読めんすよ。フォウ!

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当ブログは、寿という人でなしが小説を書くなかで、
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基本的に毎日更新してはいますが、
毎朝グビグビ飲めるというほどあっさりした、
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油ギトギトのラーメンというほどではないと思いますが、
胸焼け、食あたりを起こす可能性がある由、ご留意くださいますよう。

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それでは今日もはりきって行きましょう! どこへ? パチンコ屋へ。
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