書くこと、賭けること

どうもはじめまして。スロ小説家のブログです。

すべての書かれたもののうちで私が愛するのは、自分の血で書かれたものだけだ。
血で書け。そうすればきみは、血が精神であることを経験するだろう。

フリードリヒ・ニーチェ 永井均訳
「ツァラトゥストラはこう語った」
読むことと書くこと、より

週刊我評第二十二週「寿RADIO」

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第百三十五話「幼なじみの消失」


前回のあらすじ 
ある日寿が街を歩いていると、ばったり昔の知り合いに遭遇、立ち話もなんだし、と、お茶を飲むことにしたのだった。

「まだあのときのことを気にしてるの?」と同級生は言った。

「気にしてないよ」とぼくは答えた。「気にしたってしょうがない」

「そう、気にしたってしょうがない。あれは誰が悪いわけでもない。そうでしょ?」

「……」


16年前。高校二年生の秋。

ぼくたちは修学旅行で沖縄にいた。当地にとってのその季節は、ぼくの感覚で言えば、夏だった。
見渡す限り、さとうきび畑が広がっていた。タクシーの運転手が、その背の高い植物を一本盗み、ポキリと折って、ぼくにくれた。こうやって食うんだ、とかぶりつき、糖分をすすった。
ぼくたちも真似をして、さとうきびにかじりついた。
あんまり甘くないんだな、と思った。
お礼(をする相手を間違えてはいるけれど)にぼくは、タバコをあげた。運転手はタバコが切れた、と嘆いていたからだ。
一緒にセブンスターの煙をふう、と吐いた。
煙が消えていく先に、青い空が広がっていた。
ぼくたちの班は、学習体験をさぼって、学割で貸切、学校が用意してくれたタクシーで勝手に観光していた。
運転手は月に16万円くらいしか稼いでいない、と言った。まあ、自給自足できるし、というようなことを言った。そうなんだ、とうなずいてはみたが、本当かな? と思う。
時々、大地を震わすような音を立て、戦闘機が真っ青な空を切り裂いていく。「耳いてえ」とぼくは呟く。

「あー」と彼女は言った。「海が見たい」
「いいね」とマサトも言った。
「うんうん」と幼なじみも言った。

「いいよ」と運転手は言った。

人っ子ひとりいないビーチだった。つまり、そこにいるのはぼくたちだけだった。
はっとするほど海はきれいだった。海蛇がにょろにょろと泳いでいるのが見えた。地元の人間は泳がない、と運転手は言った。それに、海は離島の方がきれいだ。
どっちでもいいや、とぼくは思う。この海はきれいだ。少なくともぼくたちの地元にある海に比べたら、何十倍も。ぼくはそのかすかな波の音を聞きながら、浜辺に寝転がった。何もさえぎるもののない、十月の青い空が広がっている。

「このまま学校辞めてどっかに行っちゃおうか?」と彼女は言った。
「いーねー」とマサトは言った。
「センセーたちは困るだろうな」とぼくは笑った。「来年から修学旅行中止になったり」
「ザマア」とマサトも笑った。
「じゃあどこ行く?」と幼なじみは言った。
「台湾、そして、フィリピン、東南アジアと渡って海賊になる!(ドン)」マサトはジャンプで連載がはじまって間もない「ONEPIECE」というマンガに感化されまくりの精神で言った。
「馬鹿じゃないの?」と幼なじみは冷め切った目でマサトをにらんだ。その後で、「私は南十字星が見てみたいな」と言った。

「運転手さんは? どこか行きたいとこないの?」彼女は少し離れたところでぼくのセブンスターを吸う運転手に向かって言った。
「わたしは沖縄から出たことがない」運転手のおじさんはぶっきらぼうにそう言った。

静かな波が寄せては返すビーチで、ぼくたちは荒唐無稽な夢物語を語り合い、そして、太陽が高度を下げだした頃、運転手にお礼を言い、持っていたセブンスターを全部あげて、ぼくたちはホテルに戻った。
夕食後、みんなでお金を出し合って買った酒で、宴会がはじまった。ぼくとマサトはそれに参加して、したたかに酔っ払った。
酔った勢いで女子に告白し、撃沈する男子。
なぜか成功し、冷やかされる男子。

彼女が消えたのは次の日の朝だった。




「みたいな話、どう思う?」ぼくはそう言おうとした。

誰に?

頭を強く振った。ぼくの前には現実の空間が広がっていた。観葉植物、無機質なテーブルとちょっと固めのソファ、英字とポップな絵がプリントされた壁紙、珈琲の匂い。

ぼくはノートとペンをコンビニで買い、雨宿りがてら、駅前型コーヒーショップ(禁煙)でアイスカフェラテを飲みながら、小説のプロットを書いていたのだった。

ぼくにはアニメの世界みたいな幼なじみなんていない。いや、それらしき人はたしかにいた。でも、実在の幼なじみにはもう20年近く会っていないし、顔を合わせてもたぶん気づけないと思う。今のぼくにアニメ論を闘わせる知り合いがいるはずもない。すべては妄想の産物にすぎない。

ぼくは病的である。こんな風なヨタ話を、登場人物を代え、設定を替え、何年も何年も延々と脳内で描き続けているのだ。ヨタ話、物語……。

もういい。開き直ろう。物語について語ってみる。

「物語」とは何か?

物語とは、ある人物=主人公=それを読む人(読者)の、存在の証明である、とぼくは考えている。
あなたがそこにいることの必然を具現化したもの、それが物語という表現形態なのだ。
だから物語は、それが暗い話であれ、明るい話であれ、存在の肯定という使命を必ず持っている。誰の? あなたの、である。

主人公にとって極めて重要な人間が忽然と消えてしまう、というのは、たとえば村上春樹作品にとってお決まりのパターンである。どうして主人公にとって重要な人間が消えてしまうのか。それは、我々の人生が、重要なものの消失の蓄積に他ならないからである。
それは時間のメタファーであり、物質のメタファーであり、エントロピー増大の法則のメタファーである。


あなたの存在を肯定するために、物語はありとあらゆる手段を使ってあなたの感情に揺さぶりをかける。
ホラーでも、サイコスリラーでも、SFでも、何でもいい。物語は、それを鑑賞しようとする人間の存在を肯定する。

あなたの存在を肯定しない物語は、この世界に存在する理由がない。
だから登場人物は、逆説的に、物語の中でひどい目に合う。どんな境遇にもめげずに闘う。たとえ敗れたとしても、夢破れたとしても、その存在は証明される。誰の? あなたの、である。

だから物語は、感情移入に足る器でなければいけない。あなたがもし、ラプンツェルとともに旅ができたなら、それはラプンツェルという物語が物語であったことの証明であり、首尾よく感情移入できたとすれば、あなたはこの世界にひとりではないことが、証明されるのだ。


ぼくはぼくが(あなたが)ひとりではないことを証明するために、文章を書いている。言うまでもなく、クソッタレハナッタレな理想論者である。

対して、ぼくがスロットに求めていることは、アンチ物語である。パチスロ。そのベースは、徹頭徹尾数字である。数字それじたいに意志はない。歴史的必然もない。それはただ、あるがままに、ありのままにある真理である。数字は成長しない。反省しない。ミスを起こさない。愛も語らない。不平不満を口にすることもない。
だからこそ、ぼくは安心して、その遊技機と戯れることができる。ぼくが打とうが、誰が打とうが、確率は変わらない。結果は変わるかもしれないけれど、長い目で見れば、大した違いではない。

しかし文章は、ぼくがやらない限り、誰も書かないし、永遠に姿を現すことがない。さぼればさぼるだけ言葉はさびつくし、努力次第で成長は可能(なはず)だ。だってそれはぼくの手から現出する言葉の連なりなのだ。ぼくが種をまき、水をまき、肥料をまかなければ芽など出るはずない。ぼく以外の誰もやらないから、ぼくがやっているのだ。

時々、ぼくは呪われた欲望に、吐き気をこらえ沈黙する。
時々、ぼくは恵まれた環境に、なみだを流して感謝する。

ともあれ、ぼくは現実世界のどこかに立脚点を必要としていた。精神の均衡を保つために。

スロットがそれである。稼働は無論、数字を軸に行う。 頭の悪さでミスをすることはしばしばあるが、物語の入り込む隙間はない。少なくとも稼働している間は。帰って来て、それを文章に起こすと不思議と物語じみてしまうけれど、稼働じたいはあくまで物語とは無関係の時間であり、ぼくであろうとなかろうと、誰であろうとそれをするであろう、最適解であろう行動を目指す機械的な行動であり、稼働日記はそれをベースに再構築した文章なのである。

……めんどくさい人間だ。
一息吐き、ノートとペンをポケットにしまい、残っていたアイスカフェオレを飲み干して、立ち上がる。

店を出ると雨は上がっていた。
ぼくはひとり歩き出す。
どこへ?
パチンコ屋へ。


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第百三十四話「あ、アナと雪の女王、だと?」

先日街を歩いていると、同級生に再会し(十数年振り、気づいたのが奇跡というレベルである)、立ち話もなんだし、とお茶をすることになった。

「今何してんの?」と聞かれて小ウソをついて(スロ人あるある)、適当な近況報告を交し合い、なぜか「アナと雪の女王」の話になった。
当然、ぼくは見ていない。同級生(以下、幼なじみ)は見た、めっちゃよかった、泣いた、と言う。

「あの映画って、あの雪の女王の歌にすべてがつまってる(ように感じる)から、あのPVだけでおれは大満足なんだけど」とぼくは言った。「あれだけで泣ける」
「いや、見たほうがいいよ」
「いや、いいよ」
「いや、見たほうがいいよ」
「いや、いいよ」
という不毛な会話の後で、ディズニーあるいはCGアニメの話になり、お互いの好みがさっぱり合わないことが判明した。

幼なじみが好きだと言ったのは、
「ラプンツェル」である。

奇遇なことに、ぼくが嫌いなのは、「ラプンツェル」である。

幼なじみは「モンスターズ・ユニバーシティ」も好きだと言う。

ぼくの中で「モンスターズ・ユニバーシティ」は、ちょっと人にはお勧めできない映画である(もう少しきつい言葉で言えば、あの素晴らしいモンスターズ・インクの続編が、なぜ? という映画である。スロットで言えば、初代北斗とSEの関係である)。


ブログには好きなことしか書かないと決めているが、偶然ついでに今日はその禁をおかしてみようと思う。

嫌いなものの嫌いな理由をあげることはたやすい。
だって嫌なのだ。

もちろんそれではわかりづらいので、「塔の上のラプンツェル」という映画で説明を試みたい(好きな人は申し訳ありません。名残惜しいですが、ここでお別れをいたしましょう。ネタバレが嫌な方も同様にお願いします)。


「寿が見たラプンツェル」

とある王国を統べる王と妃の娘、ラプンツェルは、生まれて間もなく魔女にラチられ、王国から遠く離れた塔に幽閉され、妙齢まで育つ。が、いかにも現代的なアニメらしく、この魔女はすべてを欲しがる昔かたぎの(笑)魔女ではない。ただ若さが欲しいのだ。
彼女は生まれたばかりの王女、つまりラプンツェルの髪の毛があれば、その若さを保つことができると知り(何じゃそりゃ)、じゃあラプンツェルをラチってしまえ、と行動に移す短絡的かつ極めて自己中心的な人物。
その魔女のために、ラプンツェルは一度も髪を切ったことがない。伸ばしっぱなし。ロング(ゲ)というレベルをはるかに超えている。
といって、ラプンツェルは不幸には全然見えない。彼女にとって魔女はちょっと冷たいくらいのお母さんだし、何よりカメレオンという親友がいる。歌を歌いながら日々の雑事をこなすさまも、あの不幸の代名詞、シンデレラとは比べるべくもない。もちろん、人道的な見地に立てば、人権を侵害した、とてつもない犯罪行為なのだ。それは間違いなく、魔女は糾弾されるべきなのだ。

しかし、そのような現代性を持ち込んでしまったことにより、観客は、というかぼくは、こう思ってしまった。こんな風に天真爛漫に育ったのならば、親の教育が悪くなかったのではないか? と。

育ての親、すなわち、魔女である。

ありのまま、生まれたままで大人になることは不可能である。ありのまま、生まれたままというのは、野獣に等しい。そのために教育があり、適切な成長を促し、時には出る杭を打つ大人の存在が必要なのだ。
子どもがまっすぐ育つには、資質もさることながら、周りの環境と、サポートする大人の存在が不可欠ではないか。
その意味で言えば、魔女の教育は、最高とは言えないものの、劣悪ではなかったと言わざるを得ない。

ここからの展開もなかなかのものなのだが、魔女がいない間に、王が住まう城(もちろんラプンツェルの生まれた城)からお宝(本来、ラプンツェルが戴冠すべきティアラ)を盗んだ若き盗賊が、王国の衛兵から追われて忍び込んでくる。
ラプンツェルは、その盗賊を自慢の髪(!)で撃退し、ティアラを取りあげ、お宝を盗賊に返す条件として、私を外に連れてって的なことを言う(魔女にばれないように、後で帰ってくるつもりだった)。
「しょうがねえ、じゃあ行くか」と外に出るふたり。

気づいた魔女は、激おこ。憤怒の表情で追いかける。熾烈なチェイス。ラプンツェルは自慢の長い髪を振り回し、アクション、アクション。最終的に、魔女は死亡。王と妃は大歓迎でラプンツェル及びイケメン盗賊を王家に迎え、めでたしめでたし。

うーん、こう書いてみると、この映画、けっこう面白いんじゃないか、と思えてくる。笑

幼なじみとの会話に戻ろう。

「まず、魔女は殺されなければいけなかったのか?」とぼくは言った。
「事故だし」と相手は言った。
「いや、明確な意志がない限り、作品はつくりえない」
「は?」
「誰かが魔女を殺すシーンを描かなければ、魔女は死なない」
「は?」
(理解されていないようだから、先に進もう、と思う)
「それから」とぼくは言った。「王家に泥棒を迎え入れて、果たしてその国民は納得するのだろうか?」
「いやいや、そこまで考えないでしょ、普通。ファンタジーだし」
「ファンタジーだからこそ、その世界に没頭できない要素は排除するべきではないか」

「てか、ラプンツェル何回見たの?」と言われた。
「一回」と答えた。
「何でそんなに覚えているの?」
「わからない」
「それって好きってことじゃないの?」
「……」

今、嫌いな理由を述べたじゃないか。どうしてそれで、ぼくがラプちゃんを好きなことになってしまうのだ!

「じゃあ、寿はディズニーだと何が好きなの?」と聞かれる。
「美女と野獣」と答える。
「いやいや、美女と野獣のほうがありえないでしょ」と言われる。

そんなことを言われると、さすがの寿も憤慨する。しかし、好きの理由をただちに明確に言うことは難しい。

「ありえるとかありえないの話をしているわけじゃない」
「アリエル? リトルマーメイドの話? はは。うける」
「違う!」
「じゃあ何の話?」

「……ガストンって悪役の頭の悪さがさあ」とぼくは言う。
「え? ただのクソヤローじゃん」と言い返される。

「まあ……」

「ベルのあの読書以外に興味のない感じがさあ」とぼくは言う。
「あんな女いないよ」

「まあ……」

「野獣が愛を知り、成長し、そして自分を取り戻す経緯がさあ……」
ぼくの言葉をさえぎり、幼なじみは言う。「野獣ったって王様じゃん。王様が何したってそもそも王様だし。だったらまだ泥棒の彼のほうが深みがあるんじゃない?」

「……」

このように、嫌い、あるいは否定的見解というのは、すべてを拒絶する、驚異的な暗黒パワーである。
それに比べて、好きのこのか細さ。

だからこそ、ぼくはブログに嫌いなことを書かないようにしていたのだ。

「ねえ……」唐突に幼なじみは何かを言った。

が、美女と野獣をどう推すかに集中していたぼくは聞き逃してしまった。「え?」

「もしかして、まだあのことを気にしてる?」

「……何が?」

「寿が悪かったわけじゃないでしょ?」

「……」


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作者 寿
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ふと思う。スロ歴ってどれくらいなんだろう? 今年で19年? そんな経つ? ピーいれたいね。スロットばっか打ってるわけじゃなくて、普段は小説書いてんすよ。ちっとも売れないけどね。つうか売ってないしね。けどこのブログだと読めんすよ。フォウ!

ブログポリシー「my rights sometimes samurai!」
当ブログは、寿という人でなしが小説を書くなかで、
また、スロットを打つなかで、
はみ出たものを一所懸命につづったものです。
基本的に毎日更新してはいますが、
毎朝グビグビ飲めるというほどあっさりした、
また、健康的な文章ではありません。
油ギトギトのラーメンというほどではないと思いますが、
胸焼け、食あたりを起こす可能性がある由、ご留意くださいますよう。

また、コメントは大歓迎です。
引用ももちろん大歓迎ですが、引用元の記事を明記していただけると幸いです。
それでは今日もはりきって行きましょう! どこへ? パチンコ屋へ。
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