書くこと、賭けること

どうもはじめまして。スロ小説家のブログです。

すべての書かれたもののうちで私が愛するのは、自分の血で書かれたものだけだ。
血で書け。そうすればきみは、血が精神であることを経験するだろう。

フリードリヒ・ニーチェ 永井均訳
「ツァラトゥストラはこう語った」
読むことと書くこと、より

スロット打ちの端くれとして



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率直に言って、ぼくは自分のことを秀でた人間だと思っていた。

が、たとえばヒップホップアーティストが、「オレサイコー」と言うのは、別に生身のオレが素晴らしい人間だ、という自慢をしているわけじゃなくて(もちろんそれも少しはあるだろうけど)、ビート(音)と、リリック(詩)と、オレ(神)の三位一体。ヒップホップという器の中のオレサイコーという、ある種の信仰告白をしているわけで。そもそも最高とは、これ以上ないということであり、そんな素晴らしい人間であるならば、言わなくても伝わるはずなのだから。ここで強調されるべきは、ヒップホップによる救済なのだ。

何の器もないのに、オレサイコーと思ってしまうのは、はっきり言うが(はっきり言っても、はっきり言わなくてもいいが)、勘違いである。またの名を裸の王様である。これはもちろん、ぼくのことだ。

ぼくは自分への、自分の未来への信頼から、小説を書き始めたのだった。そのこと自体は――うかつな人間を証明しているものの――、特に責められることではないように思う。すべてのワナビーはそこから始まるし、実際それで何かになれちゃう人もいるのだから。ただ、自分だけがそれを望んで、何かになれることはありえない。自分以外の誰かがそれを望まない限り、人間は何者にもなれないのだ。

ぼくの最大の勘違いは、いまだに自前の何かで勝負しようとしている節があるということだ。自分がサイコーの自分ではないことは、前半生が証明しているはずであり、だから小説で勝負しようとしたのではなかったのか?

では、何を借りればいいのだろう?(そもそもぼくに返すあてはあるのだろうか?)ただ借りるだけでは、同じことの繰り返しだ。あるいは、パクリと言われるだけだ。同じことを繰り返して、繰り返して、そうしてぼくは朽ちていくのだろうか? それもいいかもしれない。死ぬまでやりきれたなら、それはそれで人生を全うできたのだから。

が、ぼくは昨日、ストック切れをしたと書いたのだった。ストックが切れた台を打ち続けることはできない。それはさすがに、スロット打ちの端くれとしてできない。

ツムツム。どこからか、音が聞こえる。

ツムツム。どこからだろう?

図書館の中で、ぼくは打ちひしがれていた。文学、ルポタージュ、歴史、地理、エッセイ、マンガ、写真集、このスペースの中に、ぼくが入り込む隙間なんてどこにもないように思えた。そんなこと100も承知のはずだった。だからスロ小説などという造語を作ったのではなかったのか?

ツムツム。

ここが詰みか? 最終目的地か?

ぼくが手に取ったのは、古事記だった。現存する最古の日本文学(の現代語訳)である。

西暦713年に編まれたこの書物は、太安万侶(おほのやすまろ)という人が、四十三代元明天皇に話しかけるという形で始まる。この時代、日本にはまだ、「ひらがな」が存在せず、「カタカナ」も存在せず、カギカッコもなく、借り物の漢字だけで、自分たちの文化をどう表現するか? を表現しなければいけない立場の人がいたのだ。

安万侶(やすまろ)さんは言う。
「古い時代には言葉もその意味もみな素朴でしたので、それを文章にして漢字で記すのはまことに困難なことであります。漢字の訓だけで綴ると真意が伝わりません。音だけで綴るとただ長くなるばかり。そこで、この書では、ある場合は一句の中で音と訓を混ぜて用い、ある場合は訓だけで記すことに致しました」と。

ふむふむ。おそらくこの書物はぼくのために書かれたものだ。ぼくはそう感じ取り、古事記を手に席に座ることにした。

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まさかのストック切れ……

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天才の仕事

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ぼくが敬愛する人物には、陰がある。その陰は、黄泉の国まで伸びている。 ぼくたちは必ず死ぬ。もれなく死ぬ。だから陰のある人物に、どうしようもなく惹かれてしまう。たぶん、そういうことだと思う。

平成初期(または1990年代)という時代は、天才と呼ばれる人間が、次々に芽を出した時代であった。少なくともぼくの目にはそう見えた。プロ野球界ではイチローが、競馬界では武豊が、将棋界では羽生善治が、そして芸能界では、松本人志が、天才の名をほしいままにしていた。

そんな、選ばれし者の中で、最も濃い陰を引きずっているように見えたのは、松本人志だった。笑っていても、どこか寂しげだった。その目は常に、俺の笑いを真に理解している人間などこの世界にはいない、という哀しみと諦念が同居していた。

島田紳助が漫才コンビを解散する原因となり、立川談志が褒めちぎり、坂本龍一に「あのすごい才能」と言わしめた異能のお笑い芸人、松本人志。天才は、その表現ジャンルを根幹から変えてしまう。松本人志が変えたのは、漫才ではなく、日本そのものと言っていい。

松本人志の才能の特異性は、つまるところ、視聴者の想像の斜め上をピンポイントで狙撃する発想力だったように思う。

「シャンプーをしているときに後ろで感じる気配は何ですか?」と聞かれ、
「リンスです」と瞬時に答えるその発想。

ある脳科学者が、松本人志を評し、触れるもの全てを黄金(笑い)に変える「ギリシャ神話」のミダス王にたとえていたが、ミダス王は、触れるもの全てが黄金に変わってしまうがゆえに、何も食べることができず、餓死してしまう。

どうしてだろう? 2000年代に入り、松本人志という存在から、徐々に陰が薄くなっていったのは。大日本人、しんぼる、さや侍、R100、それはどう贔屓目に見ても、天才の撮った映画には見えなかった。10年後、20年後に再評価されるような気配も感じなかった。斜め上どころではない。どこにもピントが合っていない。ピントがずれているうえに、印象派的な揺らぎ、余白も残されていない。映画館の中で、あるいはテレビの前で、ぼくはそう感じてしまった。

人間としては、陰なんかない方が幸せなのかもしれない。ファンほど身勝手な人間もいない。勝手に陰を見て、勝手に投影し、勝手に崇拝する。勝手にも程がある。それはわかっている。が、一ファンとして、松ちゃんが提示してくれた「斜め上」が忘れられないというのも事実なのだ。

あるいは、変わったのは、ぼくたちの方かもしれない。松本人志を見続けた日本人の感性が、それまでの斜め上にピントを合わせてしまったということなのかもしれない。そのせいで、松本人志の生み出すものに、斜め上性が失われてしまったのかもしれない。あるいはただ単に、ぼくの感性が捻じ曲がってしまっただけかもしれない。その蓋然性は高い。だとすると、鑑識眼のなさをアピールするだけの文章をせっせと書いたということであり、どちらにしても、少し哀しい。

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作者 寿
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ふと思う。スロ歴ってどれくらいなんだろう? 今年で20年? そんな経つ? ピーいれたいね。スロットばっか打ってるわけじゃなくて、普段は小説書いてんすよ。ちっとも売れないけどね。つうか売ってないしね。けどこのブログだと読めんすよ。フォウ!

ブログポリシー「my rights sometimes samurai!」
当ブログは、寿という人でなしが小説を書くなかで、
また、スロットを打つなかで、
はみ出たものを一所懸命につづったものです。
基本的に毎日更新してはいますが、
毎朝グビグビ飲めるというほどあっさりした、
また、健康的な文章ではありません。
油ギトギトのラーメンというほどではないと思いますが、
胸焼け、食あたりを起こす可能性がある由、ご留意くださいますよう。

また、コメントは大歓迎です。
引用ももちろん大歓迎ですが、引用元の記事を明記していただけると幸いです。
それでは今日もはりきって行きましょう! どこへ? パチンコ屋へ。
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