書くこと、賭けること

書くことを賭ける。賭けることを書く。とどのつまりは遊び。Life is the gambling you know?

「寿という言葉は経験による人の円熟という意味に使われていた」
「成功は、遂行された計画ではない。何かが熟して実を結ぶ事だ。其処には、どうしても円熟という言葉で現さねばならぬものがある。何かが熟して生れて来なければ、人間は何も生むことは出来ない」

小林秀雄「考えるヒント」より

人の話を聞けない人間は、何者にもなれない

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「人の話を聞けない人間は、何者にもなれない」
初対面の人にそう言われ、ぐぬぬ、となった。
「経験からしか物事の真実を引き出せないのであれば、80年の人生はただ80年の時間でしかない。しかし自分を捨て、他人の話を聞く。本を読む。そうすれば、人生は倍、何倍、何十倍にも広がっていく。まずは自分を捨てなければ」

たしかに、おっしゃるとおり。しかし、この、心に浮かんだ黒いモヤモヤはなんだろう? このとき私は、自分を否定された気分で一杯だった。

不思議なことに、人間は、自分の話をしているよりも、他人の話を聞いているほうが、強く自分を感じるものだ。自分が語る自分というのは、容易に捏造が可能である。自分で意図していなくても、勝手に改変してしまう。これこそが自我である。しかしながら、他人の語る話を聞く自分の感情は、(何処からか)勝手にわきあがってくる。捨てろ、と言われても、容易に捨てられない自分。これこそが、我執である。

たしかに、相手の意見を100%聞ければどんなにいいだろう? ただ、その場合、相手が間違っていた場合、あるいは悪しき人間だった場合、取り返しがつかなくなる危険性がある。ここは難しいところだ。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、という言葉もある。

古くは、学ぶはまねぶだった。師匠のすることを真似ようとしても、どうしても真似られない部分が出てくる。それこそが、自分を知り、負け方を学ぶ契機だった。が、どこかの地点で、おそらくは個性という言葉の蔓延とともに、別にいいや。オレはオレで。ワタシはワタシで。という風潮になった。

どちらが正しいということではない。ただし、ジ・オンリーワンなんて、幻想に過ぎない。すべての言葉は、既製品である。言葉は、自分より前にあり、人間(我々)は、それを借り受けることでしか、生活をスタートできない。当然、それ以前からあるものと、そこに誕生したものが融合するのだから、衝突する。そのことを、葛藤と言う。

先日、心の筋トレという言葉を使ったが、葛藤こそが、それかもしれない。衝突し、悩み、受け入れ、前に進む。
「人の話を聞けない人間は、何者にもなれない」
はい。
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無想一閃中にオーラ黄色出現!

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人は、結果論でしか見てくれない。だけど、人生にリセットボタンはない。続きを読む

メイドインアビスと体に開いた穴のこと



アマゾンプライムにて、「メイドインアビス」1~13話を一気視聴。


デビルマン、エヴァンゲリオンやベルセルク、または冨樫義博作品が切り開いたのは、残酷な世界だった。日常生活ではとても体験できないような、過酷な運命が、少年たちを襲う。勧善懲悪的な、めでたしめでたしのない、腕がもげ、精神が崩壊し、目がくりぬかれ、それでも生き抜かなければいけない世界である。それはある意味では、本来残酷さに満ちている世界の中で、例外的な平和を享受している日本のアンチテーゼであり、逆説的なエンターテイメントでもあった。その系譜として、魔法少女まどか☆マギカという作品があった。コマとして消費されがちな少年よりも、少女という入れ物に分があったのだ。残酷なのは、我々の興味である。インフレーションは止まらない。メイドインアビスでは、魔法少女たちよりも、ずっと幼い12歳の少女が、どこから現れたのか不明な少年風のロボットと、過酷な旅に出る。

少女たちが暮らす世界の真ん中には、巨大な穴が開いていて、そこの住民たちは、穴の中に入って、宝物(遺物と呼ばれる)を手に戻ってきて、という生活をしている。そのあり方は、トルネコであり、ダンジョン飯であり、一方で、自然の描き方はジブリ的である。しかし、その穴から戻ろうとすると、人間の体にダメージが与えられる。RPG同様、深度が増せば増すだけ、リスクが増す。序盤では、吐き気や頭痛といった高山病程度のものだが、さらに深みまで潜って戻ろうとすると、人間の体の穴という穴から出血したり、さらには、人間の形状を保てなくなったりもする。その穴をアビスといい、そのダメージのことをアビスの呪いという。この設定が、残酷性の担保である。

目、口、尿道、肛門。この物語では、体に開いている穴も重要なモチーフとして登場する。すべての人間がしているがしかし、物語では触れられないものの一つに、排泄というものがある。恐怖ゆえにおねしょをもらす。痛みのあまり失禁する少女というモチーフは、PTA的な目線に立てばトンでもないということになるだろうが、端的に言って、表現的な成熟の表れだろうとも思う。ここまでしなければ、感情を移入できなくなった現代の心性というのもあるだろう。

最終話(第13話)において、この世界の残酷さはある種の極点に達する。それでも彼女たちは前を向く。どれだけ残酷な世界であっても、好奇心は止められないのだ。          
作者 寿
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ふと思う。スロ歴ってどれくらいなんだろう? 今年で20年? そんな経つ? ピーいれたいね。スロットばっか打ってるわけじゃなくて、普段は小説書いてんすよ。ちっとも売れないけどね。つうか売ってないしね。けどこのブログだと読めんすよ。フォウ!

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当ブログは、寿という人でなしが小説を書くなかで、
また、スロットを打つなかで、トレードをするなかで、
はみ出たものを一所懸命につづったものです。
基本的に毎日更新してはいますが、
毎朝グビグビ飲めるというほどあっさりした、
また、健康的な文章ではありません。
油ギトギトのラーメンというほどではないと思いますが、
胸焼け、食あたりを起こす可能性がある由、ご留意くださいますよう。

また、コメントは大歓迎です。
引用ももちろん大歓迎ですが、引用元の記事を明記していただけると幸いです。
それでは今日もはりきってまいりましょう! どこへ? チャートの世界へ。
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